久しぶりの津波注意報

 昨日の夜は地震が相次ぎ、怖くて服のまま寝てしまいました(;^ω^A

 三陸沖の地震発生が6時9分。
 地響きがどんどん強くなって、家全体がゴゴゴゴと揺れ、最初はソファに座ったまま様子をみていたのですが、思わず久しぶりに掃出し窓を開けて避難路を確保。

 長い地震だったので、もしかして、とNHKを見たら津波注意報が!

 50cmの予想でしたが、3.9の時も50cmの津波で沿岸の養殖施設が大きな被害を受けました。
 せっかく復旧し始めた養殖施設が流されませんように。
 祈るような気持ちでした。

 田老出身で父と弟が行方不明の友人からメールが来ました。

 『地震に、津波注意報に鳥肌が立つ・・・。』という文に心が痛みました。

 今回の注意報で大勢の人たちが避難しましたが、 ただ単に避難しただけではないんだ、って。

 3日前に一周忌を迎え、あの日を想い、辛い気持ちの真っただ中にいる人たちが、津波注意報でまたあの津波の恐怖を思い出してしまったんだ、って。

 
 そのあと、今度は関東で地震が

 ちょうど娘がディズニーランドに遊びに行っていたので、さっき来た「そっちは大丈夫?」という娘からのメールの文面をそっくりそのまま送りました。

 大丈夫だよ〜という返事に一安心。

 
 今高1の長男が関東の大学を希望していますが、地震のことを考えるとこわいです(*´д`)=з

明日で1年

 少し暖かくなったかなと思うとまた雪が積もったり、まさに三寒四温の日々です。

 でも最近は関節の痛みもまずまずで、ちょっと穏やかな日々です。

 おとといは法事で親戚が集まり、ちょっと疲れました。
 (お義母さんが全部しきってくれたので、私は何にもしてないんですけどね)

 仙台の叔父はずっと沿岸部の復興のボランティアを続けているそうで、現地の話に聞き入ってしまいました。
 娘の嫁ぎ先が名取の閖上(ゆりあげ)で、当日もそこで地震にあったんだそうです。
 あわてて子どもをつれて若林区の自宅に戻ったところで津波が。
 仙台東部道路が津波を止めてくれて、なんとか家は助かったんだそうです。

 「今でも大きめの地震があるとうちに来るんだよ・・・。よっぽど怖かったんだろうなぁ」と。

 『仙台の親戚はみんな大丈夫だった』としか聞いていなかったので、とてもびっくりしました。
 そのまま閖上にいたら、そして東部道路がなかったら、津波にやられていたかもって。

 明日はいよいよ3月11日です。
 各地の慰霊祭には大勢の人たちが集まるのでしょう。
 私は家で静かに2時46分を迎えようと思います。

 でも、いつも思うんです。
 2時46分は確かに地震が起きた時刻だけど、津波はそのあとで襲ってきたわけですよね・・・。

 津波に流されてすぐ亡くなった方もいれば、かなりの時間が過ぎてから力尽きた方もいて。
 2時46分には、まだみんな生きていたのに、って、よけい悲しくなるというか、この時刻に違和感を感じてしまうんです。
 

 明日の夜は、我が家でも電気を消してキャンドルナイトをする予定です。
 あの時の使いかけのろうそくを使って。




3.11岩手・大津波の記録 〜2011東日本大震災〜
【制作】IBC岩手放送震災DVD制作プロジェクト

『まけないぞう』

 おととい、母がタオルで作ったぞうさんを持って来てくれました。

 近所の人たちで週1回おこなっているお茶飲み会で作ったそうです。


 は、鼻が曲がってる・・・(^_^;)ハハハ

 これは、『まけないぞう』 という手拭きタオルで、沿岸被災地での手仕事のひとつとして作られています。
 もともとは阪神淡路大震災の被災地で作られ始め、新潟県中越地震でも取り組まれたそうです。

 詳しくはこちらをご覧ください ↓ 
被災地NGO協同センター  被災者の生きがいづくり・しごとづくり 『まけないぞう』

 
 そしたら昨日、今度は義母から刺し子のふきんをいただきました。



 内陸部でも被災地支援の取り組みが行われており、手作り品の販売会があって、そこで買ってきたのだそうです。

 これまでにも3枚ほどいただいて、台所で活躍しています。
 どうしてこんなにまっすぐに縫えるんだろう・・・。素晴らしい!


