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2009年10月07日
溜り場と化した2階!
 おはようございます。

今日は、溜り場と化した2階!です。

私も高校の時、溜り場なる、場所があったのです。

何かと好奇心の多い時期、青春を満喫した時期、があったようです。

クラブの友人の自宅の2階がいつの間にか溜り場になっていたのです。

もともと、根の悪い遊びの知らない私の楽しみはいたって単純。

将棋をするかマンガを読みあさる程度。

この時期に将棋を覚えたといっても過言でないほどした記憶がある。

友人の中に将棋に関してはかなりの腕前の持ち主がいたこともあるのでしょう。

十三駅前にはいくつかの囲碁将棋会館があったようです。

暇があれば通うほどの将棋好きとあっていつも将棋盤とにらめっこ。

当時の友人たちもかわるがわる将棋の相手に、いつの間にか囲いや

攻めのテクニック、飛車の振り方、いろいろ身につけたようです。

中でも三間飛車や四間飛車・相振り飛車にひねり飛車など

今ではよくそんな事覚えたなと思う事までこの時期に熱中したようです。

マンガとなると今ではマンガ喫茶となってしまったようですが

当時、まだ近くには貸本屋があり一冊10円ほどの金額でマンガを貸してくれる

お店があったのです。

買って読むには当時でも350円から400円するマンガの単行本が

手軽に借りれることと、全巻そろうこともあって読みふけった思い出がある。

マンガも読みだすと時間を忘れ気がつくと夜中、なん〜ってこともたびたび。

家に帰らない日もあるほど、当時は熱中していたのです。

学校からの帰り貸本屋の前で財布にあるお金を数え単行本を十冊ほど・・・

それでも、今思えば100円程度と買う事を思えばかなり安い。

しかも、友達皆で読みあさるのですから、元は十二分に取っているといっても

過言ではないくらい、ただ、返却日を過ぎて返せなかったことも、たびたびある。

不思議とそういう時に限って追加料金の100円がなかったりして

困った経験も今では覚えている。

今では集まることもなくなった部屋、時々、当時を思い出し

家の前を通ってみることもある。

表札は変わってしまっていつの間にか引っ越しをしたようだ。

何処からか、風に乗って声が聞こえる。

この地域に何があったか知らないのは、約10年地域を離れていた

私だけだったのでしょうか?

