たった一つの大事な“ピース”に出逢える人生でこそ

『ALWAYS 三丁目の夕日』が好評ですね。
拙ブログでも、「とんび」や「ゴールデンスランバー」に触れ、雑感を書かせていただきました。
私の琴線に触れるという点では、これらは同じ方向です。


一方、言い古された表現ですが、今はよくも悪くも価値観が多様化していますし何でもありの時代とも言えますね。

『へぇ〜こんなものあるんだ』『おおっ、これは面白い』と、
人さまの新しさに、私自身も驚かされたり楽しませてもらったりしています。


ところがその反面、“本来持っているもの”が何なのかがわからなくなっちゃた現代人も少なくないのでは?…と。

ある一面、人はこういう映画やドラマを通じて、実はそれを探しているのかもしれません。たかが映画というきっかけですが。


どんなことであれ「発見」は素晴らしいですね。
それが「感動」であれば、更に素晴らしい。
その小さなきっかけが、大きな原動力になることだって多分にあります。
他人にとっては何でもないことであっても、処方箋は人によって違いますからね。

パズルのような人生にあって、そこで探しているピースも違う。
あれもこれもじゃなく、そのたった一つの大事なピースにこそ出逢える人生でいたいものですね。



“昭和”の香り

堤真一の主演・NHKドラマ「とんび」、こりゃ秀作だった。
古き良き時代…というか、この主人公の息子が私と近い世代ということもあって、感情移入してしまった。
(ブルーレイに保存した。時代の移りかわりでどう受け止めるかを、数年後また観ようと思う。)



原作「とんび」 重松 清

とんび (角川文庫)

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〔物語〕

昭和37年、瀬戸内海の備後市。
主人公「ヤス」は、愛妻と幼い息子と3人暮らし。
我が子の成長を見守り、幸せを噛みしめる日々。

幼い頃に親と離別したヤスは、やっと「家族」の温もりを手に入れた。
しかし、突然の事故で愛妻を失う悲劇が襲った。

戸惑い、苦しみ、不器用ながらも、我が子の幸せを第一に考え、
懸命に息子を育てるヤス。
口は悪いがどこか憎めない、その主人公ヤスと、
“とんびが鷹を産んだ”というような息子アキラ。

そして昭和のよき時代の、温かい周囲の仲間たち。


「たぶん、こんなふうな物語なんだろうな」と想像できるドラマ設定。
はい、その通りでした(笑

でもね、「しまった!」と思うぐらい急所に突き刺さったよ。
なんて素晴らしい連中なんだろう…、 そう思った。

なんかね、地域みんながアキラを温かく見守っているかのようだ。
和尚の温かく深い言葉もよかった。
年長、そして地域のよき相談相手としての存在感が光る。

職場の仲間、友人が「自分のこと」は後回しにしてまで大切にするかかわり。
喧嘩もできる。愚痴もこぼせる。
笑うことも、泣くこともできる。

そんな昭和のセピア色が今、こうやって描かれることが多いのは何故か?

・・・わかるよ。


『俺までそっちに行ってしまったら、お前が帰れる場所が無いだろが。』

東京に来ないか、という息子夫婦にヤスの返事。

帰れる場所・・・
これ、大事なことかも。



今、モノにあふれる時代。
だけど、昭和のあの日に忘れてきた何かを、取り戻すことが必要なんじゃないかな。



さて、そんな皆さま、  心に余裕はありますか?(笑


昭和には、こういう歌があった。


河島英伍
「時代おくれ」

作詞 阿久 悠
作曲 森田 公一
(昭和61年)


 『一日二杯の酒を飲み  さかなは特にこだわらず
 マイクが来たなら微笑んで  十八番を一つ歌うだけ

 妻には涙を見せないで  子供に愚痴をきかせずに
 男の嘆きはほろ酔いで  酒場の隅において行く

 目立たぬように  はしゃがぬように
 似合わぬことはむりをせず
 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい

 不器用だけれどしらけずに  純粋だけど野暮じゃなく
 上手なお酒を飲みながら  一年一度酔っ払う

 昔の友にはやさしくて  変わらぬ友と信じ込み
 あれこれ仕事もあるくせに  自分のことは後にする

 ねたまぬように  あせらぬように
 飾った世界に流されず
 好きな誰かを思い続ける  時代おくれの男になりたい

 目立たぬように  はしゃがぬように
 似合わぬことはむりをせず
 人の心を見つめつづける  時代おくれの男になりたい 』



うむぅ…
最近はないな、こんな歌詞。 
昭和の香りだ(笑

実は若い頃、遅まきながらこの歌を初めて聴いた時、強烈な衝撃を受けた。
なんだか自分でもよく分らないだけど、急に何かがこみあげてきて、
誰もいないところへ移動して嗚咽した。
ちょと恥ずかしい話なのかもしれないけど…、ね。

不器用でね。
要領ってーのができないタチだった。
アホなんですわ(笑

気を張っていたんだと思う。
それがまる決壊したダムのようにあふれ、そして流れた。
若い(当時の俺ね)くせに、オッサンの歌で涙まで流して…(笑
いろいろ抱えていたし、「将来」ってもんが見えなかった。

少々複雑な家庭で育ったせいもあり、私も“何気ない普通の家族”にあこがれていたのかも知れない。
このあたり、“ヤス目線”か(笑

不思議なもんでね。
すうっと導かれるように…
そう、まるで敷かれたレールを走る列車、それも各駅停車だ。
涙あり、笑いあり。
その私の人生の列車を走らせていたのが、このかけがえのない妙法だった。

「きっとこのトンネルには出口がある。」

見えないけど、この線路を信じていた。
今ある何気ないこの幸せが“あたりまえ”なんだと思ったことは一度もない。
実際に、祈って、誓って、動いて… 今がある。

不器用な自分、嫌いじゃない。



ありがたいことに、我々は「宿命を変える」というチャレンジができる。


“伝え方”に、無理は要らない。
不器用なほうが、その分、懸命さが光る。

自分らしくゆこう。


職業上の恩師、初めての褒め言葉

幸いなことに、私には職業上の恩師がいる。
恩人ではなく、恩師だ。

その恩師が、どこかで私の“あの件”を耳にしたのだろう。
ある人にこう語ったそうだ。

『そうか、それはよくやった。』
『育てた甲斐があった。 あんた、十分に褒めてやってくれ。』

ん? その“あんた”に「褒めてやってくれ」って言っている。
当人は褒めないらしい。
やはりな(笑
まぁ、しかし「褒める価値あり」と認めてくれた。これが嬉しい。

“あの件”とは、実は業務上のある功績のことだ。
このたび、重大な問題を処理することができた。
自分でも褒めてやってもいい(笑

実はこの恩師、めったに人を褒めない。
私も数年“師事”し、多くの薫陶を受け、それなりに一人前にしていただいた。
おかげ様で実績を残してきた。

この恩師がいなければ、今の私はない。
けっして軽い気持ちで表現したわけではない。事実なのだから。

今回の一件で「喜んでくれていた」という事が、何よりも嬉しい。
これを聞いて、嬉しくて嬉しくて、熱いものがこみ上げてきて、少し泣けた。

あの言葉だけで十分だ。


思えば、本当に厳しかった。 
それに応え続けたが、“退任”されるまで、とうとう一度も褒められなかった。
『全て教えてある』…ただそれだけを語っただけだった。

まさに歯を食いしばってというに等しい薫陶だった。
ただただ厳しいだけではない。
厳しい状況下、何故“耐えられた”のか?

一つは、「厳しい理由」を語っておられたから。

当時の私は、とても中途半端な対応では、何ら自らの諸問題を解決できるものではなった。
ゆえに恩師は『腹をくくれ!』…と。
目標は明快だった。
『お前を一人前にする。』
『会社は変わらんといかん。次世代を背負う人材になれ。』
『そして、おのずとお前の経済環境についても変えられる』と。

私は『なくてはならない人に』『必要とされる人材に』という学会指導を思いだした。


さて、もう一つの理由は、そのことを指導くださる“人生の師匠”の存在だ。

その池田先生は、恩師戸田先生へ“付き切っ”た。
これを思い起こし、お手本としてきた。
いわば、その“人生の師匠”の言うとおりに社会での実践、…である。


「恩師」という形で諸天は動いた。
私は期待に応え、結果を出してゆく。
この歯車を動かすには、目的が大きなエンジンとなる。

ただの一度だって忘れたことはない、大願。
まだ終わってもいない、歩み。
これからも、なお。
ただただ、『大願とは』である。
そのための「一コマ」であるがゆえに、護られる。



少しご紹介したい。

池田先生が、学園の卒業式のスピーチでの和やかな会話の中、
ある生徒の質問に答えた。

親御さんや周りが驚く質問だったのだが、先生は笑顔で答えた。

『戸田先生の弟子になって後悔はしませんでしたか?』(一同、ゲっ!)

