2009年02月16日
「石鹸作り」
こちらでは天麩羅は人気の日本料理です。寿司や豆腐、味噌料理は好き嫌いがあって食べられない人もいますが、天麩羅だけはどんな「日本食嫌い」の人でも美味しいと食べます。
ですから我が家では食事を招待する時や、持ち寄りパーティなどの時は「天麩羅」を用意します。
またタンポポの葉にしても、ローズヒップの新芽にしても、殆どの野草は天麩羅にすると癖がなくなり美味しく食べられます。
そう言う訳で、我が家は「廃油」がよく出ます。今までは犬パン(犬達のおやつ用のパン)を作る時に混ぜたりして使っていました。でも、日本ではこの廃油を使って「石けん」を作っている人もいると知っていたので、私も是非自分で作ってみたいと思いました。
ところが・・・・石けん作り作りに欠かせない「苛性ソーダ」が何処にも売っていないのです。最初は日本の様に「薬局」に行ってみましたがありませんでした。その存在自体を知らない所が殆どで、5件目にやっと「それは薬局ではなくて、建設資材屋で売っている。」と教えてもらいました。こちらでは苛性ソーダは劇薬扱いではなく、だれでも気軽に購入出来るそうです。
そこでエルボルソンで一番大きい建設資材屋に行ってみましたが、「それ何する物なの?」とこちらが聞かれる始末です。「石けんを作るのに必要で。」と答えると「石けんなら薬局にグリセリンが売っているから、それで作るんだよ。」と親切に教えてくれる始末。
でも、グリセリンで石けんを作っても面白くも何ともありません。第一廃油利用にはなりません。折角こんなにやる気になったのだから、どうしたって作りたいと町中の建設資材屋を回りましたが足が棒の様になっただけで、結局エルボルソンでは苛性ソーダは手に入らないと分かりました。
バリローチェまで行けば売っているかも知れませんが交通費だけでも馬鹿になりません。
「ああ、残念!」
と諦め掛けた時、ブエノスアイレスの友人が仕事でこちらの方に来るついでに、我が家にも寄ってくれることになったのです。ダメでもともとと、彼に「苛性ソーダ」が手にはいるなら買ってきて欲しいと頼みました。
都会では難しいかなあ?との予想に反して、近所の建設資材屋で簡単に手に入ったと連絡があり、遂に、念願の廃油利用の石けん作りに挑戦する事が出来たのです。
がさつな私にはむいていない作業でしたが、思った以上に上手く出来、使い心地も良く、すっかり石けん作りの虜になりました。最初は基本に忠実に作りましたが、折角なら「のうじょう真人」特製石けんにしたいと欲が出てきました。
ネット検索すれば色んなアイデアがあるのでしょうが、失敗しても良いので、自分らしいのうじょう真人らしい石けんを作りたいと、今あれこれ思案している所です。



2009年01月28日
「贅沢な朝食」
毎朝まだご近所が起き出さない8時前に、私達は犬達と見回りを兼ね、農場内を散歩します。
地球温暖化、オゾン層の破壊で日中はとても外には出られないほど暑いですが、湿気がないので朝はすがすがしく、まだ近所の雑音も響かず、遠くに雄鶏の鬨の声を聞きながら、のんびりした気持ちで歩く事が出来ます。
繋がれた事のない犬達は、後になったり先になったりしながら走り回り、時々は猫の「福」もついてきます。
一日の内で私が一番好きな時間です。
私は四季の中で冬が特に気に入っていますが、朝だけは初夏から晩秋までが最高に幸せな気持ちになれます。それはこの時期は「贅沢な朝食」を味わう事が出来るからです。
初夏の「さくらんぼ」に始まり、「野いちご」「すぐり」、そして今は「木イチゴ」。散歩の終わりはこれらの完熟果実を収穫してそのまま口に放り込むのが私の朝食なのです。
「さくらんぼ」は今年大豊作だったのですが、木が生長して上の方の実は椅子に乗っても手が届かず、指をくわえて見るだけでした。「ああ、美味しそう」と思う実は、翌日必ず小鳥が食べていて、種だけが残っていました。
「野いちご」は干魃の影響で激減し、おまけに私の老眼が進んでなかなか見つける事が出来ませんでした。
「すぐり」は透き通る様に赤く完熟した小さな実が、“ぷっちっ”と口の中で弾ける感触がとても好きです。
そして「木イチゴ」。元々は栽培物でしたが、今では「野生」と言っても一向に差し支えない状態になりました。朝は程良く冷えて美味しくて、指先が果汁で赤く染まるまで完熟した実を探して頂きます。
私達はお客様を接待したり、友人の招待以外では外食はしません。それは私達にとってはとても「贅沢」な事だからです。でも、外食する贅沢や旅行する贅沢、多くの物を持つ贅沢とは縁がなくても、一粒の朝露に冷えた果実を口に出来るのは、何ものにも代え難い「贅沢」だと思っています。「ああ美味しい」「ああ幸せ」「ああ有り難い」と心が満たされます。
今の私は、どんな高級有名レストランへ行くよりも朝の一粒の実を食べる贅沢を選びます。
もうすぐ「黄色すもも」が味わえます。そして収穫はまだ先ですが、プラムも林檎も桃も日に日に大きくなっています。
私の「贅沢な朝食」はもう暫く続きます。













