2008年11月12日
「魔法の色鉛筆」
「とんとんとん・・・」
教室のドアがノックと同時に開いて可愛い顔が覗きます。そして機関銃の様なおしゃべりが始まります。
3月から始めた日本語教室。
エルボルソンの文化センターの教室をお借りして授業をしていますが、我が家からエルボルソンまでは山道を車で30分。私にとっては気軽に行ったり来たり出来る距離ではありません。ですから、木曜日を日本語教室の日と決め、お弁当持参で朝10:30から夕方5:30まで3教室行っています。
お昼は職員さんも帰宅してしまい、午後の授業までの1時間半、文化センターには私と留守番の人だけになります。遊びに来るのは、その留守番の人の5歳になる娘さんなのです。
正直に言いますと、私はあまり子供好きではありません。でもこうして寄ってくる子を邪険にする程意地悪でも無いつもりです。
彼女にとっては「日本人」と話すのは初めての経験だったようで、「名前は?」「幾つ?」などというありきたりの質問にも喜んで答え、聞きもしない自分の家族や幼稚園の事を嬉しそうに話し始めました。そうして私が子供教室用に日本から持って来た24色色鉛筆のケースを机の上に出すと「これ何?」と、とても興味を持ったのです。
「これは色鉛筆」
「開けても良い?」
「どうぞ」
そうしてケースを開けようとするのですが、上の角の二カ所を押さえてから開ける方式を知らず、「開かないよ〜」と困ってしまいました。
そこで素直に開けてあげれば良い物を、私はつい「これはね、魔法で開けるんだよ。」などと言っていました。そして彼女に気付かれないように角を押さえて「今魔法をかけたから、開けてご覧。」と開けさせたのです。
「ひゃあ〜!開いた!凄い!こんな魔法初めて見た。」
その時の彼女の嬉しそうな顔。子供好きな方には、純真な子供を騙す悪いおばさんとお叱りを受けそうですが、私はそのまま本当の事は言わずにいました。
翌週も彼女はやって来て、「魔法の色鉛筆は?」と一番に聞いてきました。
「あるよ。」
「魔法で開けてみて。」
「今日は魔法を教えてあげる。」
「本当?」
私はケースの上に手をかざし、呪文を唱えます。
「ちちんぷいぷい。」
そして2回手を打って、「ちちんぷい!」と叫び、彼女の目を盗んでさっと角を押さえました。
「「開けてご覧」
「開いた。開いた。」
「じゃあやってご覧」
彼女は何度も「ちちんぷい」の言葉練習をして、いよいよケース開けに挑戦しました。でも、彼女に隙が無くて私が角を押さえられずに開けられませんでした。
「どうして??」
「あのさ、手は2回だけ打つんだよ。今3回打ったでしょ。それに、最後のちちんぷいの時は目を瞑るの。」
「あっ、そうか。」
期待満々の顔で再挑戦です。そして今度は上手く開ける事ができました。
「やった!!凄い魔法だ!」
喜んで居る姿がとてもとても可愛く思えました。
本当ならこれで種明かしをしなければいけないのでしょうが、私は黙っていました。
こうして魔法を素直に信じる時期は、きっとそんなに長くはないでしょう。それなら、その貴重な時期に「凄い凄い!」と素直に喜んでいて欲しいと思ったのです。また、彼女が大人になった時、今日の事を思い出して「魔法遣いのおばあさんに会ったことがある」なんて懐かしく楽しく思い出して貰えたら、それも素敵だなあと思うのです。
でも・・・私のした事は、純真な子供を騙した酷い事だったのでしょうか??「子供嫌い」と言われ続けている私には良く分かりません。