『そりゃ、後悔だらけだったよ。
 戸田先生に莫大な借金ができてしまい、周囲にいたみんなは皆逃げてしまった。
 誰ひとりいなくなり、自分ひとりが働いていた。
 勉強もしたかったし、大学にも行きたかった。
 でも、全てをなげうって宿命転換をすると腹を決めたんだ。
 それが師弟というものなんだよ。』



さて、また朝日が昇るだろう。

夜明けが近いほど闇夜は深いそうだ。

努力は嘘をつかない。

『変えるぞ』と決める大切さ。

ニューヨークで最も貧しい地区に生まれ育ち、一家離散、ホームレスという壮絶な少女期を過ごしたのち、ハーバード大学卒業を成し得た女性の実話をテレビで知った。

抜け出すことなど不可能な、ただでさえ最下層の生活。
父は職にありつけず無職。一家を支えるのは僅かな生活保護費。
それでさえ、母の麻薬代へと消える。

学校へは行っていた。父の口癖は『学校へは行くんだ。』
拾ってくる本を読むのが日課の父。
彼女は学校へは行くが、貧しい家庭の子が集まる地区の学校でありながら
その中でも一際貧しいゆえ虐めが酷い。教室からは遠のいてしまう。

そうであっても、成績は良かった。
娯楽というものなどない彼女は、父が拾う本の中の百科事典を貪るように読んでいるからだ。

その彼女に更なるピンチが訪れる。母は薬物中毒がもとでエイズで亡くなり、
追い討ちをかけるように、滞納がかさむ家賃で家から出てゆくことを要求されたのだった。
住むところを失った一家は離散した。
彼女は幼くしてホームレスになった。
生きるのに命がけだった。物乞い、残飯あさり、万引きもした。

この街でホームレスになった者のその先は、男は犯罪に手を染め、女は売春婦が殆どだった。
絶望の日々が続く少女。『私も母のたどった道を歩むのか…』
転がり落ちる寸前だった彼女に、父の言葉が浮かんだ。

『学校へは行くんだぞ。』

転落へ今一歩のところを、父の言葉が救った。

『この人生をなんとしても変えたい』
そう彼女は心から思い、立ち上がった。

それから彼女は、入学金の要らない高校の存在を知り、半ば押しかけのように門を叩いた。『私を入学させてください』
あまりに突然のことに断わられたが、それを救ったのがある男性教師だった。
彼女の熱意に『来週から学校に来なさい』と言った。

自身がホームレスであることを隠していた彼女。
入学へのハードルに新たな障害が起こった。
住所と連絡先、そして保護者の承認だった。
同じくホームレスだった父を探し、知人の協力をも得てそのハードルは越えることができた。

長らくのブランクは、いくら頭の良い彼女でも、いきなり高校の授業についてゆくのはきわめて大変だった。
放課後はアルバイトにゆき生活費を稼ぎ、僅かな時間をも惜しんで勉強した。
そんな彼女の体を按じ『四年あるじゃないか』という先生。
彼女は『二年で卒業したいんです』。
やがて彼女は学年で一番の成績になっていった。

ある時、転機が訪れる。
男性教師が、学校で成績優秀の十人を引きつれ、ハーバード大学を見学にゆくという。
そこで彼女が目にしたのは、自分が生まれ育った貧しい街とは違う、素晴らしい光景だった。
『私、ここへ行きたい。行って全てを変えたい。』
『君なら必ず行ける。』

やがて、夢が実現しようとしている彼女に、あまりに厳しい現実が待っていた。
ハーバードは卒業まで一千数百万円の授業料が必要なのだった。
とても彼女に用意できる金額ではなかった。

途方にくれる彼女だったが、男性教師はある奨学生への応募を勧めた。
ニューヨークタイムズ誌が新しく募集するこの奨学金があれば、大学へ行くことが出来る。だが、極めて高い競争率の難関中の難関だった。

