2009年05月11日
「種を集める楽しみ」
青果を切った時、私は「種」を捨てたりしません。それがパタゴニアでは寒くて育たないと言われる檸檬でも同じです。
「種」はゴミではないのです。生きていて条件さえ揃えば芽をだすのです。ですから集めた種はそのままか、粘土に包んで粘土団子にして農場に播きます。発芽しないかもしれませんし、発芽しても育たず枯れてしまうかもしれません。でも、絶対無理、絶対育たないという事は誰にも言えないと思うのです。勿論時期は選びます。例えば冬に南瓜の種を播いたりはしません。
農場で付いた種は、種が落ちた時に播きます。それは花でも木でも果樹でも同じです。今は毎朝林檎を木からもいで囓りながら散歩し、芯を“ぽいっ”と禿地に放り投げます。農場には犬が、野鳥が、野ネズミが播いた(食べて出した)種から育った林檎やサクランボが色んな所で育っています。そんな苗木を見つけるのは、本当に楽しいことです。
私は農業とは無縁に育ちました。子供の頃には近所の池にザリガニがいて、それを捕まえたり、草笛を吹いたりと、それなりに自然の中で遊んではいましたが、食べ物は買うという暮らしでした。ですから、小学5年の時、理科の教材に付いていた玉蜀黍の粒(種)をどうして良いか分からず、そのまま窓から外に捨てました。暫くして窓の下に見慣れない草が出ているので抜いてみると、玉蜀黍から発芽した物だと分かったのです。その時は玉蜀黍の粒からこうして芽が出ることにとても驚き、感動しました。慌てて埋め直しましたが、そのまま枯れてしまい、実が付くところまで見ることが出来ませんでした。それでも、私の食べている実は、埋めると芽を出すという当たり前の不思議に気づき、感動出来ました。
農業専門学校で自分の畑を持ち、始めて馬鈴薯やレタスを収穫した時の感動は忘れることが出来ません。家族や友人に送り「馬鈴薯に土がついていた!」と苦情が来ましたが、私だって自分で育てる事をしなければ「なんで馬鈴薯に土がつくの!」と文句を言ったことでしょう。
今、青果から種を取り、それを洗って乾かしていますが、もし私が都会の生活者だったら、絶対こんな面倒な事はしていないと思います。
種を播いて砂漠を緑化する事に賛成する人は多くいますが、では「種を集めて下さい」とお願いしたら、いったい何%の人が実行に移してくれるでしょうか?
種を播いて育てる楽しみや感動を知らなければ、無理な事なのかも知れません。
粘土団子や種をばら播く時、理屈抜きに楽しいです。播いた種の成長を見る幸せも、育った木の実を食べる感動も知っています。その楽しみを知っているから、そして種を播く場所があるから、私は種集めが楽しいのです。
パタゴニアの観光地巡りも素晴らしいです。でも、パタゴニアの大地に種を播き、その成長に思いをはせる事も、きっと今まで知らなかった感動を知る事が出来ると思うのです。
興味の有る方ご連絡下さい。是非一緒に種まきしましょう。

2009年04月06日
「種まき」
自然の動植物はとても敏感です。私達人間がとうの昔に失ってしまった「先を感じる勘」を持っています。
地震も津波もその他の自然災害もやって来ることを感じる力を持っています。直接聞いた訳ではありませんから、私が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれませんが。
今年のパタゴニアは林檎やスモモなどの果樹も、クルミや栗などの木の実もたわわに実を付けています。そして自生種の木々も同じように種がびっしり付いています。こんなに沢山の種を付けた木々を今まで見たことはありませんでした。これは自生種だけではなくて、楓やダテカンバや松も同じです。
私は「今年は果樹の収穫が多くて良かったな。」「風に飛んで行く木の種が綺麗だな。」と単純に喜べません。それが豊かな大地の恵とはどうしても思えないからです。
昨年から干魃が特に酷くなっています。もともと夏は雨が少なかったのですが、空気の乾き方が全く違ってきています。アンデスの万年雪も恐ろしい勢いで溶け始めています。我が家から見える「デドゴルド岳」「リオアスール岳」の万年雪が消えました。15年暮らしていて初めてのことです。先日登った「ペリートモレノ岳」も僅かに残った万年雪の下から、岩がごつごつと顔を出し、今にも大岩が転げ落ちて来そうで恐ろしくて近づけませんでした。