 
 今週末には伯父夫婦の一周忌の法要があります。

 あの日から1年。

 犠牲になった方々に、「ここまで復興しました」とまだ報告できない現実。

 

揺れから身を守るために今欲しいもの

 昨日は地震が2時間おきにあって、また大きいのがくるのかとちょっとビビりました

 やっぱり家のあちこちが緩んできているのか、揺れを大きく感じるようになった我が家・・・。
 
 耐震性を一番に考えて建てた家なのに(>_<)

 家の中はあちこちで壁紙に亀裂が。


 ま、壁紙くらいなら気にならないんですが、中の構造がどうなっているのかが見えないのでちょっと不気味です

 でも、どんなに優れた家でもこんなに揺さぶられてはたまりませんよね。
 耐震補強していない家だったらなおさらです。
 これまではなんとか持ちこたえてきても、次にまた大きい地震がきたらどうなるかわかりません。

 
 そんな中、時々買い物をしているニッセンのHPで、気になっているのが、
 耐震シェルター型テーブル 299,000円


 揺れから身を守るために、とっさに机やテーブルの下に隠れますが、うちのテーブルは足が細く、天板も薄いんです(デザインで選んで失敗した〜)。

 3.11の時も、最後はテーブルの下でうずくまっていましたが、家がつぶれたらこのテーブルもやばいだろうなと不安でたまりませんでした。

 こんな頑丈で、中に食料などを備蓄しておけるテーブル、欲しいな〜とながめています。

 もっと値段が安ければ欲しいんだけどな・・・(*´д`)=з

 でも、古い家で耐震工事をする余裕はないけれど最低限の対策はしておきたい、という人にはいいかもしれません。

 さらに、いざという時に身を隠せない、寝たきりの方のベッドをすっぽり覆うようなシェルターがあるといいなあと思います。
 イメージとしては、ロマンティックな天蓋つきのベッドってありますよね。 

 こういうの ↓



 こういう形で、もっと骨組みが頑丈で、ちょっとやそっとじゃ壊れない天井がついているような形。

 介護者も一緒に避難できるような介護用シェルター。

 どっかの会社で作ってくれないかな〜。
 値段は、部屋まるごと耐震補強工事するよりも安く


 ・・・と書いてから、みつけました(;^ω^A

 ニッケン鋼機 『防災ベッド・介護用防災フレーム』 315,000円

 フジワラ産業『安心防災ベッド枠Bタイプ』 388,500円

 新光産業株式会社 WOOD LUCK 介護ベッド用シェルター 45万円

 自治体により補助制度があります。

「空より高く」〜心にしみる子どもたちの歌声

 震災後にテレビやラジオで何度も耳にした、子どもたち(幼児や高校生)の歌声があります。

 サビの部分が蛍の光のメロディーで

 君の心よ 高くなれ
 空より高く 高くなれ

と歌っています。

 『空より高く』という曲です。



 幼稚園児たちの一生懸命に歌う歌声は、どんなにかあの当時みんなを勇気づけたでしょう。
 私も、ラジオで流れるたびに涙を流しながら一緒に歌っていました。

 作詞:新沢としひこ
 作曲:中川ひろたか・スコットランド民謡
 うた:岩手県二戸市ちゃいるどスクール園児

   人は空より高い心をもっている
   どんな空より高い心をもっている
   だからもうだめだなんて
   あきらめないで
   涙をふいて歌ってごらん
    君の心よ 高くなれ
    空より高く 高くなれ

   人は海より深い心をもっている
   どんな海より深い心をもっている
   だからもういやだなんて
   背をむけないで
   見つめてごらん 信じてごらん
    君の心よ 深くなれ
    海より深く 深くなれ