選考委員が注視するなか、「何を変えたいのか」というテーマに答える彼女。
暫くの沈黙ののち、とうとう自分が歩んだ壮絶な道を語った。
驚き聞き入る選考委員たち。
そして彼女の奨学生が決まった。
これはけっして悲惨な人生への同情ではなく、彼女の魂の叫びが彼らを動かしたのだ。

このことで全米が知る事となった。
やがて彼女は優秀な成績を残しつつ、慈善活動に身を投じる。
『この街で育ったことを後悔はしていない。』
ここで育ち、経験したことが私を謙虚にしている。』
そして『誰もが人生のやり直しができるように』と、貧しい人たちの学校設立に尽力した。
彼女の歩みは、人々に感動と大きな勇気を与えている。

彼女はこう続ける。
『人生はけっして環境では決まらない』


.......................................................................................................................


僭越ながら私もそう思う。
彼女のような壮絶な歩みではないにしろ、またカラーの違った自らの体験が
この言葉を「確信」へと導く。

彼女は「努力」した。
先ずはこれが最も必要なことだ。

そして、『変えたい。』
この本物の決意が勝負を決する。

本物の決意をした時、勝利はもう決まっている。
勿論「本物の決意」とは、ただ単なる「望みごと」ではなく、
勝つことを自ら誓う、不退転の決意のことだ。

仏法は「因果具時」を説く。

それほどの戦いを誓えるか?
“変えたい”のなら、もうそうするしかないんだ。

逃げない心を彼女から学ぶことができる。
勿論、彼女は学会員ではないけれど、
このエピソードに出会い、そして自身の確信に変えてゆけるイノチこそ、
大きな福運だ。


私自身の“人生の転機”から十余年。

思えば、これも波乱万丈というのだろうか。
複雑な家庭に育ちながらも、それを受け入れた少年期だった。
境遇に、諦め感からか『環境は変えられない』と思った。
不安ばかりだったが、好んで使った言葉は“未来を拓く文字”だった。

体のハンデを恨んだこともあった。
暗闇の中でつかみかけた道は、いとも簡単に失った。
大きな挫折を味わった。何度もくじけそうになった。

トドメは、経済追い詰められ、家族のために自らの死をもって、
お金に換えようかとも思ったこともあった。

哀れな姿が情けなかった。
『俺は社会から必要とされない人間なのか?』

その私を救ったのは家族だった。
そして決意したんだ。

『絶対に変えるぞ』『断じて変えなきゃいけないんだ』と。

それだけが全てだった。
へたな信念などそこにはない。

一進あれば一退も付きまとう。
それでも諦めないでいた。
やがてその「一退」らが、深い意味を持つことを知る。

変毒為薬とは「後」でわかること。
点ではなく、線で描くんだよ。

そして、今がある。
それらあらゆる環境が「今」を作った源だと思っている。
未来を創る基だとも思っている。

あれら悩ませたものたちを、感謝と思えるようになった。



悩んでいる人がいたら、聴いて欲しい。

人生は「掛け算」だ。
だけど、貴方がゼロじゃ、何を掛けてもゼロのままだ。


一進一退でもいいからね。


小さくていい。自分の歴史を創ろうよ。




男女の性差と学校教育

我が国の新憲法下では、男女が平等になり、性差による差別が禁止されている。
一部私学を除き、公立学校教育では男女共学がスタンダード。
そんな中、最近になって欧米で男女別学が再評価されていることが伝わると、少し議論になった。

「理解」の仕方などに、男女に性差があることが発見された。
勿論、その性差というのは理解の「処理量」の優劣のことではないよ。
それぞれの特性に応じた教育環境のもと、その特性を伸ばすことを主眼として、
男女別学の良さを見直すべきとの考えのよう。

これに対し、男女別学に疑問視する人たちもいる。
男女の特性があることは認めつつ、「だから別学の方が効率的」と短絡的に分けるよりも、特性の違う子どもたちが同じ空間で学び合うことの教育的意義を重視すべきとの主張。

さて、女子教育に対するイメージには何を思い浮かべるだろう?
一般的には茶華道、しつけ、身だしなみ…か。
「らしさ」という固定されたイメージに基づき、だったらこういうのが「(女子)教育」なんだろうというところが出発点なのかもしれない。
しかし、このイメージ自体が「思い込み」なんだろうけど。
こういうのが“ナントカ運動家”のご婦人に叱られるんだろうね(笑
ま、それはそれとして。

