2009年01月19日
「砂漠を美しいと思えない訳」

「月の砂漠をはある〜ばると〜・・・」
絵本などではこの歌詞と共に、満月の砂漠を駱駝に乗って旅する王子様とお姫様の挿し絵があって、幻想的な美しさが漂っていました。なだらかに連なる砂丘。人工物の全くない世界。そんな世界に憧れを抱いていました。
福岡正信氏の自然農法に出会い、パタゴニアに暮らし、大地に種を播く暮らしをして、私の考えは随分と変わりました。
今私は「砂漠」を美しい自然だとは全く思えません。緑のない景色、水の流れていない景色、生き物が溢れていない景色は恐ろしい景色だと思います。そしてそれは決して自然の姿ではないと思います。
時々、南米旅行中の旅行者と話す機会があります。殆どの人がペルー、ボリビアから南下してきた人達です。そして先ず間違いなくエルボルソンを「緑の多い町」と気に入ります。
植生の少ない儚(はかな)いこの自然を「緑が多い」と感じるほど、南米大陸の北は乾燥して砂漠化してしまっているようです。
パタゴニアでもアンデス山脈の麓を少し離れると、荒涼とした乾燥地が始まります。焼き物の材料探しやお客様を案内して時々行きますが、胸を締め付けられる様な焦燥感を感じます。ここには木の化石がゴロゴロしています。つまり以前は大木の茂る大森林だった筈です。そんな大昔の事でなくても、地元の70才近い方達が「子供の頃ここは大草原だった。」「この湖は対岸が見えなくて野生のフラメンゴが空を覆い尽くすほどいた。」と思い出話をしてくれるのです。
灌木が生えるだけの雨も降らない土地。でもそれはここ50年の間に人間が作り替えてしまったものなのです。
日本では決して見ることの出来ない砂漠や乾燥地を「美しい自然」と喜ぶ人達。でもそれは「珍しく」ても「美しく」ないのです。
雨の降らない乾燥した空気の恐ろしさは、そこに生き、暮らしてみなければ決して実感する事は出来ないのかもしれません。ほんの数`先では家畜が餓死してしまう程の干魃が始まっており、山の万年雪が小さくなり、大地が干からび、植物が枯れ、自衛の為か昆虫が小さくなっていく過程を見ていると、例えみんなが「緑の多い美しい町」と言ってくれても、素直に喜べません。
「折角楽しんで観光しているんだから、水を差さないでよ!」と煙たがられるのは分かっていますが、私は声を大にして叫びたいのです。
「砂漠は美しくない。自然の姿ではない。」と。