   だからもうだめだなんて
   あきらめないで
   涙をふいて歌ってごらん
    君の心よ  広くなれ
    空より広く 広くなれ
     君の心よ  強くなれ
     海より強く 強くなれ

 震災後すぐにこの保育園から録音テープが匿名で岩手放送に届き、ラジオで流したところリクエストが殺到。何度も繰り返し流されてきました。

 そのエピソードをまとめたラジオ番組、『空より高く〜被災地に届け!園児の歌声〜』が今年度の日本放送文化大賞ラジオ部門でグランプリを受賞。
  IBCニュースリリース
 そして今日、この番組の再放送がありました

 もともとこの歌は卒園式に歌う歌で、この保育園でもそのために練習していたそうですが、震災後に園長先生が沿岸被災地の様子を子どもたちに話して聞かせたところ、歌声が一変。それを聞いた先生たちが、録音して被災地に届けたい、と思ったのだそうです。

 ただ、歌詞の中に『海』という言葉が何度も出てくるので、本当にこの歌でいいのか、と先生たちが相談していたところ、園児から「海より強くなれって言ってるんだから、いいんだよ!」と言われ、よし、送ろう、ということになったんだとか。

 歌わせられているのではなく、子どもたちが心から被災した人たちのことを思って、あるいは自分自身も励ます気持ちで歌っているから、この歌がこんなに心にしみるんだなと思いました。

 
 震災から9か月。
 今でも毎日のように地震があり、まだまだ震災は過去形にはなっていません。
 氷点下が当たり前になってきた今、当時の記憶がよけいに鮮明によみがえってきた感じがあります。
 沿岸被災地の方々のことを想いつつ、災害への備えをもう一度見直して気をひきしめていかなければ、と思います。

被災木を救うことは人の心を救うこと、なんだな

“想い”が広がるスペシャルクリスマスツリー プロジェクト 

日比谷花壇 想いが広がるWebスペシャルクリスマスツリー

 クリスマスツリーに想いを投稿すると、ツリーの飾りが増えていきます。
 集まった想いはクリスマス終了後にフィンランドのサンタ村のサンタクロースに届けてくれるんだそうです。
 さらに、『想い』1つにつき1円を、東日本大震災で被害を受けた名取市民有地の白樫の大木を救う活動費用として日比谷花壇が寄付します、とのこと。

 名取の白樫の大木って何だろう?と思い、調べてみました。

日比谷花壇 連載コラム「季節を彩る花物語」

 名取市杉ヶ袋地区の民有地にある、高さ約12メートル、推定樹齢100年以上の白樫の巨木。
 “明神の木”として親しまれていたのですが、津波による浸水で葉が落ち、枯れ始めています。
 樹木医の診断により、治療すれば助かるかもしれないということがわかりましたが、それでも元の姿に戻るには10年以上かかるのだそうです。
 所有者の森さんは仮設住宅暮らしをしながらも、なんとかこの木を救いたい、と願っています。
 今回、その想いを受け、日比谷花壇の協力で「名取市の白樫の大木を救おう」キャンペーンが始まったそうです。

 高田松原でたった1本生き残った『奇跡の1本松』は、被災後もずっと海水につかってしまって根がやられ、懸命の手当にもかかわらず、悲しいけれど保存は無理のようです・・・(´;ェ;`)

 でも、枝からの接ぎ木が成功しており、一本松の命をつなぐ試みが進行中です。

NHK NEWS WEB 生き残れ“奇跡の一本松”

一本松プロジェクト〜一本松に家族を増やそうプロジェクト

 地元の人たちの心の支えになっていた一本松が、もしかしてもうすぐ無くなってしまうかもしれない。
 津波にも耐えて、復興のシンボルになっていた一本松。
 地盤沈下で海水が入ってきてしまったのでは、この地でこのまま生き永らえていくことは無理なのでしょうが、やっぱり悔しいです。
 完全に枯れてしまえば、危険だということでたぶん撤去されてしまうんでしょう。
 それを地元の人たちはどんな思いで見るのか・・・。

