何かが違う。  〜ある著作引用文の削除に思う。

たまたま、たどり着いたある創価学会員氏のブログ。

転載をお許しいただきたい(笑


こういうくだりがあった。
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ある学会員の方からのメッセージで、御義口伝の
各段のまとめページにある池田先生の講義からの
引用について、「著作権侵害にあたる可能性がある」
との指摘があった。

(中略)
この引用は、もちろん丸写しではない。
段によっても異なるが、量から言えば、全体の
10分1程度の量を引用した。
講義の中から、重要箇所としてアンダーラインを
引いた箇所を抜き出したわけだが、結果的に
結構な量になってしまったことを気にはしていた。

(中略)
池田先生の素晴らしい御義口伝講義が絶版と
なっていることを残念に思っての引用であったが、
結果として違法行為をしていることになっては
意味が無い。

ブログ閲覧はここをクリック
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ご本人は反省され、既に削除された模様。
ゆえに削除前の状態はわからない。

晴れて「違法状態」は脱することはできた様子。 
なるほど、法の秩序、学会員が振る舞うべき社会的正義は保たれた… というわけか。


むぅ、それを読んだ我々は『よかったね』『万々歳』となるだろうか?

どことなく気分が悪いのは私だけか?


私自身の職業上、コンプライアンス遵守にはかなり厳しい立場を取る。
法令順守、著作権の侵害や個人情報の取り扱いについて …等々、

相当厳しいよ。


たかが個人ブログだからって甘くみてはいけないし、
信心のことなんだからって、何やってもイイってことはない。

ただ、個別判断だ。
ゆえに“診断”されたんだろう。


では、個別に考えてみた。

著者(池田先生)は、御義口伝を講義する上で“著者”の了解を得ていただろうか。
まぁ、これは屁理屈である(笑


先生の目的とするところが、売り上げであったり情報の独占ではないはず。
あくまで“魂の伝染”“魂の継承”であるところを考えれば、
営利を伴わないブログに一部転載、引用には寛容であっても著者は怒らないのではないか。
出版社(聖教新聞社、潮出版等)が巻末であえて釘を刺しているのも、そのような想定以外への悪用を防ぐためだろう。

騒いで“事件”に仕立てるのも、この手の“善意の忠告者”である場合も、しばしある。



本日、5月3日

魂の継承、私たち自身の5.3となさん。




なるほど
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たった一つの大事な“ピース”に出逢える人生でこそ

『ALWAYS 三丁目の夕日』が好評ですね。
拙ブログでも、「とんび」や「ゴールデンスランバー」に触れ、雑感を書かせていただきました。
私の琴線に触れるという点では、これらは同じ方向です。


一方、言い古された表現ですが、今はよくも悪くも価値観が多様化していますし何でもありの時代とも言えますね。

『へぇ〜こんなものあるんだ』『おおっ、これは面白い』と、
人さまの新しさに、私自身も驚かされたり楽しませてもらったりしています。


ところがその反面、“本来持っているもの”が何なのかがわからなくなっちゃた現代人も少なくないのでは?…と。

ある一面、人はこういう映画やドラマを通じて、実はそれを探しているのかもしれません。たかが映画というきっかけですが。


どんなことであれ「発見」は素晴らしいですね。
それが「感動」であれば、更に素晴らしい。
その小さなきっかけが、大きな原動力になることだって多分にあります。
他人にとっては何でもないことであっても、処方箋は人によって違いますからね。

パズルのような人生にあって、そこで探しているピースも違う。
あれもこれもじゃなく、そのたった一つの大事なピースにこそ出逢える人生でいたいものですね。