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30代。幼稚園教諭&主婦&母親 普通に頑張ってきた私。  いつからか そんな自分が大嫌いになっていった。 うつ病・・・ 恐るべし。
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2008年08月12日 Posted by なんな at 00:40 | うつ病 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
うつ病ママ・・母が倒れた日
うつ病ママ。。。なんな。 一人っ子、父は忙しく働き 母も共に働いていたが

育児はすべて母だった・・・・私は マザコン。立派なマザコン

*********第三話 母のクモ膜下出血*****************

三年前のちょうど今頃 うちの両親は 長年経営してきた 洋菓子店を辞めた。

母は 父の仕事に 必死でついて行っていた。接客も苦手 冷や汗をかきながら

必死に お客の相手をする。 小さい頃から 自分の母ながら 可哀想・・・

と思って見ていた。  私が嫁に行くと「仕事辞めたい。自由になりたい。」

本音を漏らすようになった。しかし母は 父には言えず それから6年も

店に立ち続けた。そして・・・ようやく 解放された。

母は「やっと 好きなことが出来る!」「孫達と遊べる」嬉しそうだった。

実際 よくうちへ遊びに来ては 子育てを手伝ってくれたり

時に うるさくも感じたが 子育ての助言を嬉しそうに語っていた。

店を閉めて 9ヶ月。母は 倒れた。。。。。。

前日 上の娘の自転車を買ってあげる!と前から約束していたので

電話で その話をしていた。 近くで 姉弟のケンカが始まり ついつい

上の娘を叱った。母は「上の子 ばかり責めて!」いつも通り 上の娘を

かばった。イライラしていた私は「うるさいなーお母さんは一人しか

育ててないでしょ?私は 2人育てているの 忙しいから 

明日電話するね!!」一方的に電話を切った。

でも。。。その あたりまえに来ると思った明日は来なかった・・・・

翌日夕方 実家からの電話。「お母さん??」当たり前のように

電話に出ると「お母さん・・・倒れた」あきらかに いつもと違う

父の声「なんで・・?貧血?」そう信じたい思いで聞いた

「そんなんじゃないようだが・・・とにかく 病院へ来い

怒り口調の父・・・大変な事態になっている・・・それだけは理解できた。

主人がちょうど 帰ってきたので 倒れた先(出かけ先の恵比寿)

へ片道2時間かけて向かう。まっ白な頭 真っ暗な足元。。。

病院へ着き 医者の説明を聞く。尚更 真っ白な頭になる。「危篤」

今夜もつか もたないか・・・ 「なぜ?」「どうして?」

と言う言葉と、 「温泉連れて行ってあげる!!」

母とした口約束。。私、まだ何もしていない・・・・・そんな気持ちが

ぐるぐる 頭の中を 回った。

私は 兄(幼なじみ)の死で 命の儚さを良く知っていたのに。。。。

後悔に 首を絞められるようだった。。。。

つづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。




2008年08月07日 Posted by なんな at 23:31 | うつ病 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
うつ病ママ・・・大失恋の話
うつ病ママ なんな。。昨日に引き続き 自分に起きた 衝撃の出来事

を振り返ってみる。 同じような経験がある人も居るかもしれない。

でも 私の人生で初めて 自殺を考えた出来事でした。

高校1年から(中3??)長年 付き合った 彼氏が居た。

家に 両親がおらず 一人ぼっちの私は、 毎日を彼の家で

過ごした。 まるで夫婦のようだ・・・と周りの友達からも言われていた。

結婚に備えて 2人で貯金も始めた。

彼は大学・私は短大へ進学した。彼の友達は ガラッと変わった。

都内のおしゃれな子ばかり・・・   入学から半年すると

毎日 会うか連絡をとっていた彼からの連絡が 途切れがちになった。

大学の中に 浮気相手??いや!そんなはずない。あの優しい彼が

私を裏切るなんて・・・   

小学校でイジメられていた頃から 周りの目も気にせず 話しかけ

遊んでくれた親友に相談する。「そんなはずないよ!!なんなを

裏切るなんてありえないし、彼も忙しいんだよ。大学生だし・」

そうか。大学生には大学生の付き合いがあるか・・・と

自分を 納得させ 一年を過ごした。

そんな ある日 彼に呼ばれて ウキウキで彼の家へ。

彼の「もう罪悪感に耐えられないし・・別れたい」その一言で

私の頭は 真っ白のなった。 彼の話した真実。。。。。

それは あの親友と 1年くらい前から 付き合いがある。。。

「まさか・・」 映画のように 雨が降っていた。私は

彼女の家へ びしょぬれになりながら 走った。

彼女は 容姿が良く いつもモテモテだった。でも 私たちは・・・

親友だった・・・嘘と言ってほしい・・・・

彼女に会った・・真相を聞いた。。。彼の言うままだった。

私は 道路に座り込んで 「何でも あげる。お金もあげる。でも・・・

彼だけは とらないで。」とすがりついた。

今考えると 情けない。 でも それだけ 彼を愛していた。

結局 親友と彼が付き合うこともなく 私ともやり直せず・・・

嫌な別れ方をしてしまった。 

これが 私に起きた 衝撃の事件パート2。

男性諸君、浮気をするなら 墓場までもっていけ。ばれなきゃ無罪

ばれたら 重罪!!!