こんな風景を間近に見ると、如何に勘が鈍くとろい私でも「何かおかしい。」と感じます。
自生種のシプレスと言う木は、種をびっしり付けたら3年以内に枯れてしまうと言われています。我が家の多くのシプレスの大木に種が付いています。村の周遊道路を走ると、種が付いたシプレスの木で山が緑よりも茶色に見えます。今は種で茶色に見えるのですが、数年後にはその茶色は立ち枯れした木に変わってしまっているかもしれないのです。
自分の命と引き替えに、それでも新しい命を少しでも多く残そうとしているのでしょう。
干魃も災害も大昔から繰り返し起こって来た事だから、今の状況もそんなに心配する事じゃあない。その内良くなると多くの人は言います。
何もしないのなら不安になるよりも楽観した方が幸せかもしれません。でも私はダメです。
自己満足でも良いのです。種を集め、それを粘土に混ぜ粘土団子を作り、乾いた大地に撒こうと思います。それは「地球を緑に」なんていう使命感からではありません。ただただ種を集めることが楽しいからです。粘土団子を作る事が楽しいからです。そしてその粘土団子を播く事が楽しいからです。そして数ヶ月後、数年後、数百年後の緑に覆われた大地を想像するのが楽しいからです。
きっと自然の木々は、自分が枯れてしまうかもしれない悲しい気持ちではなく、新しい命に先を託す楽しい気持ちで種を付けているのだと思います。
風や鳥や昆虫や動物達に混じって、私も種を新しい大地に運ぶ仲間に加わりたいと思います。

2009年03月30日
「砂漠緑化」
パタゴニアはアンデス山脈沿いの一部の土地を覗いて、殆ど砂漠化しています。これは砂砂漠ではなく、礫砂漠です。以前は草が生い茂り、川も干上がってはいませんでした。これは地元の老人達が「子供の頃は、ここには湖があった。」「草が生い茂って背よりも高かった。」と言っているのでそれ程遠い昔の話ではないのです。
100年にも満たない年月で、灌木がちょろちょろ生えるだけの礫砂漠に変わってしまったのです。そして、この3年でその砂漠化、乾燥化は急速度で進んでいます。多くの川が干上がり、野生動物は勿論、放牧の牛や馬、羊が餓死し、殆ど雨が降らなくなっています。
よそ者の私でさえ、その砂漠化には恐くて体が震えます。ですからこの土地に生まれ育った人達は、きっともっともっと深刻で切実な問題だと思っていました。
自然農法の故福岡正信氏の弟子で、ヨーロッパでの緑化第一人者、ギリシャのパノス氏が3月アルゼンチンに実践指導に来て下さいました。ギリシャでの実績もあるので、この砂漠緑化運動は大きな反響を呼び、多くの人が粘土団子で種を播いてくれると思っていました。
ところが、思わぬ問題がありました。それは砂漠を緑化する為、出来るだけ多くの種類の種を粘土団子に混ぜて播こうとしたのですが、「自然の形態を崩す。」と反対する人が多かったのです。つまり、自生の植物だけの種を播き、よそ者の種は絶対にダメだと言うのです。生命力の強い松は一番にやり玉にあがりました。
でも、これだけ砂漠になり雨が降らなくなっているのだから、少しでも早く禿地を緑で多い輻射熱を遮り地温を下げ、葉っぱからの水蒸気で湿気を大地に保たなければいけないと思うのです。その為には種類の少ない成長の遅いパタゴニア自生の植物の種だけではとても間に合わないのです。もし正義を振りかざし、反対を唱えるのなら、先ず自分が行動しなければいけないのではないでしょうか?
でも、そう言って反対を唱える人の殆どが、自生の種を集めることも、粘土団子を作ることもしないのです。そして彼らの土地には外来種の珍しい木や果樹、野菜や草花が整然と植えられているのです。
パタゴニアの砂漠は肉食の為の家畜の放牧、鉱山開発、森林伐採と人間が引き起こした事です。そして砂漠化によって雨が降らず、川が干上がり、草が育たず家畜が餓死するという悪循環が始まっています。もう完全に自然の生態系は崩れているのに、何を今更「自生種だけを播け」と叫ぶのでしょう?