 津波被害を受けた沿岸部では膨大な量の木々が倒されたと思いますが、かろうじて生き残った『希望の木』が倒れるのは、より大きな心の傷を与えるのではないかと切なくなります。

 震災は、まだまだ終わってはいないんですよね。

厳しい冬を目の前にして

 今年は暖かいなと思っていましたが、ついに最低気温が氷点下になり、朝には窓が結露で真っ白になっています。
 来週には雪も降りそうで、車のタイヤ交換を急がねばという感じです。

 今までは厚着でがんばっていましたが、昨日からこたつのスイッチを入れたり切ったりし始めました。
 
 沿岸の仮設住宅では、二重サッシや断熱材工事、ファンヒーター支給など寒さ対策をしているとはいえ、ニュース映像を見ると床下からの冷えでかなり寒そうです。
 考えてみれば、仮設を建てる時って地面に木の杭を打って基礎にしていましたよね。
 あれじゃあ下からの冷気がひどいはずです。
 仮設住宅で孤独死された方のニュースもあり、十分な寒さ対策(厳寒期だけでも内陸のホテルなどに再避難させるとかも考えて)をしてあげて欲しいと思います。

 震災から8か月。
 行方不明になっていた叔父の遺体が確認されました。
 DNA鑑定で確定したということで、遺体そのものは4月に発見されていたそうです。
 こんなに時間がかかってしまいました・・・。
 叔母はまだみつかりません。

 昨日の時点で、岩手県内の死者4665人、行方不明1427人だそうです。
 身元不明の遺体はまだ250人以上とのこと。
 1日も早く判明して、待っている家族のもとへ戻れますように。

津波の危険を後の世代にいかに伝えるか

 3月11日の大津波で行方不明になったおじとおばは、みつからないまま死亡認定を受けて葬儀を済ませました。
 被災地では時が止まったまま、つらい冬を迎えることになりそうです。

 
 『ここより下に家を建てるな』という石碑で過去の津波被害が伝わっていたことで、地域住民が助かった宮古市の姉吉地区。
 いかにして、未来に警告を伝えていくのか。
 年月が経つにつれて、記憶は風化して危険区域にも家が建ち、そしてまた大津波に流される。
 
 いつ来るかわからない大津波に備えて不便な暮らしをするよりも、『今』を便利に暮らした方がいい、という考え方をする人もいます。
 避難路を整備し、家は流されても命が助かるようにすればいい、という意見もよく聞きます。

 でも、今回の津波で「命は助かったけれど家も仕事場も流された」という人たちは「命だけでも助かってよかった、よかった」と喜んでいるのでしょうか・・・。
 これまで築いてきたすべてのものが一瞬にして失われた時、それでも前へ進もうという気持ちにみんながなれるのでしょうか。

 せめて、過去に津波が到達したあたりまでは居住禁止にするか、頑丈な高層ビルにするかして、生活のすべてを失うようなことだけは起こらないようにするべきだと思うのです。
 
 とはいえ、実際に住むのはその地域の人たち。
 どのような決断を下すのか、見守ることしかできません。

 そんな中、地元紙で紹介されていましたが、陸前高田市で『津波の到達点に桜の木を植えて、後世に伝えて行こう』という活動が始まったそうです。

桜ライン311

 陸前高田市青年団体協議会・認定NPO法人難民支援協会・一般社団法人SAVE TAKATAの三団体が主体となって「実行委員会」を設立。11月6日に第1回の植樹が行われます。

 市民から津波の最高到達点における桜の植え付け地を募集し、塩害に強い品種の桜を植えて『桜ライン』を作るというプロジェクトです。
 苗木の提供・協賛金とボランティアの募集を行っているそうですので、ご協力いただける方がありましたら、よろしくお願いします。

 防災のモニュメントとして、だけでなく、春には被災地の人たちの目を楽しませ、癒すこともできる『桜ライン』
 このプロジェクトが被災地全体、ひいては日本各地の「過去の津波到達地点」を結んで防災意識を高めるのに役立っていったらいいなと思います