2009年01月19日
「砂漠を美しいと思えない訳」
今でも歌われているかどうか怪しいのですが、私が小学生の頃は「月の砂漠」という歌がありました。
「月の砂漠をはある〜ばると〜・・・」
絵本などではこの歌詞と共に、満月の砂漠を駱駝に乗って旅する王子様とお姫様の挿し絵があって、幻想的な美しさが漂っていました。なだらかに連なる砂丘。人工物の全くない世界。そんな世界に憧れを抱いていました。
福岡正信氏の自然農法に出会い、パタゴニアに暮らし、大地に種を播く暮らしをして、私の考えは随分と変わりました。
今私は「砂漠」を美しい自然だとは全く思えません。緑のない景色、水の流れていない景色、生き物が溢れていない景色は恐ろしい景色だと思います。そしてそれは決して自然の姿ではないと思います。
時々、南米旅行中の旅行者と話す機会があります。殆どの人がペルー、ボリビアから南下してきた人達です。そして先ず間違いなくエルボルソンを「緑の多い町」と気に入ります。
植生の少ない儚(はかな)いこの自然を「緑が多い」と感じるほど、南米大陸の北は乾燥して砂漠化してしまっているようです。
パタゴニアでもアンデス山脈の麓を少し離れると、荒涼とした乾燥地が始まります。焼き物の材料探しやお客様を案内して時々行きますが、胸を締め付けられる様な焦燥感を感じます。ここには木の化石がゴロゴロしています。つまり以前は大木の茂る大森林だった筈です。そんな大昔の事でなくても、地元の70才近い方達が「子供の頃ここは大草原だった。」「この湖は対岸が見えなくて野生のフラメンゴが空を覆い尽くすほどいた。」と思い出話をしてくれるのです。
灌木が生えるだけの雨も降らない土地。でもそれはここ50年の間に人間が作り替えてしまったものなのです。
日本では決して見ることの出来ない砂漠や乾燥地を「美しい自然」と喜ぶ人達。でもそれは「珍しく」ても「美しく」ないのです。
雨の降らない乾燥した空気の恐ろしさは、そこに生き、暮らしてみなければ決して実感する事は出来ないのかもしれません。ほんの数`先では家畜が餓死してしまう程の干魃が始まっており、山の万年雪が小さくなり、大地が干からび、植物が枯れ、自衛の為か昆虫が小さくなっていく過程を見ていると、例えみんなが「緑の多い美しい町」と言ってくれても、素直に喜べません。
「折角楽しんで観光しているんだから、水を差さないでよ!」と煙たがられるのは分かっていますが、私は声を大にして叫びたいのです。
「砂漠は美しくない。自然の姿ではない。」と。



