2008年09月03日
「心に思う風景」
私達は農場の各所に名前を付けています。「水田」は唯一水路が土地の上にあり、夏の乾燥期にも水路の水を土地に自然に流せる場所(本物の水田ではありません)。
「果樹園」はもともとは禿地でしたが、いつか大果樹園になるようにと、毎年せっせと果樹の種をばら播きしている場所。
他にも「蕎麦」「隠し田」「1.5」「アヒル池」等。そのどれも名前と一致しませんが、それぞれそれなりの由来はあります。
日本の自家菜園のイメージとはかけ離れていますが、畑もあります。そこでは耕すことも肥料を入れる事もしません。ただ、種まき前に枯れ草は刈り取ります。種まきは全て私の担当です。
今年は数年ぶりの雨の多い暖かい春先になりました。私は早速「北の畑」の半分に麦をばら播きました。麦は思った以上に水分を必要とするので、今年は春の雨をとても有り難いと思っています。
次は「裏の畑」に空豆を植え付け、その上からやはり麦をばら播きました。そして鳥に食べられない様に、たっぷりと枯れ草をかぶせよく踏みつけておきました。
後は一ヶ月くらいかけて農場中に散らばる自称「畑」に空豆、エンドウ豆、レンズ豆、人参、大根などを播きつける予定です。
いつかここに来られた長野の農家の方が、夏にも霜がおり、一日の気温差が30℃を越えることもある、干魃気味のここの気候を「富士山頂より厳しいかもしれないね。」とおっしゃり、「成る程・・・ある意味当たっているかも・・・」と妙に納得したことがありました。
それでも私は近所の人達のように自家野菜を収穫する為に、大地を深く耕し肥料をたっぷり入れ、ビニールトンネルやハウスを作ろうとは思いません。
天気をみながらの種まきは10月の初旬まで続きます。
種まき直後の枯れ草だけの茶色の景色を眺めながら、私は自分勝手に青々と茂る麦やたわわに実を着ける豆達の姿を思い浮かべます。実際は干魃や冷害で翌年の種を残すのがやっとという年の方が多いのですが・・・。
それでも毎年毎年この時期のこの空想は、私をとても楽しい豊かな気持ちにさせてくれます。
一年では目に見える大きな変化は無くても、気がつくと周りの木々、果樹が成長し、いつの間にか大きな大きな変化の中に暮らしている自分に気付きます。
見上げるような大木が生い茂る自然林、リンゴやモモやサクランボやカリンやプラムがびっしりと実る果樹の森、空豆や麦や大根が野草の様に茂り、野鳥がさえずり、野ウサギが駆け回り、空気が甘い農場。いつも心に思うのはこんな風景です。
それが例え自分の生きている時代に見ることが出来なくても、その過程に私も参加させてもらっているのだと実感し、幸せになれるのです。



2008年08月19日
「子供に伝えたい事」
私には子供はいません。当然子育ての経験もありません。ですから、子供にもその親御さんにも偉そうな事は何も言うことは出来ません。
でも、時々「????」と思うことはあります。
友人の子がまだ5歳くらいの時でしたが、外でポテトチップスの袋を持ち、歩き周りながら食べていました。
「○ちゃん、歩きながら物を食べてはいけないんだよ。」と私にしては優しい声で言ったつもりですが、やっぱり無視されました。
その時はお母さんが側に居ることだし、まあ私が口出しする事じゃあないか、と思い直しました。暫くすると、パリパリ音がするのでその子の方を見ると、お菓子を地面に捨てて、靴で踏んで遊び始めたのです。
「そんな事しちゃあダメじゃない!」
私は思わずきつい声で注意してしまいました。彼女は親からも、ましてや他人からもそんな風にきつく言われた事が無かったらしく、「はっ」として動きが止まりました。
「あのね、食べ物を足で踏んだり、遊んだりしちゃあいけないんだよ。」
私の言葉が終わらない内にお母さんが飛んできました。そして「可哀相に。○ちゃんはそれがいけない事なんて知らなかったのよね。」と彼女を抱きしめたのです。
私は一瞬あっけに取られ、直ぐに余計なお節介をしたんだと気付きました。そのお母さんはいつも私に「私は子供を甘やかしたりしないで、きちんとしつけている。」と言っているのです。だから食べ物を土足で踏みつけることがいけない事だと言うのは、教えられなくても普段の生活の中で自然に身についているものだと、思わず大きな声で注意してしまったのです。
もともと私は、小さい子を見て思わず駆け寄って、話しかけてしまう様な子供好きでもありませんし、子供のご機嫌を取ることも苦手です。それに私は子育ての経験も無く苦労も知らないのだから、余計な口出しはすべきでは無いのだとその時思いました。
それ以来私は子供に注意する事は無くなりました。
ところが、最近ラジオの子供向け自然保護番組を何気なく聞いていて、“はっ”と気付いたのです。世の中には「してはいけません」が溢れて居ることに。
「木を伐ってはいけません。」「ゴミを捨ててはいけません。」「川を汚してはいけません。」
一見するとそれは当然の事です。でもそうやって「いけません」を押しつけるより、「木を植えましょう。」「種を播きましょう。」「ゴミを拾いましょう。」「自然と友達になりましょう。」と訴える方が、ずっと大切な事ではないかと。
親に恨まれるから子供に何も言わないは間違いでした。でも、「いけません」と言うのはいけないことです。
もしお菓子を踏みつけて遊ぶ子がいたら、こんどは「お菓子は食べようね。遊ぶのは石にしようね。」と言って見るつもりです。