今では貸本屋の店も閉め通りはお店が減ったようだ。

変わりに、私の中学時代にかかわった人の名前の表札がやけに目につく。

私にもあった青春時代、ふと思い出すことがあるのです。





 明日は、バットの感触!です。






 では、また。

2009年10月06日
お葬式!
 おはようございます。

今日は、お葬式!です。

あまりあってよいものではないのかも知れません。

しかし誰もが皆経験することでもあるのです。

そんなお葬式の中に思い出に残ることがあったのです。

ひょっとしたら、以前お話の中でもしたかもしれません。

私の高校時代の出来事なのです。

当時、同級生のお葬式が多くあったことを覚えています。

中でも忘れ得ないお葬式があったのです。

当時の記憶をさかのぼってみると、ある日の夜の出来事から始まったのです。

阪神高速の出口付近で起きた事故。

事故の噂が広まるのは早く私の耳にもはいってきたのです。

近くに住む同級生が原付バイクで事故を起こした、

そう知らせが入って来たのです。

幸い命にかかわる事故ではなかったようなのですが

事故の原因が悪くも信号を無視した事が原因の事故。

しかも、大変なことに事故を起こした相手の乗っていた車が高級車のベンツ。

当時の同級生、誰もがかなりの修理費がかかることを感じたようです。

どちらの信号無視かは知らないのですが、当時同級生の何人かは

バイクの事故で命を落とすことが続いていたのが気にはなっていたのです。

事故の知らせから数日後?2日後だったのかも知れません。

学校帰りの土曜日、駅前でその同級生とばったりと出会ったのです。

まだ腕には包帯を巻いた状態で電車の改札へ、

そこへ私が改札から出てきたのです。

偶然にも出会った私に微笑むと「今帰り?」の声に

私は返事を返すと同時に、事故の事を聞いたのです。

微笑みながらけがは大したことがないことを聞いたのです。

ところが、困った様子で今から事故にあったオートバイを取りに行くのだと

私に話したのです。

まわりには高校の同級生でしょう、数名と一緒になって行くことを聞いたのです。

私は心の中でよかった怪我が大したことなければ大丈夫。

いつものように歩いて自宅へ向かったのです。

同級生と一緒だった私は帰り道事故の事を少し話、自宅近くの交差点まで

帰ってきた時、交差点でばったりまた別の同級生とあったのです。

もともと小さな町ですから不思議でもなくまして

土曜日となるとよくある光景なのです。

ところが、この時、ある知らせがあったのです。

今日の夜お通夜だと聞いた私は耳を疑ったのです。

駅からのんびり歩いても1時間とかからない距離。

今、駅前であって話したばかりのはずが、お葬式なんて・・・・

当時の私はまだ、若くお葬式は死んだ人のすることとしか考えれなかったのです。

若い私は、そんなバカな話はない、今あって話したばかりなのに・・・・

足早に先を急ぐ同級生も慌ただしく色々な友人に知らせに走ったようです。

この日のお通夜に私は参加をしなかったのです。

しかし、この日以降、その同級生とは合う事がなくなったのです。

確かにあって話した同級生、しかも1時間前の出来事。

今でも不思議に感じる、まるで狐につままれたようなものです。

私の記憶間違いかも知れない。

駅前であってから数日たっていたのかも?そう感じる時もある。

しかし、けがは大したことがないと微笑んだ顔を忘れることはできない。

今でも、あの時の不思議な感じは覚えている。

合う事がなくなった同級生、時代はめぐっているのか、同じような事故を

耳にする事が十数年後起こることを誰も知らない。





 明日は、溜り場と化した2階!です。





 では、また。


2009年10月03日
大地の子3!
 おはようございます。

今日は、大地の子3です。

中国の生活の中の一部分のお話を私の記憶の中に残る範囲でお話します。

中国にはその当時、強制労働収容所があったようです。

日本の刑務所のイメージで私は捉えたのですが映画を見ていくうち少し

違うことに気がついたのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年がある容疑の疑いを