どこかで観たこんな二つ実験結果を思い出した。

幼い子供たちを男女に分け、それぞれに大きなブロックのおもちゃを与える。
すると、男の子はそれぞれにブロックを手に取り、あるいは取り合い、あるいは一人でそのブロックと戯れだしたり、ひとり何か“作品”を考えたりしていた。
しかし女の子は違った。なんとお互い協調しだして、何かああでもない、こうでもないと、“合作”が出来上がりそうだった。

もう一つの実験では、見知らぬ者どうし、数人づつ男女別のグループに待機させられた。男性陣の部屋は時間がどんどん経過しても互いに何も喋らないでいる。これに対し女性陣はやがて徐々にお喋りの輪となった。
この二つの実験でも明らかなように、男性は距離を置き、女性は距離を詰める。

うんうん、恐るべきご婦人方のパワーにいつも圧倒されているけどね、こういう実験データからも見えてきた(笑


さて男女平等社会であっても、学校教育、とくに私学において、その性差を念頭に男女別学を推進することは今もってけっして少数派ではない。
ただ、いろいろ見渡しているとその理由がいろいろあるようだ。
いわゆる進学校では、思春期ということもあって「勉強に集中させる」といったもの。
この予防的な面と、あとは男女の性差による学習法の違いからというもの。
これは「男の子らしさ」「女の子らしさ」という点ではなく、冒頭に記した「理解の仕方」のメカニズムに差があって、そこに科学的に取り組むことによって、より高い学習効果を得ようというものだ。

方法によって効果、つまりは「効率化」ととらえ、先に紹介した人たちはそこに異義を唱える。
そんな「性差」をも分った上で、一緒に学ぶことのほうに価値を置く考えだという。

学校(ここでは主に私学)によってその結論への導き方は違う。
最上位進学校にとっては実績が生命線だから、いかに結果を出すかそこは重視される。
だからといって、効率化即、男女別学とはならないが、現状では関西の最難関進学校は男女別学が圧倒的だ。

全てが全てこの「効率化」(当事者は言っていない)を理由にしているわけではない。
例えば、『由緒正しく、女子教育に努める』といった伝統校の思いはぶれない。
いろいろお話を伺えば唸らせられる。

実は少子化によって生徒集めに苦慮している学校も多い。
最難関進学校間の競争に敗れた学校、あるいは中堅校では、やむなく共学化になってゆくケースがある。
そんな中、頑なに女子教育をまもり続ける学校も少なくない。もっと評価されるべきだ。
一方、思春期ゆえに男女間のいざこざを不安視することを理由に別学を選択する人もいる。とはいっても個人差もあるので、やや不確実な環境対策といった程度。
やはり、学習効果のみならず、性差のよき面を伸ばす教育に期待する声が大である。


独自の教育理念を持つのが私学だ。
とくに我が国の女子教育は難しい環境に置かれていた。
「男女の役割分担」といった、“日本風”の教育思考だ。

そこから脱却した次は、
女性が男性社会に組み込まれるだけではいけない。
男性化するのが女性の復権でもない。

女性の視点を持った世界観。
女性としての思想を育てるべきである。
それが性差を尊重する教育だ。


我が人生の師匠であり、同時に学園創立者である先生が
当時女子学園として設立された関西校開校時に語ったスピーチは、教育にかける信念がにじむ。


『私が今から皆さんに望むことは、
「他人の不幸の上に、自分の幸福を築くことはしない」という信条を培っていただきたいということであります。
すべてにわたって、この心を持ち、実践していったならば、まれにみる麗しい平和な学園が実現するでありましょう。
地球は大きく、この学園は、その地球からみれば、ケシ粒ほどのものであるかもしれない。
しかし、原理は一つです。
皆さんのささやかな実践は、そのまま人類の平和への軌道に通じ、
やがて地球をも覆う力を持つはずであると、私は確信したい。
そして、平和の戦士の卵が、この学園から陸続と育っていっていただきたいのであります。』