2008年10月08日
「私の四季」
「パタゴニアには四季が無い。あるのは雨季と乾季だけだ。」
そう言った人がいました。
私は驚いて、「夏の乾燥は確かに乾季といえるけど、それでも、ここに四季はある。」
と反論したら、「こんなの四季じゃあない。」と断言されました。
日本の四季は繊細で、その四季の移り変わりを楽しみ愛でる暮らしをしてきた人にとっては、パタゴニアの季節の移り変わりは四季に思えないようでした。
「ここの四季を感じないなんて、全然自然を見ていないんだね。信じられない。」
思わずきつい言葉を言ってしまった私に
「言っちゃあわるいけど、自分は君よりずっと、ここの土地の自然を見ているよ。何処にどんな鉱物があるか、地形はどうか、どこがどんな植生か・・・。」

確かに私は、焼き物の材料探しやトレッキングなど、自分の足で歩いて自然を見てきたつもりでしたが、酷い方向音痴と観察力の欠如で、自分の行った場所の鳥瞰図が全く思い描けません。それは結局、パタゴニアの自然を本当に知っていることにはならないのだと気づきました。
まして、自然の花を描けと言われても、花びらの数はどうだったかなあ?葉っぱの形、付き方はどうだったんだろう?と自信を持って描ける花が無いのです。
私はいったい何を見ていたんだろう?
ここで何を感じて来たんだろう?と考えてしまいました。

自然と共に暮らすことは、表面だけの自然を見ることじゃあないのだと反省しました。
ここパタゴニアは恐ろしい勢いで乾燥化が進んでいます。
皆の様にだた「恐い。これから先が心配だ。」と口に出すことは簡単です。でも、本当にしなければいけない事は、自然の姿をもっともっと良く見て感じて、自然の声を聞き、物事の本質を見抜く事なのではないかと思い直しました。

それでも、そう思う反面、例え自然の表面しか見ていないとしても、パタゴニアには美しい四季があって、今この季節は猫柳の膨らみを可愛いと思い、水仙の蕾に春一番を感じ、日に日に大きく摘みやすくなって行くたんぽぽの葉を味わい、サクランボの白い花、プラムの薄ピンクの花、姫リンゴの赤い花を美しいと感じる感性を大切にしていきたい気持ちもあります。






2008年09月24日
「初めまして」
実はずっと書けずにいた事がありました。
昨年の11月に、大切な仲間だった犬の「地和ちいほう」「人和れんほう」を、私の不注意から失ってしまったのです。
写真を見ることも、彼らの名前を口に出すことも辛くて出来ませんでした。
私に出来るせめてもの罪滅ぼしは、もう二度と自分から犬を欲しがらない事、山や観光地に置き去りにされ、生きる術を持たない捨て犬を連れ帰り、面倒を見てあげる事位だと思っていました。
地和、人和がいる頃は、そう言った犬達を目にしても為す術がありませんでした。
彼らを失ってから、一度山でガリガリに痩せた成犬を見かけました。連れて帰ろうと車を止め、後部座席を片づけている間に、その子は藪の中に逃げ込んでしまいました。
また別の時は、国道沿いをフラフラとさまよっている中型犬を見つけました。用事を済ませて数十分後に戻った時には、車に跳ねられたのか、その子は道路脇で冷たくなっていました。
私に残ったのは苦い後悔だけでした。
不思議なもので、捨て犬を引き取れる状況の時には縁が無いのです。でも、それはそれで仕方ない、いつでも引き取れる様に、子犬をもらうことはしないで置こうと決めていました。
ところが、日本語教室で犬の話になり、私が「捨て犬を引き取りたい」と話したら、生徒の一人が「家で子犬が8匹生まれた。もらって。」と言ってきたのです。
最初は断ったのですが、もらい手が無いと殺さなきゃあいけない、と泣きつかれました。
迷いました。
8匹の兄弟全部を引き取る事は出来ませんし、その中から数匹を選ぶことも出来ません。
迷って迷って、それでも捨て犬を引き取れる余裕を残して置くため、一匹だけ、彼女が選んで連れてくるという条件で引き取る事に決めました。
こうして我が家に、2ヶ月にもならない小さな小さな雌の子犬がやって来たのです。
「伏姫」と名付けました。これは里見八犬伝の伏姫から頂きました。辞書では「伏」は服従させるという意味が強い様ですが、私は人と犬がお互い支え合って生きていると理解しています。
私が受け取った小さな命。そして私の心を豊かにしてくれる掛け替えのない命。
これはまた、地和、人和から引き継いだ命でもあるのです。
「初めまして。これから宜しくお願いします。」
もう二度と後悔しないように、大切に育てて行きたいと思っています。