かけられたため収容されたのです。

中国では、容疑の晴れるまでの間、収容所の生活を余儀なくされるようです。

収容所は私が見たん感じ刑務所の中の作業場の感じが強くあったのです。

違うのは昔でいわれる奴隷のようにかなりハードに働かされている。

しかも名前のとおり強制労働・・・・

私は行ったことがないのですが日本の喜劇でもよくある

どこかの山の飯場につれていかれ、働かされる感じです。

ところが容疑が晴れるとその奴隷のような強制労働も様子が変わってくるのです。

どちらかというと今の自衛隊、日本で言えばそういう感じを受けたのです。

収容施設での生活は変わりないのですが、

警察の機関から自衛隊の機関へ移る感じを受けたのです。

今までの刑務所の中のような生活とは一変して自衛隊。

収容場から遠く離れた牧場へ羊の世話役として行くのです。

その風景はさすが、中国と感じる壮大な景色で山々に囲まれた

広い地域の牧場へ何日もかけて移動。

そこでは、今までのような奴隷のように強制的な労働はなく

どちらかと言えば遊牧民族の感じを受けるほどのんびりとした

時間が流れるのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年もこの時、さまざまなことを思い

自分の将来を見つめていたようです。

週に一度その牧場を通る遊牧民族の若い娘と知り合い、恋におち

楽しい生活をしばらくの間送るのです。

その間の監視は全くと言ってない。

いいかえれば自衛隊の雰囲気です。

自衛隊も教育の期間は色々な制限があり約一年ほど大変な時期があるものの

その期間が過ぎればまたもとの部隊の雰囲気に戻る。

私の受けた感じではそういった気持が強かったのです。

ケイン・コスギ扮する中国の青年も強制労働の期間が終わり

再び一般社会へ戻る日が来たのです。

山奥の地で知り合った女性とともに元の職場に復帰。

再び中国の製鉄産業の重要なポストを担うことになるのです。

日本側からの担当者が自分の父である事を強制労働所で聞いていた

青年は、父の姿に喜び交流が再び始まるのです。

やがて子供もでき大地の子としてすくすくと育つ。

この先、最後のシーンはあまり記憶に残ってないのです。

残ってないというより見ていないという方が正しい。

少し最後の重要な部分に差し掛かった時、私の気持ちがなえてしまった。

今思えば大地の子の題名になる要素が終わりの部分にあったのかも知れない。

機会があり、『大地の子』を見ることがあれば私の代わりにぜひ最後まで

見ていただきたい。

今から約十年前、平成11年頃の大阪市の中央図書館で見た作品です。

今ではインターネットで検索をすると自宅近くの区の図書館まで

資料やCD/DVDを持って来てくれるサービスがある。

他にもまだまだ沢山の資料もあるようです。

私の見たものだけでも、小森一揆の話や水平社の話など部落差別や

教育に関するものもたくさんある。

私は同和の活動をしているわけではないのですが機会に恵まれたのか

図書館へ行く機会が多く目に止まったのです。

今では、落語のDVDを借りてみるのが楽しみになっているほどです。

一度時間を見つけ行ってみるのもいいかも知れません。





 明日は、お葬式!です。





 では、また。

2009年10月02日
大地の子2
 おはようございます。

今日は、大地の子2!です。

昨日に引き続き大地の子のあらすじを私の記憶に残る部分で

お話しようと思います。

日本の製鉄会社の担当者と中国政府から選ばれた若者は次第に意気投合し

家族ぐるみの交際が始まったのです。

中国の男性は、技術者ノウハウを聞きまた日本の文化へも

親しみを覚え始めていたのです。

同時に、日本の製鉄会社の担当者はこの頃からある行動をしていたのです。

日本の製鉄技術を中国の近代設備に取り入れるため日ごと中国へと行き来する中、

以前、中国に残したまま帰国した中国の女性と子供の事が気になっていたのです。

日本政府や中国政府の力添えもあり、当時の記憶から

中国の女性と子供の捜査を依頼していたのです。