2008年12月29日
「むしゃむしゃ」
パタゴニアに暮らして15年。大雪の冬、大乾燥の夏、冷夏、暖冬・・・毎年違う気候を過ごしてきましたが、今年の夏は慢性的な干魃に加え「青虫」が大発生しています。
12月に咲き誇る「ルピナス」が、花を咲かせるどころか葉っぱも筋しか残っていない状態なのです。
若葉の天麩羅が美味しい「コンフリ」も、これから大きく伸びていく筈の「キクイモ」も、ゴボウも同じ様な悲惨な状態です。何より困ったのは、天然ハッカの葉を食べてしまった事です。ハッカ茶は我が家の名産?で毎年乾燥して一年分のお茶にしていたのです。いつもなら採りきれない程あるのに、今年は全く残っていません。
私が呆然とする傍らで、青虫が美味しそうにむしゃむしゃ葉を食べています。
好みの植物の葉を食べ尽くしてきたので、次は何を狙うのか?と思ったら、困ったことに我が家の貴重な「空豆」「エンドウ豆」に手を伸ばし始めたのです。
「ああ〜、お願い豆だけは食べないで!だいたいタンポポがこんなにあるのに、どうしてタンポポを食べてくれないの!」
と思うのは人間側の勝手な都合なのでしょう。
何とか豆だけは助けたいと灰を振りかけたりしていますが、思ったような効果はありません。
これは我が家だけの現象かと思ったのですが、50km離れた地区でも同じように青虫は大発生していました。草刈りをして単一栽培している畑では、空豆などは茎しか残っておらず、可哀相と思う前に「見事!」と思ってしまうほどでした。
やはり我が家の様に自然農法で、畑に色んな植物がごちゃごちゃ混ざっている方が良いのだと実感しました。
さて、エルボルソンで「有機栽培無農薬野菜」を栽培している人が、画期的青虫対策を教えてくれました。園芸店で売っている「有機栽培殺虫剤(商品名は忘れましたが)」。それをかけると青虫はいちころなんだそうです。
「有機剤だから無害だし、凄い効果があるよ。」
と嬉しそうに話してくれましたが、青虫が死んでしまう物が、人間に無害だとは思えませんでした。
スーパーで簡単に手に入る「除草剤」「殺虫剤」「化学肥料」。人間の都合の為にこうした物を多くの人が家庭菜園でも気軽に使っています。
青虫の大発生は自然のバランスの崩れを示しているのではないでしょうか。
私達は自然の一員として、自然の声にもっと素直に耳を傾けなければいけないと思うのです。


写真は友人の有機農法の
農場です。ソラマメがほぼ全滅です。



2008年12月09日
「人の縁、犬の縁」
最後の学生生活は二十歳過ぎてから入学した北海道農業専門学校でした。全寮制の学校で、女子寮は普通の一軒家。その関係で女子は本科、専攻科合わせて13人の定員でした。
今はどうか知りませんが、私の入学した当時は大学を卒業して来た人、社会人経験者、ブラジルからの留学生などが学生の半分近くは居て、簿記の専門学校卒業後、北海道の酪農実習を一年経験して入学した私でも、それ程目立つ変わった存在ではありませんでした。
この寮生活、学生生活はとても心に残るものでした。こんなに真剣に怒ったり笑ったり泣いたりした事はかつての学生生活ではありませんでした。
卒業の日、同級生だけど2才年上だった親友に
「こんなに沢山の人と深く知り合える事も、こんな素敵な出会いや別れも、ここを卒業してしまったらもう感じることもないんだろうなあ。」
と言ったら「何言っているの。こらからもっともっと多くの出会いと別れが待っているよ。」と言われましたが、その時はこれ以上の人との深い関わりを想像する事も出来ず「そんな事はないだろうな。」と思っていました。
あれから25年、パタゴニアへ来てからでも15年経ちました。今の私は旅行もしませんし勤めに出ている訳でもありません。殆どを農場の中で過ごしています。それなのに、毎年大切なとても深い出会いがあります。それは人だけに限りません。
辛い別れもありました。嫌な思いもしました。けれども、その全てが今の私には欠かすことの出来なかった事だと感じています。
今年の秋、昨年知り合えた友人がご家族と愛犬と遊びに来てくれました。我が家の犬達は初めて見る「服を着た同族」にたじろぎ、次に威嚇し、反撃されびびり、最後は仲良く遊んでいました。
人の縁。犬の縁。不思議な縁。でも素晴らしい縁。
もう2008年も終わろうとしています。今年も面白い年でした。そして来年も素晴らしい年にしようと思っています。新しい出会いを期待して。