2008年08月07日 Posted by なんな at 06:08 | うつ病 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
うつ病ママ・・今までの自分の話
うつ病ママ なんな。ちょっと 自分を振り返ってみようと思う。

何がきっかけで うつ病になったか・・・辛いこととストレスに

耐え切れない弱い自分だから残念ながら それだけは

間違いなさそうだ。

辛かったこと ブログにして 書き出せば 少し楽になるかもしれない・・

**********第一話 亡くなった幼なじみ***********

9月11日 そう あの アメリカの 同時爆破テロ と同日。

私の幼なじみは死んだ。 とは言っても 同時爆破テロよりも

8年も前の 話だが・・・ 3歳違い 幼なじみ、どちらも一人っ子

と言うこともあり ちょうど 兄と妹の関係で育ってきた。

自営業で忙しい うちの両親に代わって 旅行や買い物・・・

兄(幼なじみ)の両親は 我が子のように 兄と共に育ててくれた。

兄も本当に優しかった。

小学校 高学年にもなれば 恥ずかしがって あまり接点を

持とうとしなかったり 一緒に遊ぼうとしなかったり・・・

でも 兄は 5年になろうとも 6年になろうとも・・・

自分達の草野球に 私を連れて行ったり ラジコン遊びに連れて

行ったり。はっきり言って 引いている友達も居たと思う。でも

兄は 気にせず遊んでくれた。私が転ぶと「大丈夫??」

血相を変えて とんできた。今でも あの慌てた顔を

今でも忘れられない。

勉強が出来た兄は 早稲田 慶応 を目指しつつ 勉強嫌いの

私の家庭教師をしてくれていた。結果。。。私は 低レベルだが

高校合格。兄は・・・落ちた でも 明るく

私の入学祝いを ファミレスでしてくれた。

その日「受験の日に転んで 足の付け根が痛いんだ」と兄は

言った。ドジだな〜(笑) 家族とみんなで笑った。。。

これが 病気の入り口なんて 誰も思わなかった・・・・・

その2日後 兄は 身動きとれなくなるほどの 激痛に襲われた。

4日後 兄の両親が 夜 家へ来た。私は 自分の部屋に追いやられた

でも・・聞こえていた・「もう 手遅れだった。悪性筋肉腫

筋肉に出来る癌だ。」耳を疑った。この前の笑顔は??

もう 死期が迫っているなんて・・・

兄は 家から2時間かかる 池袋の病院へ入院した。

高校に入学したばかりの私は あまり 行けなかった・・

いいや・・・行かなかった。180cm 野球で鍛えた体

それが お見舞いに行くたびに 骸骨のようになっていった。

オムツをし 髪の毛もなくなった。   怖かった・・・

こんなスピードで 衰えていく兄を見るのが 辛かった。

本人には 告知しなかった。まだ18歳。言えない・・・

誰もが そう思っていた。兄は「退院したら・・・」

と言う話を 少し笑顔を見せながら話していた。 苦しかった。

免許を取りにいく、他の浪人生より出遅れたから 頑張らないと・・

私は 必死の思いで「そうだね!楽しみにして元気になろうね」

と涙をこらえて言った。  入院から約5ヶ月。兄は

「息の仕方が分らない。教えてくれ」と言った。

 肺に転移していた。耳元で 兄の父が「吸って、吐いて」

それが一時間続き 兄は この世を去った。

私は、全く 自覚出来ず悪い夢を見た5ヶ月間だった。3年経ち 


自分が 同じ年になった時 やっと理解した。

死んだのだ、もう 会えないのだ。お墓に抱きついて泣いた。。。。

これが 私の幼なじみの話だ。











2008年08月06日 Posted by なんな at 04:59 | うつ病 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
うつ病ママ・・久々の救急搬送
うつ病ママ なんな。ここのところ また不調。

どこが どのように?と聞かれると 上手く説明できまない。

同じ うつ病の人には 解るのかな??

昨日も 調子の悪いまま 子どもの三歳児検診やら 上の子の

小学校プールやら・・・調子のいい時なら 何でもないことが

ものすごく 苦痛で 普通のママに私はなれないのか・・

精神的にも 自分で自分を 追いつめてしまった。

夕方 玄関で 片付けをしていると 体が重くなり そのまま

玄関で動けなくなった。娘に 近所の大人の人を呼びに行かせ

泣きながら 「動けない、苦しい」と喚く私を見て 救急車を

呼んでくれた。情けなく 悔しく・・・救急車の中で 

「ごめんなさい。こんな人間が生きていて ごめんなさい。」

泣きながら 繰り返した。救急隊員さんは 「大丈夫ですよ」と

私の背中を さすってくれた。  子どもは 近所の方が

預かってくれた。私は 薬と 身内ではないものの 優しい人々

に支えられて生きていると実感した。 

しかし 娘は また 目の前で ママが倒れ 救急車に乗って行って

しまうと言うことに ショックを受け それなりに我慢していたようだが

私が搬送され二時間ほど経った頃 こらえきれなくなった涙が ポロリ

とこぼれていたらしい。。。娘は 私以外にも 大好きなバアバ{私の母}

が 前日まで 元気だったのに 翌日 頭に2本のチューブを差し込まれ

大量にチューブから流れる血液と 話しかけても何の反応もない

姿を見ている。クモ膜下出血・・・その時の話は また 別のときに 

記載しようと思う。とにかく 娘は 5歳{当時}から 人間の命の儚さや 

生と死についていいことではないかもしれないけれど 理解できている。

だから いつも 私の具合を気にして 休みの日には 私を起こさず

一人 リビングで テレビを見たり お絵描きをしている。朝ごはんも

我慢して 昼近くまで・・・  ごめんね。。。

いつも通り これしか言えない。私が あなたのママでごめんね・・・

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