2008年08月11日
「雪」
私の育った愛知県刈谷市は山が無く、滅多に雪が降りませんでした。ごく稀に雪が積もると、もう嬉しくて夢中で雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊びました。
豪雪地方の方には申し訳ありませんが、私は降る雪を見るのが大好きでした。
道東での酪農実習や札幌での寮生活で、北国の雪の厳しさを体験しましたが、それでも雪が好きな気持ちは変わりませんでした。
パタゴニアに暮らし始めても、その気持ちは変わりません。
私の住む地区は冬は雪よりも雨が良く降ります。それでも毎年数日間は雪になりました。
周りの景色がすっかり変わり、音も無くしーんとした中をサクサクと雪を踏みしめて歩く私達の足音だけが響き、犬達が大はしゃぎして走り回る。そんな中、サラサラと絶え間なく降り続く雪の中を歩くのはとても幸せで楽しい時間でした。
二週間停電が続いた年も、車が雪道を登れず一ヶ月町に行けなかった年も、屋根に積もった雪の重みが心配で雪下ろしをした年もありました。不便でしたが、面白いと思う気持ちの方がずっと大きかったです。
ところがここパタゴニアも「地球温暖化」とは無縁ではなく、ここ数年は雪の降る日が殆どなくなりました。特に今年は暖冬で、アンデスの山にも雪が無く、スキー場は開店休業状態が続き、観光業で成り立っている町は大打撃でした。景気が悪いと治安も悪くなり暮らしにくくなりますが、私はそれ以上にこれからの水不足とそれに伴う山火事が心配でした。
「きっと・・もうすぐ・・・」
という淡い期待も裏切られ、真冬の7月が暖かく乾いたままで終わってしまいました。
ところが、7月最後の日の夜、思いがけず雪が降り出したのです。一晩降り続いた雪は、翌朝辺りを雪景色に変えてくれました。久しぶりに見た雪景色です。雪の重みで木の枝が下がり、散歩道を雪のトンネルに変えていました。
ざくざく、きゅきゅっと足の下で鳴る雪の音も心地よく、犬達も童心に返って走り回っています。猫の「福」さえ雪の上を飛ぶように私について来ます。
「ああ、やっとパタゴニアの冬がやってきた。」
と心が弾みました。
この雪が続かない事も、直ぐに天気が回復して雪を溶かしてしまうことも、何となく分かっていました。この程度では、水不足が解消するとも思えませんでした。
それでも、神様が下さった雪という素敵な贈り物です。私は汗をかくまで歩き回って、雪を感じ、雪の音を楽しみました。