2008年08月19日
「子供に伝えたい事」
私には子供はいません。当然子育ての経験もありません。ですから、子供にもその親御さんにも偉そうな事は何も言うことは出来ません。
でも、時々「????」と思うことはあります。
友人の子がまだ5歳くらいの時でしたが、外でポテトチップスの袋を持ち、歩き周りながら食べていました。
「○ちゃん、歩きながら物を食べてはいけないんだよ。」と私にしては優しい声で言ったつもりですが、やっぱり無視されました。
その時はお母さんが側に居ることだし、まあ私が口出しする事じゃあないか、と思い直しました。暫くすると、パリパリ音がするのでその子の方を見ると、お菓子を地面に捨てて、靴で踏んで遊び始めたのです。
「そんな事しちゃあダメじゃない!」
私は思わずきつい声で注意してしまいました。彼女は親からも、ましてや他人からもそんな風にきつく言われた事が無かったらしく、「はっ」として動きが止まりました。
「あのね、食べ物を足で踏んだり、遊んだりしちゃあいけないんだよ。」
私の言葉が終わらない内にお母さんが飛んできました。そして「可哀相に。○ちゃんはそれがいけない事なんて知らなかったのよね。」と彼女を抱きしめたのです。
私は一瞬あっけに取られ、直ぐに余計なお節介をしたんだと気付きました。そのお母さんはいつも私に「私は子供を甘やかしたりしないで、きちんとしつけている。」と言っているのです。だから食べ物を土足で踏みつけることがいけない事だと言うのは、教えられなくても普段の生活の中で自然に身についているものだと、思わず大きな声で注意してしまったのです。
もともと私は、小さい子を見て思わず駆け寄って、話しかけてしまう様な子供好きでもありませんし、子供のご機嫌を取ることも苦手です。それに私は子育ての経験も無く苦労も知らないのだから、余計な口出しはすべきでは無いのだとその時思いました。
それ以来私は子供に注意する事は無くなりました。
ところが、最近ラジオの子供向け自然保護番組を何気なく聞いていて、“はっ”と気付いたのです。世の中には「してはいけません」が溢れて居ることに。
「木を伐ってはいけません。」「ゴミを捨ててはいけません。」「川を汚してはいけません。」
一見するとそれは当然の事です。でもそうやって「いけません」を押しつけるより、「木を植えましょう。」「種を播きましょう。」「ゴミを拾いましょう。」「自然と友達になりましょう。」と訴える方が、ずっと大切な事ではないかと。
親に恨まれるから子供に何も言わないは間違いでした。でも、「いけません」と言うのはいけないことです。
もしお菓子を踏みつけて遊ぶ子がいたら、こんどは「お菓子は食べようね。遊ぶのは石にしようね。」と言って見るつもりです。