2008年11月12日
「魔法の色鉛筆」
「とんとんとん・・・」
教室のドアがノックと同時に開いて可愛い顔が覗きます。そして機関銃の様なおしゃべりが始まります。
3月から始めた日本語教室。
エルボルソンの文化センターの教室をお借りして授業をしていますが、我が家からエルボルソンまでは山道を車で30分。私にとっては気軽に行ったり来たり出来る距離ではありません。ですから、木曜日を日本語教室の日と決め、お弁当持参で朝10:30から夕方5:30まで3教室行っています。
お昼は職員さんも帰宅してしまい、午後の授業までの1時間半、文化センターには私と留守番の人だけになります。遊びに来るのは、その留守番の人の5歳になる娘さんなのです。
正直に言いますと、私はあまり子供好きではありません。でもこうして寄ってくる子を邪険にする程意地悪でも無いつもりです。
彼女にとっては「日本人」と話すのは初めての経験だったようで、「名前は?」「幾つ?」などというありきたりの質問にも喜んで答え、聞きもしない自分の家族や幼稚園の事を嬉しそうに話し始めました。そうして私が子供教室用に日本から持って来た24色色鉛筆のケースを机の上に出すと「これ何?」と、とても興味を持ったのです。
「これは色鉛筆」
「開けても良い?」
「どうぞ」
そうしてケースを開けようとするのですが、上の角の二カ所を押さえてから開ける方式を知らず、「開かないよ〜」と困ってしまいました。
そこで素直に開けてあげれば良い物を、私はつい「これはね、魔法で開けるんだよ。」などと言っていました。そして彼女に気付かれないように角を押さえて「今魔法をかけたから、開けてご覧。」と開けさせたのです。
「ひゃあ〜!開いた!凄い!こんな魔法初めて見た。」
その時の彼女の嬉しそうな顔。子供好きな方には、純真な子供を騙す悪いおばさんとお叱りを受けそうですが、私はそのまま本当の事は言わずにいました。
翌週も彼女はやって来て、「魔法の色鉛筆は?」と一番に聞いてきました。
「あるよ。」
「魔法で開けてみて。」
「今日は魔法を教えてあげる。」
「本当?」
私はケースの上に手をかざし、呪文を唱えます。
「ちちんぷいぷい。」
そして2回手を打って、「ちちんぷい!」と叫び、彼女の目を盗んでさっと角を押さえました。
「「開けてご覧」
「開いた。開いた。」
「じゃあやってご覧」
彼女は何度も「ちちんぷい」の言葉練習をして、いよいよケース開けに挑戦しました。でも、彼女に隙が無くて私が角を押さえられずに開けられませんでした。
「どうして??」
「あのさ、手は2回だけ打つんだよ。今3回打ったでしょ。それに、最後のちちんぷいの時は目を瞑るの。」
「あっ、そうか。」
期待満々の顔で再挑戦です。そして今度は上手く開ける事ができました。
「やった!!凄い魔法だ!」
喜んで居る姿がとてもとても可愛く思えました。
本当ならこれで種明かしをしなければいけないのでしょうが、私は黙っていました。
こうして魔法を素直に信じる時期は、きっとそんなに長くはないでしょう。それなら、その貴重な時期に「凄い凄い!」と素直に喜んでいて欲しいと思ったのです。また、彼女が大人になった時、今日の事を思い出して「魔法遣いのおばあさんに会ったことがある」なんて懐かしく楽しく思い出して貰えたら、それも素敵だなあと思うのです。
でも・・・私のした事は、純真な子供を騙した酷い事だったのでしょうか??「子供嫌い」と言われ続けている私には良く分かりません。






