2012年03月28日
「俄」 読ませどころ 万吉の取り込みとは
前回は西宮から軽口屋が万吉の命を受けて小春を大坂まで連れて来たものの今回は万吉の方に取り込みがあって小春の待つ新居に戻れない日が続いている万吉の取り込みごとについてです。
以下、司馬遼太郎「俄」より
万吉の取り込みとは、こうである。
ちょうど、小春が西宮から大坂へ移ったきた日、安治川の船番所の川上から幾艘もの船が流れてきた。
万吉は安治川船番所は管轄外だったが、たまたま、この日の夕刻、この船番所に用があってきていた。
船番所の建物は、関所に似ている。
石垣で固めた川岸に面して建てられ、土間に同心組の者が三人、六尺イスに腰をおろして川面をながめている。
奥は、一段あがった畳敷きである。
そこに書役の同心が、机を前にしてすわっている。
入り口の右手の壁には、司法権の象徴である捕物道具がびっしりとならべられており、いかにもものものしい。
番所の前を通過する船の客は、ひとりひとり藩名あるいは居住地、そして名を大声で名乗る。
不審がなければ、「通らっしゃい」と、番所から声がかかる。
そこで船頭がふたたびろを動かして漕ぎさってゆく。
この日の夕、安治川船番所を通過したのがあとで天下を聳動(しょうどう)せしめた天誅組の浪士一同である。
かれらは大和で挙兵すべく、その前日に京の大仏でひそかに集結し、前(さきの)侍従中山忠光という若い公卿を奉じ、淀川をくだっていったん大坂常安橋そばの土州藩船宿坂田屋におちついたのである。
総勢三十数人で、このあと河内・大和で大いに人数がふえるが、とにかくこのときの人数が結成幹部というべき顔ぶれだった。
土州系の浪士が圧倒的に多い。
そのなかには京都ですでに名のある吉村寅太郎をはじめ那須信吾、池内蔵太(いけくらた)、島浪間(しまなみま)伊吹周吉、安岡斧太郎、安岡嘉助といった浪士中の錚々(そうそう)たる連中がいる。
かれらは常安橋ぎわの坂田屋で最後の支度をととのえ、武具類はムシロにつつんで船底にかくし、数艘の船をつらねて船番所までくだってきたのである。
「名を名乗らっしゃい」と番所から声をかけると、船の連中は、
「名か。名は加藤清正」「福島正則」「上杉謙信」などと名乗ってからかったから、船番所は騒然となった。
「ぶ、ぶれいなっ」と、船番所の同心三人が立ちあがると、川の上の浪士団も負けていない。
「やるかっ」と叫んで船から岸へ五六人がいきなり飛び移った。
すさまじい勢いである
以上は「俄」文中の一節でした。












以下、司馬遼太郎「俄」より
万吉の取り込みとは、こうである。
ちょうど、小春が西宮から大坂へ移ったきた日、安治川の船番所の川上から幾艘もの船が流れてきた。
万吉は安治川船番所は管轄外だったが、たまたま、この日の夕刻、この船番所に用があってきていた。
船番所の建物は、関所に似ている。
石垣で固めた川岸に面して建てられ、土間に同心組の者が三人、六尺イスに腰をおろして川面をながめている。
奥は、一段あがった畳敷きである。
そこに書役の同心が、机を前にしてすわっている。
入り口の右手の壁には、司法権の象徴である捕物道具がびっしりとならべられており、いかにもものものしい。
番所の前を通過する船の客は、ひとりひとり藩名あるいは居住地、そして名を大声で名乗る。
不審がなければ、「通らっしゃい」と、番所から声がかかる。
そこで船頭がふたたびろを動かして漕ぎさってゆく。
この日の夕、安治川船番所を通過したのがあとで天下を聳動(しょうどう)せしめた天誅組の浪士一同である。
かれらは大和で挙兵すべく、その前日に京の大仏でひそかに集結し、前(さきの)侍従中山忠光という若い公卿を奉じ、淀川をくだっていったん大坂常安橋そばの土州藩船宿坂田屋におちついたのである。
総勢三十数人で、このあと河内・大和で大いに人数がふえるが、とにかくこのときの人数が結成幹部というべき顔ぶれだった。
土州系の浪士が圧倒的に多い。
そのなかには京都ですでに名のある吉村寅太郎をはじめ那須信吾、池内蔵太(いけくらた)、島浪間(しまなみま)伊吹周吉、安岡斧太郎、安岡嘉助といった浪士中の錚々(そうそう)たる連中がいる。
かれらは常安橋ぎわの坂田屋で最後の支度をととのえ、武具類はムシロにつつんで船底にかくし、数艘の船をつらねて船番所までくだってきたのである。
「名を名乗らっしゃい」と番所から声をかけると、船の連中は、
「名か。名は加藤清正」「福島正則」「上杉謙信」などと名乗ってからかったから、船番所は騒然となった。
「ぶ、ぶれいなっ」と、船番所の同心三人が立ちあがると、川の上の浪士団も負けていない。
「やるかっ」と叫んで船から岸へ五六人がいきなり飛び移った。
すさまじい勢いである
以上は「俄」文中の一節でした。