茶華道、しつけ、みだしなみも大事だが、それ自体が女子教育ではない。

そして何よりも、
男女平等、男女同権といった政治スローガンと、
若者の教育を混同してはならない。



我が娘は来年、初めて自らの人生のひとつの選択に挑む。
どこを選んでも親として尊重したい。
成長を見守ってゆきたい。


大丈夫、努力は嘘をつかないよ。

がんばる娘に、この詩を。


『高層ビルの屋上で、もしそこに柵があれば、その安心感から、
人は足がすくむことなく、ギリギリまで行って景色を見ることができる。
その柵に触れていなくても。

がんばるのは君で、僕は応援するだけだけど、
たとえ思い込みだっていいから、その柵のような安心感を与えられたら、
それが勇気に変わると思うんだ。

君にとってのそんな存在になれたらと、いつも思っている。いつも。』

映画「ゴールデンスランバー」

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、「ゴールデンスランバー」という映画があります。
昨年末、TVで放映されたものを録画していたのですが、やっと今年になって観ました。

首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の、二日間に亘る逃亡劇を描いた原作作品の映画化です。


原作:伊坂 幸太郎 著「ゴールデンスランバー」 

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(2008年本屋大賞受賞、第21回山本周五郎賞受賞作品)


映画の予告編。

映画「ゴールデンスランバー」の解説が載った、あるブログ。


映画中、登場人物の間で「学生時代」が多く語られます。
首相暗殺犯に仕立て上げられた男の逃亡劇という奇想天外な展開もさることながら、
この学生時代の描写に、どこか共通する何か深い味を感じた映画でした。

映画を彩るものの中に、このビートルズの曲が使われたことは、
単なる挿入歌というより、映画の柱となったのは言うまでもありません。
私は、いわゆる「ビートルズ世代」ではありませんが、
若い頃、その魅力に引込まれた一人です。


斉藤和義 〜 「Golden Slumbers」、映画「ゴールデンスランバー」収録曲。


勿論、オリジナル曲はこちら。

Golden Slumbers  / ビートルズ

歌詞・和訳

※おまけ:ポールマッカートニー秘話・ゴールデンスランバーの基となった詩


さて、クライマックスの花火のシーンにこの曲が流れたとき、映画のストーリーを越えた「それぞれの“あの頃”」を感じ取った方も少なくないと思います。
何故がジーンときて、どうしようもない気持ちになりました。

また、この映画にはどこか忘れられない珠玉の台詞が散りばめられています。
勿論、言葉の前後の場面あってこそ伝わる言葉なので、うまく伝えることは出来ません。ごめんなさい。

でも、仲間はみんな主人公を信じているんですよね。
その言葉ひとつ一つが「ウン、ウン」と響く。


世の中…というか、人生って、なかなか他人に“理解されない”ってことがあります。
伝えきれないもどかしさ、誤解の苦しみ…。
他人との距離感の違いに苦しむ人も少なくないと思います。

めげちゃいけません。
映画でも言ってました。『人間、生きていてナンボだ。』です。
たとえ、昨日まで失敗だったとしても、明日にはまだ失敗はありません。
それだけでも生きる価値があります。

きっと誰かが応援してくれていますよ。


主人公の親父さんがマスコミを前に放つ言葉もまた、
私にすれば、我が子への思いに共通するものがあります。

『俺が一番知っている。』
『もっと知っているのは、こいつが腹ん中にいる頃から知っているウチの女房だ。』

なんだか、亡きお袋に再感謝です。


けっこドタバタの娯楽映画だったのに
観終わったあと、何故か静かになれる映画です。
歌がずっと頭の中を流れる中、一杯のコーヒーを味わいながら余韻に浸った映画でした。

行く年、来る年

いよいよ今年も余すところ、残り僅かとなりました。

今年は私たち日本国民にとって大きな意味を持つ年となりました。
未曾有の大災害がもたらした意識改革。
この先、私たちの生活に与えた影響は計り知れないものがあります。
多くの方々の尊き命の犠牲は、この国と国民の努力によって豊かな社会を築いて報いてゆかねばなりません。
身近なできることからではありますが、庶民なりに精一杯にこの出来事の意味を考え、行動し、そして伝えてゆこうと思ます。

これまで私たちは、過去の反省からあまり「国のために」という概念が薄く、アレルギーのようなものがあったのかもしれません。
国家主義の嵐が吹き荒れる中、個人の人権が排除されてきた歴史が、その後の教育においては、個の主張が大きく育てられた反面、こんどは逆に「公」「国」の存在が他人事のようになっていったような感じでしょうか。 
しかし近年、相次ぐ災害を機に少しづつ変化をもたらしました。