2008年07月21日
「靴下の継ぎ当て」
子供の頃、学校で靴を脱ぐのが嫌でした。運動靴から上履きに履き替える時も、誰にも見られないようにいつも気を配っていました。夏のプールのある時は本当に苦労しました。何故かと言うと、私の殆どの靴下には「継ぎ当て」がしてあって恥ずかしかったからなのです。
35年前でも、当時もう「継ぎ当ての靴下」をはいている子は誰もいませんでした。
お金持ちではありませんでしたが、決して貧しかった訳でもありません。クラスの中でもお小遣いの額は多い方でしたし、幾つかの習い事もしていました。それでも何故か母は、靴下の継ぎ当てをして、ボロボロになるまで新しい物を買ってくれませんでした。また「継ぎ当ては嫌だ」とは母の癇癪が恐くてとても言えませんでした。
中学の頃からは流石に「継ぎ当ての靴下」は姿を消し、私自身もいつしか「継ぎ当て靴下」の事を忘れていきました。
それがパタゴニアで暮らす様になってから、「継ぎ当て」の靴下も服もズボンも当たり前の事になっていたのです。これは第一に私達の暮らしが貧しい事もありますが、破れかけた服を見ると「まだまだ使えるのに勿体ない」という気持ちがわき上がってきて、針と糸を自然に用意してしまうのです。また田舎暮らしでは見てくれよりも、機能が重視されます。気に入った着やすい服は文字通り「ぼろぼろ」になるまで使いたくなるのです。
着て着込んで、継ぎ当てをして、ボロボロになってしまったら雑巾や足拭き、犬猫達の布団に再利用して、最後は「ありがとう」と灰にします。その時間の長さは物にもよりますが、最近燃やしたのは18年前のトレーナーでした。
炊事家事の苦手な不器用な私は、継ぎ当ては決して大好きで楽しい仕事ではありません。でも我が家にはミシンはありませんので、せっせと針を動かしながらこの服やズボンの歴史に思いを巡らす事が出来ます。そして靴下の継ぎ当てが如何に大変で難しい事かも分かりました。
継ぎ当ては恥ずかしいと思っていた子供の私ですが、思い返すと、今の私の継ぎ当てよりも何十倍も丁寧に綺麗にしてありました。恥ずかしいと思う気持ちよりも、有り難いと思う気持ちを育んでいくべきだったと反省しています。そしてそう言う気持ちに気付かせてくれたパタゴニアの田舎暮らし貧乏暮らしに感謝しています。

2008年07月17日
「自分で受け止める事」
エルボルソンの町中にはゴミ収集車が来ます。でも私達の住むマジン地区には来ません。引っ越してきた当初は、町に行った時公園のゴミ箱に捨てていました。でも小さなゴミ箱に我が家の一週間分のゴミを押し込む行為が何となく恥ずかしく、親しくなった隣人にゴミをどうしているのか聞いてみました。
生ゴミは鶏のエサや畑の堆肥に利用し、燃やせる物は薪ストーブに放り込み、それ以外は町のゴミ捨て場に直接持って行くとの答えでした。
早速私達も町から15km北の国道沿いにあるゴミ捨て場に行ってみました。ところが行ってみてとても驚きました。なぜなら大きな穴の中に、なんでもかんでも放り込んで野焼きしているだけだったからです。15年前の事ですが、周りには既に悪臭が漂い大穴もほぼ一杯になっていました。
その風景を見てから、私達は大いに反省したのです。ゴミをゴミ箱に捨てる行為は、ポイ捨てが多いここではとても尊い行為なのですが、最終的にはポイ捨てと変わらないのではないか?と。だから自分達の出したゴミは農場内で処理しようと決めたのです。
再利用できる物はみっともないと思われても、徹底的に再利用します。薪ストーブの灰は焼き物の釉薬に利用するので自然の木(薪)だけを燃やし、それ以外の燃やせる物は外にある露天風呂の焚き口で燃やします。プラッスチックや金属、電球は穴を掘ってその中に。ワインなどの瓶は焼き物の釉や飾りで利用する事もありますが、殆どは軒下に保存する薪が地面の水分を吸わないように下敷きにしています。自然農法なので堆肥は作らず、生ゴミは畑に直接返しています。
外でゴミを燃やす時は、あらかじめ小枝で火の勢いをつけ高温になってから燃やすのですが、やはり嫌な臭いがして有害だと言うことを実感します。日本から来た人がこの風景を見て「環境汚染」と非難しました。では、それでは、いったいどんな解決法があるのでしょうか?
町のゴミ箱に捨てれば後は何も見ずにすみます。でもそれは結局、自宅で燃やす以上の環境汚染をしていることになると思うのです。人口増加、観光化で町でもゴミは大問題となっています。でもまだゴミの分別収集さえ実現していません。
私達に出来ること。それは自然に還れないゴミは出さないこと。でも今の生活では100%実行することは不可能です。ですから、有害であると分かっていても、自分の出したゴミは自分で受け止める事にしています。