けれどもパノス氏に言わせると、粘土団子で緑化をしようとすると、世界中でこの事が問題になるのだそうです。だから、ダメだと言われたら外来種は混ぜずに粘土団子を作るそうです。争う事よりも、一粒でも多くの粘土団子、種を播くことが大切だからです。
パタゴニアの緑化なんて、気の遠くなるような夢物語の様な気がしてしまいます。でも、パタゴニアの礫砂漠の中の広大な自分の土地を緑にしようと木を植え、種を播いている人も居ます。礫砂漠の中に突然現れるそうした緑のオアシスを見て、パノス氏が「パタゴニアは緑化出来る。」と確信したそうです。
今の私に出来る事はたった一つです。それは一粒でも多くの植物の種を集めることです。その種達がいつか粘土団子にくるまれ砂漠に播かれ、芽を出し、乾いた大地を覆い尽くす日を信じて。

2008年12月29日
「むしゃむしゃ」
パタゴニアに暮らして15年。大雪の冬、大乾燥の夏、冷夏、暖冬・・・毎年違う気候を過ごしてきましたが、今年の夏は慢性的な干魃に加え「青虫」が大発生しています。
12月に咲き誇る「ルピナス」が、花を咲かせるどころか葉っぱも筋しか残っていない状態なのです。
若葉の天麩羅が美味しい「コンフリ」も、これから大きく伸びていく筈の「キクイモ」も、ゴボウも同じ様な悲惨な状態です。何より困ったのは、天然ハッカの葉を食べてしまった事です。ハッカ茶は我が家の名産?で毎年乾燥して一年分のお茶にしていたのです。いつもなら採りきれない程あるのに、今年は全く残っていません。
私が呆然とする傍らで、青虫が美味しそうにむしゃむしゃ葉を食べています。
好みの植物の葉を食べ尽くしてきたので、次は何を狙うのか?と思ったら、困ったことに我が家の貴重な「空豆」「エンドウ豆」に手を伸ばし始めたのです。
「ああ〜、お願い豆だけは食べないで!だいたいタンポポがこんなにあるのに、どうしてタンポポを食べてくれないの!」
と思うのは人間側の勝手な都合なのでしょう。
何とか豆だけは助けたいと灰を振りかけたりしていますが、思ったような効果はありません。
これは我が家だけの現象かと思ったのですが、50km離れた地区でも同じように青虫は大発生していました。草刈りをして単一栽培している畑では、空豆などは茎しか残っておらず、可哀相と思う前に「見事!」と思ってしまうほどでした。
やはり我が家の様に自然農法で、畑に色んな植物がごちゃごちゃ混ざっている方が良いのだと実感しました。
さて、エルボルソンで「有機栽培無農薬野菜」を栽培している人が、画期的青虫対策を教えてくれました。園芸店で売っている「有機栽培殺虫剤(商品名は忘れましたが)」。それをかけると青虫はいちころなんだそうです。
「有機剤だから無害だし、凄い効果があるよ。」
と嬉しそうに話してくれましたが、青虫が死んでしまう物が、人間に無害だとは思えませんでした。
スーパーで簡単に手に入る「除草剤」「殺虫剤」「化学肥料」。人間の都合の為にこうした物を多くの人が家庭菜園でも気軽に使っています。
青虫の大発生は自然のバランスの崩れを示しているのではないでしょうか。
私達は自然の一員として、自然の声にもっと素直に耳を傾けなければいけないと思うのです。


写真は友人の有機農法の
農場です。ソラマメがほぼ全滅です。



2008年11月01日
「感じる心」
8月末から9月にかけて播き付けた空豆、エンドウ豆がやっと芽を出し始めました。
播いている時は、「今年も無事発芽して実を付けてくれるかな。」と不安に思う気持ちと、大きく育った実を毎日収穫する都合の良い想像をして楽しんでいます。
10月に入ってからは日当たりの良い場所、一番最初に播き付けた場所を中心に、毎朝発芽チェックをしてきました。
「まだ早いかなあ・・・」
と思いつつ目を凝らして見ると、草の中で一つ二つと、可愛い発芽した双葉を見つける事ができました。
私はこの瞬間が堪らなく好きです。15年間ここで豆を播き、発芽を見つける春を過ごしていますが、飽きるとか、感動が薄れると言う事は全くありません。
自然の中では種達は迷ったり悩んだりせず、自分の発芽の時期を感じると素直に芽を出します。例えそこが翌日にアスファルトに変えられる場所であっても、車に踏みつけられる場所であっても、芽を出せという自然の声を聞きくと何の迷いも躊躇も打算もなく伸びていきます。
