2009年03月02日
「共に生きると言うこと」
9月にのうじょう真人の仲間になった犬の「伏姫」も、すっかり大きくなりました。大食いのくせに何故か痩せてひょろひょろとしていますが(お腹に虫がいる訳ではないのです)大きな耳がぴんと立ち、女の子なんですが、なかなかりりしい顔になりました。
眠る事と食べる事が大好きで、親分の「パク」がワンワン吠えていても全く興味を示さず、段ボールのベッドに入って高いびきで寝ています。
臆病で、来客があったり、私達が見慣れない帽子を被って外に出たりしただけで「いつもと違う!」と悲鳴の様な声で吠えながら、一目散に彼女の隠れ家である水タンクの裏側に逃げ込みふるえています。
本当はいるだけで恐わがられる様な番犬になって欲しかったのですが、伏姫の持って生まれた性格なのですから仕方ありません。
私は毎朝、この伏姫とパク、最長老のらくうと一緒に農場内を散歩します。今年の夏は干魃と高温で日中はとても外に出る気がしませんが、早朝は湿気が無いので清々しく犬達も走り回りながら喜んで付いてきます。私の大好きな時間です。
我が家では草刈りはしませんし、果樹の剪定や林の木の枝を払ったりしません。自然を私達に合わせ利用するのではなく、私達が自然に合わせ共に暮らさせて頂くという気持ちを持つようにしています。でも、犬達と散歩していると、自分は自然の一部だと言うことをまだまだ分かっていないと反省します。
林の小道に小枝が張り出している場所があります。小さなパクとらくうはそこをトンネルの様にくぐっていきます。伏姫も小さい頃はそこを難なく通り抜けていました。体が大きくなっても、わざわざ腰をかがめてその枝をくぐっていました。そして最近は、その枝をぴょんと飛び越えるようになったのです。
ところが私はその枝を腰をかがめてくぐる事も、飛び越える事もせず、枝を押しのけて進んでいました。つまり自分の都合に合わせて毎朝その枝を押しのけていたのです。そしてそうしていることに、伏姫が初めてそこを飛び越えるまで気付かずにいたのです。
犬達は学校には行きません。本も読みません。偉い学者さんや先生の講演も聞きません。それでも生きる上で一番大切な自然と共に生きる術を、心優しい思いやりの心を身につけています。
人間が万物の霊長なんて思いません。私の大嫌いな言葉です。でも、私は飛び越えられるその枝を、平気で押しのけ進んでいたのです。それは思い上がり以外の何ものでもありません。
自然は、犬や猫達は、何時でも私に多くの大切な事を教えてくれます。








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