2007年10月29日
「果樹の花」

子供の頃の家はとても小さかったけれど、そのかわり土の庭があり、スズランの花が咲き、イチジクや柿の木がありました。今考えると、それはとても大切なことだったのですが、あの頃は多くの部屋のある家に住みたいと思っていました。ですから小さな家を建て増しする度に嬉しくてわくわくしていました。念願の自分の個室が持てる頃には、イチジクも柿もスズランも無くなり、その替わりに敷地一杯に建った家とコンクリートで固められたテラスに変わりました。けれどもそれを少しも不自然だとも、寂しい事だとも思わずに暮らしていました。
今、のうじょう真人は春一番に咲いてくれた水仙が終わり、タンポポが緑と黄色の可愛い自然の絨毯となっています。そしてプラム、サクランボの花が満開です。リンゴの花も蕾が膨らみ開花も間近です。
ポプラが紅い花を咲かし、まるで夕焼けの様に紅色に輝いています。シプレス林の中では野生の蘭が間もなく花開くでしょう。この花は甘い香りで林中を包んでくれます。
毎日確実に緑が濃くなり、花が増え、植物達が成長していくのが分かります。一年中好きですが、春のこの時期はこの成長を見るのが楽しくて、見逃すのが勿体なくて何処にも出掛けたくはありません。
日本のとても美しい四季の移り変わりの中で成長したはずなのに、その素晴らしさに気づいていませんでした。そして土の上で生きる価値より、インスタントや使い捨て商品に価値を見いだしていました。リンゴやサクランボやいちごは知っていました。食べるのは大好きでした。でもそれがどんな花や葉なのか、想像してみることもありませんでした。
春先新芽を出す前、木はぽっと柔らかく膨らみます。それは写真でもビデオでもわからず、同じ土の上で暮らして初めて感じる事ができるのです。全てを投げ出してしまいたくなる程落ち込んでも、林の中や果樹の下に立つと温かいものに包まれて、私の悩みも「なあんだ、そんなこと」と思えて心が軽くなります。
ここに暮らして“土の上で共に暮らす”そんな当たり前の、でもとても大切な事に気付かせて貰えて良かったと、果樹の花を見ながら感謝しています。

2007年10月22日
「素焼きの旅」

写真が何か分かりますか?
これは友人のインド土産、素焼きの焼き物の“体洗いたわし”なのです。友人に5月から3ヶ月チベット、インドの旅に出ると聞かされ「もし機会があって荷物にならないなら、欠片でもいいからあちらの土で焼いた焼き物を持ってきて。」と頼んだのです。
パタゴニアで焼き物を始めてから、テレビやビデオを見ても、雑誌の写真を見ても、ちらりと写るその地域の焼き物や土(粘土)の色が気になるようになりました。場所や環境で土の色も性格も変わります。私達が日帰りで行ける範囲の場所でもそれぞれ特徴があり面白いのだから、国が変われば、きっともっともっと新たな驚きや感動があると思うのです。ですから例え国内旅行でも、友人には「焼き物の欠片があれば持ってきて。」と頼んでいるのです。
このインドのお土産は私を感激させてくれました。第一に観光みやげではなく、地元の生活雑貨だった事。庶民の暮らしの一部が見えた様な気がしました。また作り手の性格も何となく分かります。体を洗う部分のザラザラはおそらく籾殻を利用しており、自然と向き合って暮らしていると感動しました。
焼いた燃料は何だろう?どんな場所から採取した粘土なんだろう?みんなまだ普通に使っているんだろうか?
私の想像は膨らんで、行ったことのないインドがとても身近に感じられました。勿論実際に使ってみました。使い心地は、痛くもなく適度の刺激があって想像以上に良かったです。
さてこうして実用品として楽しんだ後は、次の窯焚きでこの素焼きを窯入れします。マジン村の粘土の溶け始める約1080℃でこのインドの焼き物にどんな変化が現れるのでしょうか?地元の石、砂、粘土で作った釉で、こちらの土は時々コバルトブルーや碧色がかった白が出ます。このインドの土はどうでしょうか?
故芳村俊一先生の著書に出会ってから、その土の持つ自然の色を引き出す様な焼きが大切だと分かりました。そして、自然から滲み出た色の美しさに出会えた時の感動。窯焚きは夫の領分で私は偉そうな事は言えませんが、“焼き物は作ることでは無く焼く事なんだ”と実感するのです。
良く見て、使って、そして焼いて、次は自作釉を掛けてまた焼いて・・・。インドからやって来たこの素焼きの旅はまだまだ続きそうです。