国家主義から個人尊重、そして個人尊重から「自他ともに」へ。
今、困難を乗り越えた絆が積み重なりあったこの社会の中で、
「自他ともに」という価値観が大きく育ちゆく時代なのだと思います。


さて一方、大阪の話です。
世の中は閉塞感に満ち溢れ、その鬱積したパワーはこの大阪で1つの変化を生みました。市民は、新しいリーダーのもとで既成勢力の一掃を選択したのです。
一連の流れの中、ある既成勢力(はっきり申し上げますと、市職労の人です。)は、『小泉改革と同じ、弱者切捨てだ』と言い放ちました。でも私は違うと思います。
この市民(私も市民です)の望むことは、単なるセーフティネットではなく、「公平な“果報”」なのだと思うのです。
つまり、例えば「同じ仕事をして、何故こんなに給料が違うの?」という素朴な思い。
いわゆる官民格差や既得権益への怒りです。

残念ながら、このことが前出の市職労さんには理解できていませんでした。
自分たちの得ているどこか特別な状況には一切メスを入れさせず、「弱者を救う」という“花火”を打ち上げている。
たしかに社会的弱者は皆で手を差し伸べてゆかねばなりません。
限りある予算をうまく使ってゆくのは為政者、また行政者の責務です。
ですが彼ら(市職労さんたち)のそれは、どこか自分たちの権益を確保しながら発信している言葉にしか見えません。
多くの勤労者の不満は、そういうところにあると思います。
誰しもタダで楽をしたいと思っている者はいないはずです。仕事の難易によって報酬が違うことも十分に理解しています。
ですが、「同じ働きであるなら、それを公平に評価して欲しい。」…そんな声が新しいリーダーの提案する「全てリセット」に共鳴したんだと思います。

この先、大阪市役所は多くの改革がもたらされることでしょう。
あの選挙を通じてもなお知り得なかった役所の驚愕の事実を、今になって知った人も多いと思います。
新しいリーダーの手腕に期待しつつ、その「原動力」であった私たち市民もその自覚で向き合ってゆかねばならないと思います。

それにしても、今年の“一票”の行使は痛快でした。
新しい年も一層厳しい世の中になることでしょうが、
だからこそ、皆それぞれに頑張ろうという気持ちは十分にあると思います。
国民性でしょうか、それが私たち日本だと思います。
耕して実りを。
そんな努力を欠かさず、来年も自分の仕事に精一杯向き合ってゆきたい決意の大晦日です。

おせち料理はいいですね。

「おせち」を用意しないご家庭が増えているんだってね。 時代だね。

子供の頃、親から「一つ一つが意味があって…」と教えられたもの。

何につけだけど、
最近は“その意味が持つもの”といったのを大事にすることが、
だんだんと薄くなっていってる気がする。


親からいろいろな事を聞かされたとき、
『昔の人は偉かったんだね』といった感想を返した頃が懐かしい。

自分が親になった今、果たして両親のように
子供たちに『へぇー』と言わせることができる親なのか?
残念ながら、教わった事を覚えていない事が多いな。

でも、四季折々の節目節目のことは、せめてカタチだけでも
継承してゆけたらいいね。

コンセプトは「持続」。年末恒例、「一年間頑張った賞」を娘に。

当然ながらクリスマスを祝う習慣は無いんだけど、
毎年、クリスマスの時期に世間の“プレゼント空気”に倣い、
我が家では子供に「1年間頑張った賞」を授与する。

コンセプトは「持続」。
一過性のものではなく、続けたことに対しての賞賛ね。
持続の大切さを説いているつもり。
ま、子供ですから、物で釣ると目くじら立てないで(笑

具体的なチャレンジ事項は割愛させていただくが、
今年も厳しい審査を見事クリアし(365日、一度も欠けてはいけない)、授与。

何を賞品にするかは女房まかせで、娘へのプレゼント。
いやぁ、びっくりした。
正直、あまり与えたくないもの。

まっ、いいか。

それでも自己管理してくれるものと信じることとしよう。
嬉しそうだったし、ね。


明確な大目標に向かって、日々頑張っている娘へご褒美。
がんばれ、体こわすなよ。
父母より。