2008年07月17日
「自分で受け止める事」
エルボルソンの町中にはゴミ収集車が来ます。でも私達の住むマジン地区には来ません。引っ越してきた当初は、町に行った時公園のゴミ箱に捨てていました。でも小さなゴミ箱に我が家の一週間分のゴミを押し込む行為が何となく恥ずかしく、親しくなった隣人にゴミをどうしているのか聞いてみました。
生ゴミは鶏のエサや畑の堆肥に利用し、燃やせる物は薪ストーブに放り込み、それ以外は町のゴミ捨て場に直接持って行くとの答えでした。
早速私達も町から15km北の国道沿いにあるゴミ捨て場に行ってみました。ところが行ってみてとても驚きました。なぜなら大きな穴の中に、なんでもかんでも放り込んで野焼きしているだけだったからです。15年前の事ですが、周りには既に悪臭が漂い大穴もほぼ一杯になっていました。
その風景を見てから、私達は大いに反省したのです。ゴミをゴミ箱に捨てる行為は、ポイ捨てが多いここではとても尊い行為なのですが、最終的にはポイ捨てと変わらないのではないか?と。だから自分達の出したゴミは農場内で処理しようと決めたのです。
再利用できる物はみっともないと思われても、徹底的に再利用します。薪ストーブの灰は焼き物の釉薬に利用するので自然の木(薪)だけを燃やし、それ以外の燃やせる物は外にある露天風呂の焚き口で燃やします。プラッスチックや金属、電球は穴を掘ってその中に。ワインなどの瓶は焼き物の釉や飾りで利用する事もありますが、殆どは軒下に保存する薪が地面の水分を吸わないように下敷きにしています。自然農法なので堆肥は作らず、生ゴミは畑に直接返しています。
外でゴミを燃やす時は、あらかじめ小枝で火の勢いをつけ高温になってから燃やすのですが、やはり嫌な臭いがして有害だと言うことを実感します。日本から来た人がこの風景を見て「環境汚染」と非難しました。では、それでは、いったいどんな解決法があるのでしょうか?
町のゴミ箱に捨てれば後は何も見ずにすみます。でもそれは結局、自宅で燃やす以上の環境汚染をしていることになると思うのです。人口増加、観光化で町でもゴミは大問題となっています。でもまだゴミの分別収集さえ実現していません。
私達に出来ること。それは自然に還れないゴミは出さないこと。でも今の生活では100%実行することは不可能です。ですから、有害であると分かっていても、自分の出したゴミは自分で受け止める事にしています。



写真はゴミのリサイクル活動で地元の学生たちがゴミから作った装飾品、オモチャです。リサイクル活動は大事なことかもしれませんが、有機農法と同じで今の流れを止めることは出来ないでしょう。否、かえって益々今の流れに拍車をかけると思われます。





2008年06月23日
「色、いろいろ」
私が焼き物を始めたのは、ここパタゴニアに来てからです。
日本に住んでいる頃は全く焼き物には興味がありませんでした。その私がパタゴニアに暮らし始めた年に、村の生活向上センターの焼き物教室に参加したのは全くの偶然でした。
あの時「生活向上センター」と言う存在を知り、引っ込み思案の私には珍しく、地元の人と知り合う為に行ってみたいなあと思った事が始まりでした。(ケチな私には参加が殆どただ同然だったのも大きな魅力でしたが)
その時にやっていたのが「焼き物教室」と「自動車整備」の二つの教室で、メカには滅法弱い私は選ぶ事も無く「焼き物」の方を選んだのです。先生が隣人だった事も参加の大きなきっかけのひとつでした。
3ヶ月後の教室終了時に、生徒の作品展示即売会をしました。その時、私の作った今は亡き愛犬「ちょり」をモデルにした素焼きの灰皿をとても気に入って買っていってくれた人がいました。自分の作った物を気に入ってもらえた感動と感激。そしてたった5ペソでしたが、それはアルゼンチンに来て初めて自分で稼いだお金だったのです。
現金な私はそれだけで「焼き物を続けたい」と思ったのです。そして、その私の気持ちを汲んで、農場に見よう見まねで薪窯を作ってくれた夫が粘土に触れた事で「焼き物」の虜になってしまったのです。
今では作陶が私、窯作りと焼きが夫、材料探しは二人で、と全くの二人三脚で「のうじょう真人陶芸」をしています。
アルゼンチンでは焼き物は作ることのみに重点が置かれています。粘土や釉薬は市販品で当たり前ですし、焼くのは機械管理の電気窯が一番良いと豪語する人も少なくありません。
でも私達は自然の中の「美」を、薪窯で焼いて引き出すことが最高の焼き物だと考えています。ですから粘土も釉薬の原料も自分達の手と足で自然の中から探します。農場の粘土と砂で窯も手作りします。薪も農場の松を斧とノコギリで倒して割って用意します。勿論将来の為に無数の木の種も播きます。日本では当たり前のことなのですが夫は徹夜で窯焚きをします。温度計は使いません。
「それは大変だねえ。」と多くの人が呆れた様に言いますが、その大変さにはそれ以上の楽しさや感動が含まれているのです。
私の作陶は下手です。笑ってしまうほど下手くそです。でも言い訳みたいですが、上手に作ることより心を込めて作ることを心がけています。
先月、チリのチャイテン火山が噴火し、その灰がアルゼンチンにも降りました。有毒だ!と騒ぐ人を尻目に私達はその灰を集め釉薬にしてみました。窯は農場の粘土で作ったので、灰が溶ける以前の1080℃で窯が溶け始めてしまいます。ですから灰に融解剤BORAXを混ぜました。
この作品を取り出した時、私はとても綺麗だと思いました。化学釉よりずっとずっと綺麗な色だと思いました。自然原料の配合、作品の厚み、焼成時間と温度、気温、風、松薪の状態、私達の体調、粘土と原料の相性etc・・・。あらゆる事が重なって、混ざり合って出てくる私達の想像を超えた自然の色。
私は自然の恵や力を感じられる暮らし、そんな焼き物を出来る今の暮らしにとても感謝しています。