2007年10月16日
「春の息吹」
10年前までは8月20日が私の「初種まき」の日で、その日から「空豆」「エンドウ豆」の種まきを始めていました。けれどもここ数年は春の訪れが遅くなり、夏に降っていた雨も降らなく高温乾燥のとても厳しい気候に変わってきています。
今年は特に冬の寒さが厳しく、9月に入ってもまだ地面が凍結していました。それでも9月の中旬には、日の当たる場所を見つけては枯れ草を刈り、豆播きを始めました。
福岡正信氏の「自然農法」に近づきたいと、ビニールハウスは持たず、移植定植もせず、耕さず、肥料もやらず、草抜きはせず、草刈りも最小限にしているので、近所の有機栽培畑のように多くの大きな野菜は出来ません。それでも「空豆」「エンドウ豆」「キクイモ」「チディビア【せり科植物(?)、パタゴニア野生人参と呼んでいます。】」「にんにく」「わけぎ」は毎年毎年芽を出し、夏霜にも虫にも乾燥にも負けず、のうじょう真人の貴重な食料となっています。
そして、例え食べるほど出来無くても「種」を残していくために、麦、大根、小松菜、ネギ、ゴボウなどを粘土団子やばら播きで播いています。
太陽、雨や朝露、大地、空気など自然の力の中で「種」達は自分の最適期に芽を出してくれます。
種まきから一ヶ月、私は毎朝「おはよう」と土の中の種達に声を掛けます。信じてはいるけれど、地面から芽が出るまでは心配で毎日ドキドキハラハラしてしまうのです。
そして種まきから一ヶ月後の今、「始めまして。元気に育ってね。」と可愛い芽に話しかける事が出来るようになりました。
選別したり揃えたりせずばら播くので、ごちゃごちゃと色んな芽が出ています。でも、みんなそうして自由に仲良くこの厳しい自然の中で育っていってくれるのです。
本を読む以上に、学校で学ぶ以上に、コンピューターを扱う以上に、一粒の種は私に多くの大切な事を感じさせてくれ、元気を分けてくれます。




2007年10月08日
「桜」

長く海外に住んでいると、日本を思い出す時最初に心に浮かぶ花はやはり「桜」です。
春は苦手な季節でしたが、それでも桜の蕾が膨らみ始めると心が明るくなってきました。満開の桜が花吹雪となって散りゆく様を「儚い」と言う人もいますが、私は花吹雪の桜が一番好きでした。家の近くに神社があり池の畔に桜が植えてありました。犬の散歩でその桜吹雪を浴びながら歩くのが大好きでした。
今暮らしているアルゼンチンの私達の農場はエルボルソンの町から約17km、標高差は200mあります。近いようですが気候は違います。エルボルソンで当たり前でも、ここでは寒くて育たない草花が多くあります。
町には買い出しやメールや手紙の受け取りで週一回は下ります。正直町はあまり好きではないのですが、今の季節は町に行くのがとても楽しみです。それは「桜」が町に咲いているからです。「桜」といっても日本の「桜」ではありません本当は何という名前なのかさえ知りません。でも今、町を桜色に彩っていてとても綺麗なのです。
この木は私達の農場にはありません。ですから蕾の膨らんで行くゆっくりとした過程を見ることはなく、一週間毎の移り変わりに驚くのです。先週は八分咲きでした。私は用もないのに公園に行き、この桜の花の下を歩きました。日本の様にお花見する習慣もないので、場所取りのロープはありません。でもアルゼンチンにいながら、ふっと日本の春に帰った様な懐かしい気持ちがしました。
ここ数日、パタゴニア名物の西風が吹き荒れています。きっとこの風が桜の花を舞い散らせているだろうな、と想像しています。アンデスの雪山を背景にゴオ〜という強風に豪快に舞い上がる花びら達。そんなパタゴニアらしい風景を今年は見ることが出来るでしょうか。