写真はゴミのリサイクル活動で地元の学生たちがゴミから作った装飾品、オモチャです。リサイクル活動は大事なことかもしれませんが、有機農法と同じで今の流れを止めることは出来ないでしょう。否、かえって益々今の流れに拍車をかけると思われます。





2008年06月26日
「石、いろいろ」
私は外で友達と遊ぶことよりも、家で一人で本を読んだりお人形で遊ぶことが好きな子供でした。それでもたまに友達と遊ぶ時は、特に田舎でもない地方都市育ちでしたが、池でざりがに捕りをしたり、草笛を吹いたりするのがごく普通の遊びでした。30年40年前の日本にはまだまだ自然が残っていて、子供には子供の遊びがあったのだと思います。
ところで、あの当時女の子の遊びのひとつに「石蹴り」というのがありました。地面に四角や丸を幾つも書き、その枠からはみ出さないように石を蹴って片足で進んで行くものです。
思い返せば、使う石はそこら辺にごろごろ転がっていて、蹴りやすい石を探して集めてはいろいろ試して遊んでいました。
年取って、今私はまた「石探し」を楽しんでいます。これは焼き物をするようになって、芳村俊一先生の本に出会って、自分達で自然材料から釉作りをするようになってから始まりました。最初は釉薬用の石探しはもっぱら夫の仕事でした。それが、私が偶然見つけた紅色の石がボロボロ簡単に崩れたので「これはひょっとしたら上絵の具になるかもしれない」と思い、早速持ち帰って乳鉢で擂り、素焼きの器に字を書き焼いてみました。すると1000度以上の熱でも変わらず紅色の字が浮き上がっていました。
「これは面白い!!」
単純な私はそれから石探しの魅力に取り憑かれました。鉱物学的なことは全く分からず勉強もしません。ただ、「色が変わっている」「形が面白い」「綺麗」「見たこと無い」・・・。そんな単純な基準で何処に行っても石を探し続け、粉にしては(これは大変な力作業なので夫の仕事ですが)釉薬として試しています。
息を飲むような発色があったり、予想もしないくすんだ暗い色になったり、私達の窯の温度では全く変化がでなかったりと、窯開けはいつでも期待と興奮で一杯です。
「自分の思い通りの色が出せない様では陶芸家としては失格。」
と諭された事もありますが、私は市販の化学釉で思い通りの色が出せる陶芸家を目指すより、自然の中から夢中になって材料を探し、何度も試し、その都度微妙に違って出てくる自然の色を感動し楽しむ焼き物師に近づきたいと願っています。
日本で子供の頃は当たり前にあった土道も石ころも、数年前日本に帰った時は全てアスファルトに変わってしまい、容易に見つける事は出来ませんでした。
ここパタゴニアも観光開発の為大きく変わろうとしています。ですから今の内に一つでも多くの石に出会いたいと思っているのです。