2008年06月12日
「ありがとうね」
パタゴニアの冬がやってきました。
夏には観光客で賑わった町も、今はひっそりしています。冬の観光資源のないエルボルソンでは、冬はブラジルやヨーロッパに出稼ぎに行く人が多くいます。寒くて寂しい冬は嫌だという人が殆どです。でも私は冬が大好きです。寒くても、不便でも、冬を寂しいとは思いません。
冬が寒いのは当たり前です。冬には冬の楽しみや美しさが沢山あります。
私は霜柱の道を歩くのが大好きです。氷の張った水たまりの模様の美しさに見とれます。ストーブの中で弾けて燃える薪の音は心地よいです。
そして今、毎朝とても楽しみにしている事があります。それは窯場の横のリンゴの木の近くに静かに立つことです。
「ジジジ・・・ジジジ・・・」「チュチュチュン」
小鳥達が可愛い声でさえずりながら、木に残ったリンゴを食べに来てくれるのです。
実はこのリンゴ、甘くて美味しいので全部収穫したかったのです。でも自然農法で自由に大きくなった木は背が高く、上の方の実は採ることができませんでした。長い棒でつついて採ろうかと思っていたのですが、毎朝やって来る小鳥達の可愛い声を聞いていると、こんなに美味しい自然の恵を独り占めするのは恥ずかしい事だと気が付いたのです。また食料の少ない冬に、このリンゴは小鳥達にとってはご馳走に違いないのです。
それにこの木は私が播いたのではなく、もともとは小鳥達が播いた種から発芽して大きく育った木なのです。
小鳥達が播いて育てたリンゴをよそ者の私が収穫しても、彼らは快く許してくれています。それどころか、毎朝可愛い声を聞かせてくれ、可愛い姿を見せてくれ、私を楽しい幸せな気持ちにしてくれています。そしてその見返りを全く要求したりしません。
私は彼らや自然から与えてもらうだけなのです。
「ありがとうね。」
小鳥達の姿を見ながら、そんな当たり前な言葉しか思いつかない私です。