その力強さ、その命の輝きに私は感動するのです。
パタゴニアに暮らせて、小さいけれどここ「のうじょう真人」に暮らせて、本当に良かったと思います。日本では感じた事のない憤りや失望を感じる事もありますが、でも、その先にある明るい何かをいつも見つける事が出来ます。例え今解決が見えない状態でも、この状況を乗り切る自分を楽しみにする事が出来ます。
それを教えてくれたのが、草の中で芽を出す豆達なのです。
それは、どんな著名な方の講演を聞くよりも著書を読んだりするよりも、私には分かりやすく力が出る事なのです。
「人は自然や土から離れてはいけない」と思うのは、自然の中には、私達を支え、励まし、包み込んでくれる掛け替えの無いものがあると思うからです。
一粒の豆の力を感じる心をここで見つけられた事を、私はずっと忘れず大切にしていこうと思っています。




2008年09月03日
「心に思う風景」
私達は農場の各所に名前を付けています。「水田」は唯一水路が土地の上にあり、夏の乾燥期にも水路の水を土地に自然に流せる場所(本物の水田ではありません)。
「果樹園」はもともとは禿地でしたが、いつか大果樹園になるようにと、毎年せっせと果樹の種をばら播きしている場所。
他にも「蕎麦」「隠し田」「1.5」「アヒル池」等。そのどれも名前と一致しませんが、それぞれそれなりの由来はあります。
日本の自家菜園のイメージとはかけ離れていますが、畑もあります。そこでは耕すことも肥料を入れる事もしません。ただ、種まき前に枯れ草は刈り取ります。種まきは全て私の担当です。
今年は数年ぶりの雨の多い暖かい春先になりました。私は早速「北の畑」の半分に麦をばら播きました。麦は思った以上に水分を必要とするので、今年は春の雨をとても有り難いと思っています。
次は「裏の畑」に空豆を植え付け、その上からやはり麦をばら播きました。そして鳥に食べられない様に、たっぷりと枯れ草をかぶせよく踏みつけておきました。
後は一ヶ月くらいかけて農場中に散らばる自称「畑」に空豆、エンドウ豆、レンズ豆、人参、大根などを播きつける予定です。
いつかここに来られた長野の農家の方が、夏にも霜がおり、一日の気温差が30℃を越えることもある、干魃気味のここの気候を「富士山頂より厳しいかもしれないね。」とおっしゃり、「成る程・・・ある意味当たっているかも・・・」と妙に納得したことがありました。
それでも私は近所の人達のように自家野菜を収穫する為に、大地を深く耕し肥料をたっぷり入れ、ビニールトンネルやハウスを作ろうとは思いません。
天気をみながらの種まきは10月の初旬まで続きます。
種まき直後の枯れ草だけの茶色の景色を眺めながら、私は自分勝手に青々と茂る麦やたわわに実を着ける豆達の姿を思い浮かべます。実際は干魃や冷害で翌年の種を残すのがやっとという年の方が多いのですが・・・。
それでも毎年毎年この時期のこの空想は、私をとても楽しい豊かな気持ちにさせてくれます。
一年では目に見える大きな変化は無くても、気がつくと周りの木々、果樹が成長し、いつの間にか大きな大きな変化の中に暮らしている自分に気付きます。
見上げるような大木が生い茂る自然林、リンゴやモモやサクランボやカリンやプラムがびっしりと実る果樹の森、空豆や麦や大根が野草の様に茂り、野鳥がさえずり、野ウサギが駆け回り、空気が甘い農場。いつも心に思うのはこんな風景です。
それが例え自分の生きている時代に見ることが出来なくても、その過程に私も参加させてもらっているのだと実感し、幸せになれるのです。



2008年04月17日
「人間が残せる3つのもの」
のうじょう真人には日本の「秋田杉」が育っています。
これは秋田南米交流会さん、秋田県人会(在亜千秋会)さん、Sさん、Iさんのご厚意によるものです。
昨年と一昨年、Iさんがブエノスアイレスで種から育てた苗木を2000km離れたパタゴニアまでトラック輸送で送って下さいました。約80本を我が家、20本をマジン村公営園芸センター、そして6人の友人に2本ずつ贈り移植してもらいました。ブエノスアイレスとパタゴニアの気候と土壌の差、夏の干魃などで残念ながら枯れてしまった苗木もあります。それでも多くの苗木達は厳しい気候に慣れながら頑張って育っています。