年月は立ち中国政府レベルでの取り組みの中、建設された製鉄工場は

可動を始めるのですが、この時、ある容疑から中国側の担当の青年が

逮捕されることになったのです。

今まで意欲的に取り組んできた製鉄工場も軌道に乗り始めた矢先の出来事、

当然、日本から出向していた担当者も不安を隠せない状態になったのです。

特に家族ぐるみの付き合いのあった青年ですから疑いの晴れる方法は

ないものかと思案する中、ある知らせが届いたのです。

日本からの担当者が捜査の依頼をしていた中国の女性と子供の重大な事実が

解ったとの知らせに、日本を後にしたのです。

中国へ渡った担当者の元へ届いた知らせは驚く事実が書かれてあったのです。

捜査の依頼してあった女性と子供の居場所が判明したのです。

残念なことに数年前女性は病気から他界、

しかし子供は元気に中国で育っていると報告されたのです。

驚く事実はもう一つ、その男の子は現在、中国政府の管理下に置かれ

中国強制労働所へ収容されていたのです。

日本からの担当者は心にもしやの気持ちが浮かんだのです。

中国政府から選ばれた担当の青年『ケイン・コスギ』が子供なのかも・・・

中国政府へ子供の名前を問い合わせたのです。

『大地の子』の映画はここから中国の生活や文化へと場面を映してゆくのです。

今日は、ここまでにいたしたいと思います。





 明日は、大地の子3!です。






 では、また。

2009年10月01日
大地の子!
 おはようございます。

今日は、大地の子!です。

昨日の映画『ムトー』と同じ時期に大阪市の中央図書館で借りたビデをです。

今は図書館も大変立派になりビデオやCD/DVDといたものも借りることができ

かなり充実した施設になっていると思います。

子供と同様一日図書館で過ごしても飽きることがないほどです。

そんな中に幾つかの記憶に残るビデオがあったのです。

今日紹介する『大地の子』もその一つなのです。

確か、NHKのドラマの特集で6日間放送されたものだったと記憶しているのです。

時代は今より数十年前、確かオリンピックか

大阪万博の頃の話だったと記憶してます。

私の住む町にも沢山の鉄工所がありかなり有名な会社だと思うですが

その会社のその当時の実話だったようです。

日本がまだ今のように中国との貿易にさかんでなかった頃、

千葉県にある大手製鉄会社との取引が行われたようです。

中山製鉄だったのでしょうか?私はそう記憶しているのです。

当時の製鉄産業はめまぐるしい発展をしており新たに

中国への進出を果たしたのです。

当時の中国はまだ産業が乏しく日本の製鉄技術のノウハウを取り入れるため

国レベルの外交へと発展していったのです。

中国に大きな製鉄工場を建設、日本の製鉄技術結集ともいわれる設備を

当時の中国に出向き設計から施工・可動までをある人物が担当をしたのです。

この時の担当した当時の担当者は昔、中国へ軍人として行った経験があり

中国から帰国した人物だったのです。

当時の日本兵は敗戦し誰もが帰国の道がないと思っていた頃です。

中国で結婚された方も多くおられた時期、この時の担当者もある中国の女性と

結婚をし二人の間には一人の男の子が誕生していたのです。

しかし敗戦から数年、帰国が認められ、この時の担当者は子供と女性を

中国に残したまま日本へ帰ってきたのです。

中国では政府レベルの製鉄産業の取り組むスタッフに一人の男性

今の「ケイン・コスギ」が役者として出演。

この「ケイン・コスギ」が務める中国人男性がこの担当者の中国女性との間に

生まれた男の子供だったのです。

映画『大地の子』は1話から6話まであり当時の中国の文化・生活や

日本の製鉄業界のめまぐるしい発展を描いていたのです。

今日は、ここまでといたします。




 明日は、大地の子2!です。





 では、また。

2009年09月30日
オオム?
 おはようございます。

今日は、オオム?です。

一昔前・・・オオムと聞くと誰もが嫌な表情に・・・

表情に出なくても怖い・恐ろしい事件の記憶がよみがえり不安になる。

それも、ここ数年はあまり聞かれなくなった。

松本サリン事件も記憶に残るし東京メトロのサリン事件は惨忍な事件。