2008年05月12日
「火山灰が降った日」
5月2日、ここから約250km離れたチリ側で火山が噴火しました。ラジオのニュースでアルゼンチンのエスケルと言う町にも灰が2cm積もっていると言っていました。エスケルは180km離れていますが、友人もおり、時々訪れる町です。
ニュースでは「学校閉鎖」「外出は控えるように」「マスクと飲料水が売り切れている」など言っており、火山灰が有毒という噂も流れたようです。
私達はそれをニュースとして聞いており、身近には感じていませんでした。
ところが、6日、エルボルソンの地元ラジオ局では朝から火山灰の事ばかり言っています。
「今日学校は閉鎖」「外出時はマスクをするか口を覆う様」「水は飲んではいけない」等々・・・数日前ラジオニュースで聞いた同じ事を、今度は地元のエルボルソンのラジオナショナルで言っているのです。
でも、私達の農場では蒼い空が広がり、たった17kmしか離れていないエルボルソンで、なんでそんな大袈裟な事を言っているのか分かりませんでした。ところが翌朝外を見ると、うっすらと白いのです。
「今朝は割と暖かいのに、霜が降りている。」と外に出てみて驚きました。それは霜ではなく「火山灰」だったからです。
生まれて初めて見る自然の火山灰。「これがチリから飛んできたんだ!」と私は妙に感動してしまったのです。
翌日の7日、私達は買い出しにエルボルソンへ行きました。町に近づくと灰の量が増えて、まるで雪が降ったようです。地形の関係か、6日は私達の農場では何でもなかったのに、エルボルソンでは灰が舞って大変だったそうです。
お店や家の前では水を撒いて灰を洗い流す作業が忙しそうでした。また、どのスーパーにも飲料水が、また薬局ではマスクが売り切れでした。
やはり「火山灰は体に有害」と言われており、ちょっとしたパニックだったようです。
私は岡崎平野の真ん中で山を身近に感じずに育ちました。それでも、火山灰にはここの人達の様な恐怖は持ちませんでした。もしここに、鹿児島出身の方がいたら、どんな風に感じたでしょう?
勿論自然現象を甘く見てはいけないと思いますが、必要以上に怖がるのもどうかと思います。
人間が自然を支配管理するものだと思っているから、こんな時パニックになるのではないでしょうか。プラスッチクでも何でもゴミは平気で野焼きしているのに、自然の火山灰は「有毒」だと騒ぐ事を、なんだかとても不思議に感じました。

2008年05月07日
「ローズヒップ」
日本ではローズヒップと呼ばれ、実を利用した化粧品に人気が出始めているようですが、こちらでは「ロサモスケータ」と呼ばれています。ヨーロッパからの比較的新しい帰化植物ですが、もの凄い勢いで増え広がっています。
野茨の一種で株中に棘があり、この棘は先端が鉤の様に曲がっていて、少しでも触れると「逃した獲物は逃がさない!」とばかりにがっちり食い込んできます。そして中から無数の細かい棘が出てきて、なかなか抜けません。しかも毒でもあるのか嫌な痛みが続きます。
そしてここパタゴニアの気候風土が余程気に入ったのか、恐ろしい勢いで増えています。
以前から実はジャムやお茶にしていましたが、ここ数年は種を絞った油が主にヨーロッパへの輸出用として注目を集めています。
この地区では自分の敷地内のロサモスケータは目の敵にして根こそぎ刈り取り燃やしていますが、道路沿いの実を熊手の様な専用収穫器でガリガリと収穫している人を時々見かけます。
私達は農場内で、余程のことが無い限りこのロサモスケータも刈りません。帰化植物であっても、棘に悩まされても、この土地が好きで種から育ったのだから、私達が自分の都合で刈り取ってしまうのはエゴだと思うからです。それに、薄ピンクの花はとても可愛いし、今の季節の赤い実も周りの黄葉に映えてとても綺麗です。
あと何回か霜に当たって甘みを増したら、棘に気を付けながら一粒ずつ収穫して、今年もケチャップを作ろうと思っています。それから一昨年作ったお茶がもう残り少なくなってきたので、種を取った後よく乾燥させ、細かく潰してお茶として保存するつもりです。
日本では美顔化粧水として売り出されている様なので、毎朝この実を水の中で潰してそれで洗顔でもすれば、最近めっきり増えたシミもうすくなるかしら・・・?などと期待しています。
正直言うと、薪集めやりんごの収穫時にこの棘に刺されると、痛くて「邪魔だなあ」と思うこともあります。でもその直ぐ後に、「いやいや、私の方が新参者なんだから、ここで一緒に暮らさせてもらえる事を感謝しなきゃあ。」と思い直します。
私も自然の一部として、皆と仲良く共存していきたいと思うのです。