2008年06月23日
「色、いろいろ」
私が焼き物を始めたのは、ここパタゴニアに来てからです。
日本に住んでいる頃は全く焼き物には興味がありませんでした。その私がパタゴニアに暮らし始めた年に、村の生活向上センターの焼き物教室に参加したのは全くの偶然でした。
あの時「生活向上センター」と言う存在を知り、引っ込み思案の私には珍しく、地元の人と知り合う為に行ってみたいなあと思った事が始まりでした。(ケチな私には参加が殆どただ同然だったのも大きな魅力でしたが)
その時にやっていたのが「焼き物教室」と「自動車整備」の二つの教室で、メカには滅法弱い私は選ぶ事も無く「焼き物」の方を選んだのです。先生が隣人だった事も参加の大きなきっかけのひとつでした。
3ヶ月後の教室終了時に、生徒の作品展示即売会をしました。その時、私の作った今は亡き愛犬「ちょり」をモデルにした素焼きの灰皿をとても気に入って買っていってくれた人がいました。自分の作った物を気に入ってもらえた感動と感激。そしてたった5ペソでしたが、それはアルゼンチンに来て初めて自分で稼いだお金だったのです。
現金な私はそれだけで「焼き物を続けたい」と思ったのです。そして、その私の気持ちを汲んで、農場に見よう見まねで薪窯を作ってくれた夫が粘土に触れた事で「焼き物」の虜になってしまったのです。
今では作陶が私、窯作りと焼きが夫、材料探しは二人で、と全くの二人三脚で「のうじょう真人陶芸」をしています。
アルゼンチンでは焼き物は作ることのみに重点が置かれています。粘土や釉薬は市販品で当たり前ですし、焼くのは機械管理の電気窯が一番良いと豪語する人も少なくありません。
でも私達は自然の中の「美」を、薪窯で焼いて引き出すことが最高の焼き物だと考えています。ですから粘土も釉薬の原料も自分達の手と足で自然の中から探します。農場の粘土と砂で窯も手作りします。薪も農場の松を斧とノコギリで倒して割って用意します。勿論将来の為に無数の木の種も播きます。日本では当たり前のことなのですが夫は徹夜で窯焚きをします。温度計は使いません。
「それは大変だねえ。」と多くの人が呆れた様に言いますが、その大変さにはそれ以上の楽しさや感動が含まれているのです。
私の作陶は下手です。笑ってしまうほど下手くそです。でも言い訳みたいですが、上手に作ることより心を込めて作ることを心がけています。
先月、チリのチャイテン火山が噴火し、その灰がアルゼンチンにも降りました。有毒だ!と騒ぐ人を尻目に私達はその灰を集め釉薬にしてみました。窯は農場の粘土で作ったので、灰が溶ける以前の1080℃で窯が溶け始めてしまいます。ですから灰に融解剤BORAXを混ぜました。
この作品を取り出した時、私はとても綺麗だと思いました。化学釉よりずっとずっと綺麗な色だと思いました。自然原料の配合、作品の厚み、焼成時間と温度、気温、風、松薪の状態、私達の体調、粘土と原料の相性etc・・・。あらゆる事が重なって、混ざり合って出てくる私達の想像を超えた自然の色。
私は自然の恵や力を感じられる暮らし、そんな焼き物を出来る今の暮らしにとても感謝しています。


2008年06月12日
「ありがとうね」
パタゴニアの冬がやってきました。
夏には観光客で賑わった町も、今はひっそりしています。冬の観光資源のないエルボルソンでは、冬はブラジルやヨーロッパに出稼ぎに行く人が多くいます。寒くて寂しい冬は嫌だという人が殆どです。でも私は冬が大好きです。寒くても、不便でも、冬を寂しいとは思いません。
冬が寒いのは当たり前です。冬には冬の楽しみや美しさが沢山あります。
私は霜柱の道を歩くのが大好きです。氷の張った水たまりの模様の美しさに見とれます。ストーブの中で弾けて燃える薪の音は心地よいです。
そして今、毎朝とても楽しみにしている事があります。それは窯場の横のリンゴの木の近くに静かに立つことです。
「ジジジ・・・ジジジ・・・」「チュチュチュン」
小鳥達が可愛い声でさえずりながら、木に残ったリンゴを食べに来てくれるのです。
実はこのリンゴ、甘くて美味しいので全部収穫したかったのです。でも自然農法で自由に大きくなった木は背が高く、上の方の実は採ることができませんでした。長い棒でつついて採ろうかと思っていたのですが、毎朝やって来る小鳥達の可愛い声を聞いていると、こんなに美味しい自然の恵を独り占めするのは恥ずかしい事だと気が付いたのです。また食料の少ない冬に、このリンゴは小鳥達にとってはご馳走に違いないのです。
それにこの木は私が播いたのではなく、もともとは小鳥達が播いた種から発芽して大きく育った木なのです。
小鳥達が播いて育てたリンゴをよそ者の私が収穫しても、彼らは快く許してくれています。それどころか、毎朝可愛い声を聞かせてくれ、可愛い姿を見せてくれ、私を楽しい幸せな気持ちにしてくれています。そしてその見返りを全く要求したりしません。
私は彼らや自然から与えてもらうだけなのです。
「ありがとうね。」
小鳥達の姿を見ながら、そんな当たり前な言葉しか思いつかない私です。