2008年11月01日
「感じる心」
8月末から9月にかけて播き付けた空豆、エンドウ豆がやっと芽を出し始めました。
播いている時は、「今年も無事発芽して実を付けてくれるかな。」と不安に思う気持ちと、大きく育った実を毎日収穫する都合の良い想像をして楽しんでいます。
10月に入ってからは日当たりの良い場所、一番最初に播き付けた場所を中心に、毎朝発芽チェックをしてきました。
「まだ早いかなあ・・・」
と思いつつ目を凝らして見ると、草の中で一つ二つと、可愛い発芽した双葉を見つける事ができました。
私はこの瞬間が堪らなく好きです。15年間ここで豆を播き、発芽を見つける春を過ごしていますが、飽きるとか、感動が薄れると言う事は全くありません。
自然の中では種達は迷ったり悩んだりせず、自分の発芽の時期を感じると素直に芽を出します。例えそこが翌日にアスファルトに変えられる場所であっても、車に踏みつけられる場所であっても、芽を出せという自然の声を聞きくと何の迷いも躊躇も打算もなく伸びていきます。
その力強さ、その命の輝きに私は感動するのです。
パタゴニアに暮らせて、小さいけれどここ「のうじょう真人」に暮らせて、本当に良かったと思います。日本では感じた事のない憤りや失望を感じる事もありますが、でも、その先にある明るい何かをいつも見つける事が出来ます。例え今解決が見えない状態でも、この状況を乗り切る自分を楽しみにする事が出来ます。
それを教えてくれたのが、草の中で芽を出す豆達なのです。
それは、どんな著名な方の講演を聞くよりも著書を読んだりするよりも、私には分かりやすく力が出る事なのです。
「人は自然や土から離れてはいけない」と思うのは、自然の中には、私達を支え、励まし、包み込んでくれる掛け替えの無いものがあると思うからです。
一粒の豆の力を感じる心をここで見つけられた事を、私はずっと忘れず大切にしていこうと思っています。




2008年10月08日
「私の四季」
「パタゴニアには四季が無い。あるのは雨季と乾季だけだ。」
そう言った人がいました。
私は驚いて、「夏の乾燥は確かに乾季といえるけど、それでも、ここに四季はある。」
と反論したら、「こんなの四季じゃあない。」と断言されました。
日本の四季は繊細で、その四季の移り変わりを楽しみ愛でる暮らしをしてきた人にとっては、パタゴニアの季節の移り変わりは四季に思えないようでした。
「ここの四季を感じないなんて、全然自然を見ていないんだね。信じられない。」
思わずきつい言葉を言ってしまった私に
「言っちゃあわるいけど、自分は君よりずっと、ここの土地の自然を見ているよ。何処にどんな鉱物があるか、地形はどうか、どこがどんな植生か・・・。」

確かに私は、焼き物の材料探しやトレッキングなど、自分の足で歩いて自然を見てきたつもりでしたが、酷い方向音痴と観察力の欠如で、自分の行った場所の鳥瞰図が全く思い描けません。それは結局、パタゴニアの自然を本当に知っていることにはならないのだと気づきました。
まして、自然の花を描けと言われても、花びらの数はどうだったかなあ?葉っぱの形、付き方はどうだったんだろう?と自信を持って描ける花が無いのです。
私はいったい何を見ていたんだろう?
ここで何を感じて来たんだろう?と考えてしまいました。

自然と共に暮らすことは、表面だけの自然を見ることじゃあないのだと反省しました。
ここパタゴニアは恐ろしい勢いで乾燥化が進んでいます。
皆の様にだた「恐い。これから先が心配だ。」と口に出すことは簡単です。でも、本当にしなければいけない事は、自然の姿をもっともっと良く見て感じて、自然の声を聞き、物事の本質を見抜く事なのではないかと思い直しました。

それでも、そう思う反面、例え自然の表面しか見ていないとしても、パタゴニアには美しい四季があって、今この季節は猫柳の膨らみを可愛いと思い、水仙の蕾に春一番を感じ、日に日に大きく摘みやすくなって行くたんぽぽの葉を味わい、サクランボの白い花、プラムの薄ピンクの花、姫リンゴの赤い花を美しいと感じる感性を大切にしていきたい気持ちもあります。