当時騒がれていたアチャリーや教祖と言われる人の

子供ニュースも少なくなったようです。

先々日の話でもした庚申!変わってものを申しあげる人も

いわゆるオオム?なのかそう感じる。

三部経の中にはそうした言葉も一部含まれている。

今、私の住む地域・・・・日本中に現れているのかも知れない。

今までは諸外国でされていたことが日本人の耳に多く聞こえる。

そう感じることが多くなったのです。

ひどい日にはテレビで話すアナウンサーのレポートの声にも多く出ている日がある。

あまりにも露骨な放送が多く感じる。

これも、憶測なのだが一番最初に感じたのは読売放送が初めだったと思う。

当時を振り返ると、テレビに出ているアナウンサー様子が一変した事を

思い出す、と同時にある市会議員もしくは国会議員と言われる政治権力の

あったことが心の中に聞こえてきた。

政策に一般国民の生活や社会人の生活に反映させるのに

放送局の社員でない人物がテレビの前で、アナウンサーとして

現場に出ている、こう聞こえたのです。

直接人から聞いた事柄ではなく今まで同様心の中に・・・・

一度は、朝日放送へ駆け込んだこともある。

当時はまだ今ほどあらゆる庚申・・・・オウムが出てはいなかったようだが

今では違う、あらゆる放送番組におかしな声が出ている。

現場で働くアナウンサーも感じてはいるだろう。

戦時中なら問題な放送、玉音放送もこれにあたるのではないかと思う。

大阪の天王寺の話も思い受かべてもらいたい。

大阪環状線の会話の話も。

大阪南の繁華街での韓国食材の店の話も。

町の中には数多くの不思議な声があるのです。

今から11年前、大阪市立中央図書館でこんなビデオとであった事を思い出す。

タイのある村での出来事を映画にしたものです。

村にある王族の跡継ぎ争いの舞台にある一人の老人が関与するものなのです。

村から遠く山の奥地で生活をする老人、

この老人には不思議な能力があったのです。

その能力が王族に生まれ王になるときに必要になったのです。

跡継ぎの争いに巻き込まれた王が村を追われた時、

山奥から老人がおりてきたのです。

この時の老人は遠い昔、テレビで見たダイバダッタを思い出す。

山奥で修行をした者のみ許される能力を身につけていた老人には、

山奥にいながら村の出来事、正当な村の継承者を追い出そうとする者の

考えや動きが手にとるように解っていたのです。

しかも能力はこれだけではなく武術に至るまで・・・

まるでテレビのレインボウマンのように、

村を追われた青年に能力を与えたのです。

正当な村の継承は無事におさまり、王となり元の平和な村に戻るのですが

この老人は再び山奥へ・・・村の平和と王族を守るため遠い昔から

不思議な能力を持っている一族。

村では生活ができず絶えず遠く離れた山奥で身を隠し生活をするのです。

この時の映画の題名は確か「ムトー」だったと思います。

小さい頃、テレビでよく見たレインボウマンがこれに当てはまるのを

映画を見ながら感じたのです。

昔、NHKに出演したアンデス音楽のクリスティーナとウーゴも日本で

放送されたときには色々な声が聞こえていたようです。

今の日本の中でこの映画のように山奥で生活をしている老人のような人が

多く町の中に出てきているのでしょうか?

今でも古くから伝わる山では密教の教えもあり世間に生活する人々の

理解をはるかに超える教えもあるのでしょう。

庚申も普通に生活する人々には必要のないものではないのでしょうか?

町を歩くたび聞こえてくる会話に不思議な声が交って聞こえ届くことは

当り前ではなく、特別な能力でも優秀な人でもない。

皆と生活ができない世界で生きてゆかなければならない

人なのではないのでしょうか?

そうでなければ、高野山や比叡山と言われる霊峰は必要ない。

また、密教の教えも密教でなくなるのではないのでしょうか?

誰も聞くことのできる庚申も人の世には迷惑なものになるのでは?

そう感じるのです。

私の周りに多く起こる不思議なことも密教や宗教の教えなら

ありがたいものなのでしょう、しかし、人間の生きてゆく中には必要ない、

そう思います。



 