2008年05月26日
「思いやり」
山のない岡崎平野の真ん中で育った私は、山の見える風景がとても好きです。
不思議な縁で今、パタゴニアアンデス山脈の麓に暮らし、毎日山を見て過ごしています。
真っ白に雪を被る冬山、緑に輝く春山、「ああ、登りたいなあ」と毎日見上げる夏山、そして紅葉で赤く染まる秋山。
どの季節も私は大好きです。
パタゴニアは数年前から観光ブームで、毎年観光客数の記録を更新しています。また人口も爆発的に増え、水不足、ゴミ問題、エネルギー不足が深刻な問題となっています。
エルボルソンはパタゴニアと言っても、ペリートモレノ氷河の様な華やかさも無ければ、バルデス半島のペンギンや鯨などの野生動物もいません。ですからトレッキングやアウトドアスポーツで観光誘致をしています。
その為、私の好きだった不便でのんびりとしたそのままの自然が、お客様の為に整備されています。
草ボウボウの素敵な小道は倍以上に広げられ、砂利がひかれました。恐々登った山道には手すりがつけられ、邪魔な木は切り倒されました。オフロードバイクや4X4用に林が切り開かれました。
自然が好きで、自然の中でリラックスしたいと思って来る人達の為に、本当のありのままの自然が、飾られた人間の為の自然に変わりつつ有るように思えるのです。
私達の農場もお客様を受け入れています。でも、その為に草を刈ったり、家を近代的に整備したりしません。
「観光業をするのなら、先ずこの家をもう少し何とかして、周りに花壇や果樹園を作り綺麗にしなさい。」ととても親切に忠告してくれた人もいます。
人にはそれぞれ価値観があり、考え方も千差万別です。ですから、私は反論したり反発したりはしません。私は私の信じる事を信じるままに続けていくだけだと思っています。
それでも整備された山に登った時、手すりに合わせて切り取られた木の幹を見ると、人間の思いやりの無さを恥ずかしく思うのです。
木を切り取る事よりも、せめてそこだけ手すりを付けないでいてあげる事は出来なかったのかと悲しくなるのです。
自然に対する思いやりって何だろう?といつも考え続けていきたいと思っています。

2008年05月12日
「火山灰が降った日」
5月2日、ここから約250km離れたチリ側で火山が噴火しました。ラジオのニュースでアルゼンチンのエスケルと言う町にも灰が2cm積もっていると言っていました。エスケルは180km離れていますが、友人もおり、時々訪れる町です。
ニュースでは「学校閉鎖」「外出は控えるように」「マスクと飲料水が売り切れている」など言っており、火山灰が有毒という噂も流れたようです。
私達はそれをニュースとして聞いており、身近には感じていませんでした。
ところが、6日、エルボルソンの地元ラジオ局では朝から火山灰の事ばかり言っています。
「今日学校は閉鎖」「外出時はマスクをするか口を覆う様」「水は飲んではいけない」等々・・・数日前ラジオニュースで聞いた同じ事を、今度は地元のエルボルソンのラジオナショナルで言っているのです。
でも、私達の農場では蒼い空が広がり、たった17kmしか離れていないエルボルソンで、なんでそんな大袈裟な事を言っているのか分かりませんでした。ところが翌朝外を見ると、うっすらと白いのです。
「今朝は割と暖かいのに、霜が降りている。」と外に出てみて驚きました。それは霜ではなく「火山灰」だったからです。
生まれて初めて見る自然の火山灰。「これがチリから飛んできたんだ!」と私は妙に感動してしまったのです。
翌日の7日、私達は買い出しにエルボルソンへ行きました。町に近づくと灰の量が増えて、まるで雪が降ったようです。地形の関係か、6日は私達の農場では何でもなかったのに、エルボルソンでは灰が舞って大変だったそうです。
お店や家の前では水を撒いて灰を洗い流す作業が忙しそうでした。また、どのスーパーにも飲料水が、また薬局ではマスクが売り切れでした。
やはり「火山灰は体に有害」と言われており、ちょっとしたパニックだったようです。
私は岡崎平野の真ん中で山を身近に感じずに育ちました。それでも、火山灰にはここの人達の様な恐怖は持ちませんでした。もしここに、鹿児島出身の方がいたら、どんな風に感じたでしょう?
勿論自然現象を甘く見てはいけないと思いますが、必要以上に怖がるのもどうかと思います。
人間が自然を支配管理するものだと思っているから、こんな時パニックになるのではないでしょうか。プラスッチクでも何でもゴミは平気で野焼きしているのに、自然の火山灰は「有毒」だと騒ぐ事を、なんだかとても不思議に感じました。

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