先週、パスポート更新の為ブエノスアイレスに行ったので、この機会を利用して送り主のIさんの所へご挨拶に伺いました。Iさんの農場には見事な秋田杉が数多く育っていました。
貴重な秋田杉を送って頂いたお礼を申し上げると、Iさんは「それは反対です。私の方があなた達にお礼を言いたいのです。」とおっしゃるのです。
Iさんは秋田杉の種を播いたその時から、パタゴニアに苗木を送る事を夢見ていたそうです。
緯度が似ている以外、夏の干魃、粘土質の土壌など秋田と私達の農場とでは大きな違いがあり、正直言うと秋田杉達には決して過ごしやすい場所ではありません。それでも千年後を想定して、どんなに大きくなっても大丈夫な様に十分な間隔で移植出来る場所が私達にはありました。
パタゴニアでは食べることができない刺身や握り鮨をご馳走になりながら、Iさんがこんな話しをして下さいました。
アルゼンチンの諺に「人間の残せる物は3つある。一つは子供。もう一つは本を書いて残すこと。そして最後は種を播いて木を残すこと。」というのがあるそうです。
「ぼくには子供はいないし、本を書くなんてとても出来ない。でも木を植えて残すことはできる。だから木を育てているんです。長年の夢だったパタゴニアに秋田杉を植えると言うことが出来て本当に嬉しいんです。」
アルゼンチンにそんな素敵な諺があることに感動しましたが、それ以上にIさんの言葉に心を打たれました。
「木を植える。森を作る。」
それは私達の目標でもあったからです。そして私達にも子供はいません。
木を育てること、森をつくること、それはきっと今の地球に最も必要なことだと思うのです。なぜなら私は自然の森のない地球に豊かで幸せな子供が育つとは思えないからです。
かつて無い程の異常高温、異常乾燥の厳しい夏を乗り切った秋田杉たちが、やっと降り始めた雨に気持ちよさそうに打たれています。
この木が大木となる千年後、二千年後に思いをはせながら、そのほんの一時でもその秋田杉達と同じ大地に立てた事を、とても嬉しいと思っています。

2007年12月28日
「初めの一歩はルピナスの花から」
今、ルピナスの花が満開です。日本名を何というのか知りませんが、長野で養豚実習をしていた時、道路脇の家の庭にこの花が咲いていて、「ああ、なんて綺麗な花なんだろう。」と見ていた思い出があります。 ここに引っ越した当初はこの花は農場に殆どありませんでした。果樹もあまり無く、あったのは若いシプレスの自然林と材木として伐採された1ha程の木のなくなった林跡地(?)でした。そこに馬でも放していたのでしょうか、私達が引っ越した時はイネ科の草もまばらな、砂漠の様な土地でした。 ここを元の様に緑の森に還すことが私達の一つの目標になりました。 りんごやすもも、カリン、さくらんぼなど地元で手に入る果実の種を大量に播きました。記念に頂いた「ふじりんご」の苗木や松の苗木も移植しました。ポプラや猫柳などを挿し木もしました。そして町の道路脇に生えているルピナスも、種になるのを待ちかねて大量に播いたのです。 アンデス山脈の谷間が真正面にあり冷たい西風が直接吹きつけ、真夏でも時々強烈な霜が降り、水もなくカラカラに乾いた土地です。多くの移植苗が枯れました。野ウサギも多く、折角芽を出した苗も根元からぷつんと食いちぎられました。 最初はなかなか成果が見えませんでしたが、先ずルピナスが増え、ルピナスの花園が出来たのです。 それからは目に見えて緑が増えていきました。野ウサギに食べられても食べられても、枯れずにわき目を伸ばし続けたナラやりんごは、いつしか野ウサギが食いちぎられないほど太くなっていました。 もう発芽しないと諦めていたりんごやすももが僅かですが種から芽を出していました。 気が付くとエニシダがあちらにもこちらにもあるのです。 まだまだ森というにはほど遠いですが、それでも確実にここは成長しているのです。 ただ種を播き続ける。選ばずに種を播き続ける。大量の種を播き続ける。そして後は自然に任せれば良いのです。 自然の営みに種を播くという行為で参加させてもらえ、育っていく過程を見続けていける。こんな贅沢な暮らしを出来る事を、心から幸せだと思うのです。