 明日は、大地の子!です。






 では、また。

2009年09月29日
目ん玉がひっくり返る!
 おはようございます。

今日は、目ん玉がひっくり返る!です。

なんだか、言葉を聞くとんでもないことを・・・・

ある、障害者団体の人が聞くとクレームの原因に、そうも感じるのですが、

私の周りには普通にあった言葉だったのです。

今の時代では見かけないもの、昔、古い時代の電話です。

明治時代のドラマには時々出てくる電話。

しゃべるところがあり、横にくるくる回すものが付いていて

への50番とか、ふの30番と相手に伝えるとへの50番にへつないでくれる電話。

昨日の話にも少し、今でも自衛隊では独自の電話交換をしているでしょう。

直接部隊にかかるのでなく、一度基地の交換の窓口につながり

そこから、内線へつながる。

自衛隊の野外の電話もこの電話交換機を使用しているのです。

今では、明治初期の頃のドラマみたいなものはなく、

普通にNTT同様、電子交換機を使用、普通に電話をかけるのと同じです。

ところが、私のいた頃はまだ昔のように

番号を伝えつないでもらう電話だったのです。

しかも基地の電話局のようにコンピューターでつなぐものでなく

自力で・・・人の手でつなぐものだったのです。

見たことのある人はおそらく少ないでしょう。

木の箱のようなものを沢山つなぎ合わせて一つの大きいな機械の箱のように

摘み重ねて使うのです。

一つ一つの中には電話線がひかれていてそれにつなぐと線がつながり相手と

電話で話ができるのです。

電話での通話が終わるとくるくるとレバーを回しておくと交換機についている

担当者にわかるようになっていて回線を切断してくれるのです。

この時の目印が、目ん玉のようなレンズに白くなるのです。

通常は黒くわからないのですが玉の裏側は、白く回転すると目立つ事から

目ん玉がひっくり返る!このような表現を使っているのです。

当時の私も電話交換所に行くと大きな声で、目ん玉がひっくり返ってるだろ、

怒鳴り声にびっくり・・・

普通に考えると一大事、救急車を呼ばないと、と思う人も少なくない。

よく、聞いてみるとなるほど、言葉通り目ん玉がくるりと引っくり返るように

見えるではないですか、一目瞭然。

感心したことと、テレビで見ていた申し込み電話、あのへの50番の

裏側にはこんな作業があったのだと興味心身で見ていた事を思い出すのです。

今では、時代の最先端、クモの巣のように細い線でもどこかつながっていると

コンピューターが自動的に早い回線を探しつないでくれる。

今のインターネットも同様コンピューター次第。

中には優先回路の指定ができるかも知れませんが、人の手を経由することは

少なくなっているのでしょう。

電話交換手の「はい何番へ」、「終わりましたか」、「終わりましたね」

の声がなぜか、カッコ良く感じたのは私だけではなかったようです。






 明日は、オオム?です。






 では、また。

2009年09月28日
警察無線!
 おはようございます。

今日は、警察無線!です。

マニアの方もいるのではないかと思います。

実際、私の中学の頃にも無線に興味を持っている同級生がいました。

かなりマニアの方には興味の引くものらしく、

警察の使う隠語などもかなり熟知していて、無線の内容も

手に取るようにわかるようなのです。

私の勤務する職場にもいて、暇があると警察無線を聞いていたのです。

警察無線も聞くのは問題がないようで少し性能のいいラジオでも

当時聞けたように記憶しているのです。

中にはトランシーバー型の本格的なものもあり、趣味として

楽しむ方も多いのだそうです。

この警察無線に私の情報が流れたことがあり、たまたま警察無線を傍受していた

同僚に気付かれたようなのです。

当時、車の免許をとったばかりの私は自分の乗用車を購入したくって

貯金を始めていたのです。

私のいた職場では車を購入するのに規制があるのです。

当時の記憶で、防衛庁共済組合の預貯金が30万、自賠責保険が無制限のもので

尚且つ自衛隊車両の走行キロが5000km無事故無違反。

しかも駐屯地内の駐車場に空きスペースがあり車を止めることができる

状態でないと保有することができなかったのです。

あと・・・そうそう、任意保険にも無制限で加入しなければならなく

若い隊員ではなかなか車を保有することは難しかったのです。