2008年04月28日
「面白い、面白い」
アルゼンチンという国は、住めば住むほど「面白い」と感じます。この「面白い」には楽しいと言う意味と、とんでもない所だ!という二つの意味があります。
日本で生まれ育った私には、時々アルゼンチンの常識とか習慣がどうにも理解不能で困る時があります。また、「ええ〜。そんな考え方もあるんだ!」と非常な驚きを感じる時もあります。
先日、エルボルソンから約270km内陸部に入った砂漠地帯の中にぽつんとある「インヘニエーロハコバシイ」という鉱山関係の町にカオリンと粘土の採集に行って来ました。
私達の車では帰りはインヘニェーロハコバシイで給油しなければ燃料が足りません。心配した夫は事前にインヘニェーロハコバシイ唯一のガソリンスタンドに問い合わせました。
「心配するな。かつて一度も燃料不足になったことはない。年中無休で営業している。安心して来い。」との返事。
信用して予備タンクは持たずに出掛けました。ところが・・・給油のためガソリンスタンドに行くと
「今日は燃料は無い。」と平然と言うのです。
「どうして無いんだ。」「今日中にエルボルソンに帰らなければいけない。」「いつ燃料は来るんだ。」「他に給油できる場所は無いのか?」の質問にゆったりと「今日の2時には来るから待っていろ。」の返事。燃料が無いので車を駅の駐車場に置いて、夫は昼寝。私はぶらぶらと町を散策しました。
そして2時。
「まだ着かない。4時か5時に遅れる。」
そして5時。
「8時には着くだろう。」
流石に「まあその内来るだろう。」とたかをくくっていた私も不安になってきました。このままでは何時給油できるか分かりません。ガソリンスタンドの人に相談しても、「そんなことは知らない。」の一点張り。この町を出ても、途中の砂漠地帯でガス欠になることは目に見えています。仕方がないので取りあえず私だけがバスを乗り継いで8時間かけてバリローチェ経由で家に帰ることにしたのです。バスは早朝5時の出発です。
車の中でパンを囓り、夕暮れに沈む町を見ていたら、「こんな事もあるんだなあ・・・。」と不安を通り越して笑えてきました。
で、結局、私達はその夜10時過ぎ、無事我が家に辿り着くことができたのです。それは燃料がガソリンスタンドに来たからではありません。夕暮れの町で偶然、インヘニェーロハコバシイ唯一の知り合いに出会い、彼が奔走してくれて燃料を調達出来たからです。
友人と言うにはまだ付き合いも浅い彼が、困っている私達を見かね、燃料を持っている友人を紹介してくれたのです。
その人は自分の為に予備に持っていた燃料を気前よく分けてくれました。
そして、ここでは時々燃料不足になることや、今日中にガソリンスタンドに燃料が来る可能性は無いことなどを教えてくれました。
燃料補給出来ないと分かった時、「ええ〜どうしよう・・・」と一瞬途方に暮れましたが、長いアルゼンチン暮らしでそれなりに逞しくなったようで、「まあ仕方ない。何とかなるでしょう。取りあえずこの状況を楽しもう。」と思うことができました。そして実際に、散策途中で素敵な博物館を見つけたし、人の優しさも身に染みました。何よりも家に辿り着いた時、「今日は疲れたけど“面白かった”」と思ったのです。
人はやはり、怒るより悔やむより、笑って楽しんだ方が良いようです。



蛇足;インヘニェーロハコバシイのガソリンスタンドに燃料が来たのは、翌日の夕方4時過ぎだったそうです。


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