2008年09月24日
「初めまして」
実はずっと書けずにいた事がありました。
昨年の11月に、大切な仲間だった犬の「地和ちいほう」「人和れんほう」を、私の不注意から失ってしまったのです。
写真を見ることも、彼らの名前を口に出すことも辛くて出来ませんでした。
私に出来るせめてもの罪滅ぼしは、もう二度と自分から犬を欲しがらない事、山や観光地に置き去りにされ、生きる術を持たない捨て犬を連れ帰り、面倒を見てあげる事位だと思っていました。
地和、人和がいる頃は、そう言った犬達を目にしても為す術がありませんでした。
彼らを失ってから、一度山でガリガリに痩せた成犬を見かけました。連れて帰ろうと車を止め、後部座席を片づけている間に、その子は藪の中に逃げ込んでしまいました。
また別の時は、国道沿いをフラフラとさまよっている中型犬を見つけました。用事を済ませて数十分後に戻った時には、車に跳ねられたのか、その子は道路脇で冷たくなっていました。
私に残ったのは苦い後悔だけでした。
不思議なもので、捨て犬を引き取れる状況の時には縁が無いのです。でも、それはそれで仕方ない、いつでも引き取れる様に、子犬をもらうことはしないで置こうと決めていました。
ところが、日本語教室で犬の話になり、私が「捨て犬を引き取りたい」と話したら、生徒の一人が「家で子犬が8匹生まれた。もらって。」と言ってきたのです。
最初は断ったのですが、もらい手が無いと殺さなきゃあいけない、と泣きつかれました。
迷いました。
8匹の兄弟全部を引き取る事は出来ませんし、その中から数匹を選ぶことも出来ません。
迷って迷って、それでも捨て犬を引き取れる余裕を残して置くため、一匹だけ、彼女が選んで連れてくるという条件で引き取る事に決めました。
こうして我が家に、2ヶ月にもならない小さな小さな雌の子犬がやって来たのです。
「伏姫」と名付けました。これは里見八犬伝の伏姫から頂きました。辞書では「伏」は服従させるという意味が強い様ですが、私は人と犬がお互い支え合って生きていると理解しています。
私が受け取った小さな命。そして私の心を豊かにしてくれる掛け替えのない命。
これはまた、地和、人和から引き継いだ命でもあるのです。
「初めまして。これから宜しくお願いします。」
もう二度と後悔しないように、大切に育てて行きたいと思っています。



2008年09月15日
「春よ来い」
私は四季の中で「春」が一番苦手な季節です。子供の頃は新学期のクラス替えが苦痛でした。引っ込み思案で根暗な私は、新しい友人を作る事がなかなか出来ず、新しい担任にも慣れるのに時間がかかりました。ですから春になると、あの時の不安な切ない気持ちが未だに蘇って来るのです。
パタゴニアに暮らし始めてからは、ひっそりと静まり返る厳しい冬が特に好きになりました。ですから春風を感じるようになると、「ああ、もう大好きな冬が終わってしまい春になる。そしてまた干魃で山火事の多発する夏、観光客で溢れかえり騒々しい夏がやって来るのか・・・。」と憂鬱になるのです。
でも、今年は春を待ち望んでいます。早く暖かくなって、草や木の新芽が出る春になって欲しいと願っています。それはマジン村で放牧されている羊や牛、馬たちを目にするからです。
冬に彼らの食べる物がなくなるのは分かり切ったことなのに、穀物や乾草を貰える事が殆ど無く、みんなガリガリに痩せているのです。特に今年はインフレで物価が上がり、彼らにお腹いっぱい食べさせてあげるだけの飼料を買うゆとりが無い事や、土地の切り売りで放牧地が足りないことなどが拍車をかけているようです。
以前の様に広い土地があるなら兎も角、お金の為に土地を切り売りして住宅地に変え、それでも家畜の数は減らさない、餌を買い与えないのだから、当然土地も家畜もやせ衰えて行くのは目に見えています。
近所の羊達は、空腹の為に切り倒したポプラの皮を食べています。以前は牛を飼っていましたが、大型の牛では冬を乗り切るのが難しくなったのでしょうか、羊に代わりました。そして少しずつ山羊が増え始めています。羊よりも山羊は乾燥に強く、粗食に耐えられるのです。でもその変わり、何でも食べ尽くすので自然はあっと言う間に破壊されます。
自然農法の我が家にも、冬や真夏の乾燥期には牛や馬が草を求めて入ってきます。柵を壊されたり、果樹の苗木を食べられたり、畑を踏みにじられて被害があります。持ち主に文句をいっても逆恨みされるだけなので、柵を補強して根気よく追い出すしか方法はありません。入って来た動物を傷つけたり、撃ったりする人もいますが、動物に罪は無いのです。
道路脇を牛や馬や羊が食べ物を求め歩く姿は、一見するとのどかな農村風景です。町から来た人はそういう風景を喜んで見ています。
でも、私には心が痛む風景です。
皮を食べられ裸になったポプラを見ながら、どうかこの皮が食べ尽くされる前に、春よ来い!早く来い!と春を待ち望んでいるのです。

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