誰もが車の保有を願う頃、私も同じく預貯金に励んでいたのです。

それもどうにかクリアー、無事、車をかって間もなく。

休日の昼から駅近郊にある理髪店へ散髪に出かけたのです。

ところが日曜日であるにも関わらず店内は留守。

1時間ほど時間をつぶし再び理髪店へ、幸いその理髪店は店の横に駐車スペースを

幾つか持っていたので私はその駐車スペースへ車を止め、

時間を調整していたのです。

再び訪れた理髪店では散髪をしてもらいスッキリとした風貌で

店を後にしたのです。

ところが、車で理髪店へ来た事をこの時、すっかりと忘れてしまっていたのです。

駅前まで歩いて出た私は同僚と合い、居酒屋へと出かけたのです。

帰りはいつもの休日同様、数名の同僚とタクシーで帰ったのです。

当時、ワンメータの距離、数名の同僚と乗り合わせればバスよりはるかに安く

ほとんどの隊員はタクシーに乗り合わせていたようです。

休日も終り週明けを迎えた私の頭にはこの時すでに車の事はなく

いつものように業務についていたのです。

お昼を回る頃、ベットで横になっていた私の部屋に一人の同僚が

駆け込んできたのです。

同僚は私に車は今駐車場にあるか聞きただすのです。

キョトンとした私はよく考えもせずいつものように駐車場にある。

そう伝えたのです。

同僚も安心した様子で笑顔になり

「よかった、今警察無線で君の車の番号が聞こえた気がする」そう話したのです。

その事を聞いた私は昨日の理髪店へ車で出かけた事を思い出したのです。

今まですっかり忘れてしまっていた車の事を始めて思い出し、

理髪店の駐車場へとめた事を同僚へ伝えたのです。

警察の無線では車の持ち主の割り出しと所在を調べている様子で、

私のところに連絡が来るのは時間の問題。

あわてて事務所へゆき事情を話し外出の許可を得た時、

事務所にいる私の前の電話が鳴ったのです。

電話に出た私に交換から警察から内線○○○番へ電話です、とつないだのです。

電話から聞こえる警察官に事情を話したことは言うまでもありません。

電話で、駐車場の持ち主に手土産を持って

謝りに行ってきなさいと叱られたのです。

理髪店の方も駐車場に止めっぱなしになっている車に迷惑だったのでしょう。

どうすることもできない状態で警察へ連絡したようです。

警察も他人とは言え駐車場に止めている車を移動することができず

持ち主を調べ連絡をしたのだそうです。

すぐに理髪店へ向かった私は戦闘服のままお店に入り謝ったのです。

私の顔をみた店主は笑顔で許してくれたのです。

当時の私は、厳密に言えば車を保有したての若い隊員のほとんどは

自分の乗ってきた車の事をすっかり忘れ帰ってくることが

たびたびあったようです。

幸いにも私は駐車場へ止め、忘れて帰ったため駐車違反にもならず

刑事罰を受けることなく済んだのですが、中にはレッカー移動されて連絡の

来る隊員もいたようです。

とんだ人騒がせな、止め忘れの車。

警察無線を聞いていた同僚隊員もよくナンバープレとの番号を覚えていたなと

感心する、それと興味がある分、無線の隠語にも詳しかったようだ。

とんだ昼下がりのドタバタ劇が警察無線の傍受から始まったのでした。





 あすは、目ん玉がひっくり返る!です。



 では、また。

2009年09月27日
クレペリン検査!
 おはようございます。

今日は、クレペリン検査です。

ここ最近では、あまり受けることがなくなった検査です。

以前は、毎年のように受けていたのです。

職種がらこうした検査が一年に数度・・・・・

ま、自衛隊だから仕方がないと言えば仕方がないのです。

その検査いかんでは配置替えの隊員もいるほどです。

去年適性が今一つでも、数年希望を出しているとかなう場合がある。

その年の検査に適性が認められることも少なくないのです。

航空機・・・といっても陸上自衛隊ですからヘリですが

操縦士としての募集も時々ある。

現職の一般隊員の中から適性のあるものを選び試験があるのです。

幸いなことに私には試験に受かるほどの能力がなかったため

危ない大空への職種の声はかかりませんでした。

過酷な訓練に参加するのもこうした適性検査を受け判断される。

中には、体力や知力があっても適正検査でダメになる隊員も少なくはないのです。

そんな一年に数度ある検査の中の記憶に深く残るものの中に

クレペリン検査があるのです。