そうだね、「家に帰ろう」

NHK盛岡放送局でやっている、「いわてみんなのうた」。

岩手在住のミュージシャンたちが作った岩手の歌が流れます。

7月から流れているのがLAWBLOW(ロウブロウ)の「家に帰ろう」。

この歌は大船渡在住で被災した彼らが作った歌で、これまでも地元のテレビでよく流されていました。

最初に聞いた時は涙が止まりませんでした。

外からの応援歌じゃなく、被災した本人たちの叫びがストレートに心に響きます。

今では、気づくと口ずさんでいます。

♪ いつか家に帰ろう
  いつか家に帰ろう・・・

ぜひ聞いてみて下さい。

NHKのHPより
「LAWBLOW(ロウブロウ)」は7年前に結成し、東北各県で活動している二人組。メンバーは菅原盾さん(32)と里見和哉さん(25)。二人とも大船渡で生まれ、働きながら音楽活動を続けてきましたが、東日本大震災で被災しました。
 そんな彼らが「被災者として、同じ被災者に今、"希望の歌"としてどんなメッセージを伝えられるのか」と考えた結果、完成した歌が「家に帰ろう」です。被災者だからこそ歌える復興へのエールソングになっています。



LAWBLOW アルバム 『 復興者 』 7/27発売


1.イントロ/2.家に帰ろう/3.思い出のあの場所/4.じゃあね。またね。/5.HOR☆SEN/6.君がくれたもの/7.STAND BY ME/8.僕らしさ君らしさ/9.手を伸ばして/10.たからもの/11.ルミナリエ/12.思い出のあの場所〜remix〜 feat.TATE (TATE&MARKIE・夜光虫) / DABDE (GAMISM)

あの日の朝に

 昨日、居間を片付けていたら、震災後に棚の物を詰めたままにしていたダンボールの中に、3月11日の地元新聞があるのをみつけました。

 あ、あの日の朝の新聞だ・・・。
 どきどきしながら広げてみました。

 1面には
 「いかだ100台超破損、移動
  三陸沖津波で沿岸4市町 県内余震相次ぐ」
とあります。

 9日に起きた三陸沖地震で60cmの津波が来て、カキやホタテの養殖いかだが流されたのです。
 それでも、去年2月のチリ大地震津波に比べれば被害は小規模だった、とあります。
 養殖施設の確認・復旧作業が続いていて、
 「余震が続き、いつまた津波が来るかと不安で眠れない。津波はもう来ないでほしい」という大船渡市漁協の方の声も載っています。

 余震とみられる有感地震は10日午後7時までに36回になり、盛岡地方気象台のコメントには、
 「活動は徐々に収まるとみられるが、今後1週間程度は震度4程度の余震の恐れがある」とあります。

 「指定場所へ避難ゼロ」という記事も。
 「9日の津波注意報発令で、普代村は避難勧告を出したにもかかわらず、指定避難場所に逃げた住民は1人もなかった。多くの住民は高台のほか、防波堤より山側の自宅に待機したとみられる。村は安否確認ができる指定場所への避難が望ましいとしており、あらためて勧告後の行動について周知する必要がありそうだ。」

 今回の震災では死亡0、行方不明1という沿岸市町村で最も人的被害の少なかった普代村。ちょっと複雑な心境になります。

 あとはごく普通の記事が載っていて、この日も普通の1日になるはずでした。

 だから私もあの地震が来た時、また余震だと思って初めのうちは立ち上がろうともしなかったんです。
 余震だったら、9日の時の揺れより大きくなることはないって思ったから。

 今こうして当時の新聞を読んでみると、あの時、余震と津波におびえながら養殖いかだの復旧作業をしていた漁師さんたちも多かったのでは、とせつなくなります。

 そして、気象台のコメントを見て、本当にまったく予知できないものだったんだろうか・・・と悔しい思いです。


 震災後の新聞は全部とってありますが、この3月11日の新聞もとっておこうと思います。
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