ご存じの方もいるでしょう、数字の左右を足し算してゆく検査。

計算できた量もさることながらその曲線の出方にも判断する

材料が数多くあり一枚の検査で性格から能力精神力と様々な判断をせれるのです。

検査の前に、数多くできたものが優秀ではないことの説明もあるのですが

どうしてか2枚配布される隊員もいるのです。

よく聞いてみると職種が通信とあってかなり数字の計算には錬度を要する

ものがあるようなのです。

ほとんどの隊員が用紙の6割から8割の範囲でする検査を

2枚目を使わないと書ききれないのです。

見てみるとかなりの錬度、本来計算するはずの足し算が並んだ数字の下に

でたらめに数字を書いているようなのです。

しかし、検査ですから正確さも問われる。

でたらめに見えている数字も計算されているようなのです。

自衛隊の中にもいくつか特殊な職種もあるのですが

これも一つの能力、書くだけでも大変な検査で

ふつうは一枚のところ二枚の検査をするのですから

普通の人ではないのでしょう。

自衛隊の中でもまだまだ特殊な能力があるようです。





 明日は、警察無線!です。






 では、また。

2009年09月26日
インターバル!
 おはようございます。

今日は、インターバル!です。

ここ最近、自宅近くの河川敷をジョギングしているのです。

もう3ヶ月ほど頑張って走っているのですが、

昔の記憶と今の体力に差が激しい気がする。

ジョギングも、年月をさかのぼること4年。

始めた頃、のタイムは6分40秒。

自衛隊でいう体力検定の6級、前期教育を終了するまでに備えておかなければ

ならない体力の一番最低ライン。

しかし、年々タイムは悪くなり今では11分。

かなり体力の衰える速度が速くなってきた。

40歳を過ぎてから始めたジョギング、維持するどこか衰える一方。

それでも、最近は気力を振り絞り懸命にジョギングに励んでいる。

今では、距離も伸ばしやく5.5kを毎朝。

タイムはと言えば、34分前後、これでも今の自分では精一杯の早さ。

しかし昔と比べるとどうしても喜べない自分がいる。

まだ、年も25歳を迎えて間もないころ、7kのみかん畑を28分以内に走らないと

いけなかった時期があったのです。

しかも自衛隊の戦闘服に半長靴、背中には小銃を担いでである。

その頃の思い出があるだけにタイムの差が不思議なほど信じられないのです。

当時を振り返ると日々普通に生活をしていた時期よりかなり訓練を受け

自衛隊生活でも一番ではと思えるほど体力も気力もあったのは間違いない。

体重も今の60kgよりはるかに少ない43kg。

しかし、腕は今より太く胸の筋肉も今より隆々としていた。

違うのは今ほどお腹に起伏がない。

走り始めるとどうしても昔の記憶や気持ちが表れてくる。

少しでも前に追いつき一人でも追い越して自分のタイムの向上を

目指していた頃に、ただ違うのは体と気持ちがアンバランスなのです。

今でも時々思う事がある、インターバルを当時のように・・・・

300メートルトラックを一周50秒、これを10本約1時間30秒。

休むことなく酸素供給能力を高める、次第に走り始めから終わるまで

タイムのばらつきがなくなる。

来る日も来る日も毎日、インターバルの時間が、気持ち的にもつらくなる、

しかし、走りはじめるといつしか心の中の自分が出てくる。

周りに負けないよう、すこしでも周りについてゆく気持ちが・・・・

周りもみんな同じだったのだろう、誰一人口をきくものはなく

ただ一周50秒をつらいともいわず走る。

気がついたころには、一人の脱落者もなく全員が規定タイム内での完走で

教育を修了するのです。

まわりの環境も大きく影響する。

同じタイムのグループに分かれて初めて切磋琢磨ができたのだろう。

数ヶ月前、大阪の繁華街である人物と出会った。

その人物は大阪の人ごみの中をまるで縫うように素早い動作で駆け抜けた。

人間の早さとは思えない俊敏さで・・・・・

顔も後ろ姿もあの頃のまま、インターバルで鍛えた頃の

面影を残して足早に走りすぎた、元気そうな風貌、すれ違うとき、心持

微笑んでいたようだ。

彼もきっと気がついたに違いない。

お互い元気である事を確信したようです。




 明日は、クレペリン検査!です。






 では、また。

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