2008年01月21日
「真夏の雪」
南半球のパタゴニアの1月は真夏です。最低気温が2℃、3℃という日もざらですが、日中の直射日光はクラクラする程強く熱い夏です。でも農場からマジン村の周遊道路に出る道に、毎年一月に雪が降ります。私は毎年欠かさず降るこの雪が楽しみなのです。 でも実はこれ、私が勝手に「真夏の雪」と呼んでいるだけで、本当はポプラの種なのです。 ポプラは防風林としてパタゴニアでは良く見られる木です。成長が早く、挿し木でも増え、切り倒してもひこばえからまた成長するとても逞しい木です。 エルボルソンの町へ行く時も、友人の家へ行く時も、山へ行く時も、必ず通る道に短いポプラ並木があり、緑のトンネルを作っています。 春にはポプラの花が咲き、木が紅色に染まります。それから緑の葉が茂り夏が始まります。そして真夏に綿毛の種がフワフワと風に乗って舞い降りてくるのです。後から後から白い綿毛が舞い降りる風景は、粉雪が空から舞い降りる風景といつも重なり、冬の好きな私は懐かしく楽しい気持ちで一杯になるのです。 この種が全て芽を出したら、乾燥化の進むパタゴニアも直ぐに緑のオアシスに変わるだろうな、と思いながら眺めます。実際は芽を出しても直ぐに馬や羊、山羊に食べられてしまうか、人間に大地を掘り起こされてしまうのですが。 防風林の為に植えられたポプラも、周りの林が残らず切り開かれ牧草地に変わってしまっているので、強風をまともに受けると裂ける様に倒れてしまいます。成長が早いので大木が多く「倒れたら危険」だからと最近はあちこちで人為的に切り倒されています。 私の好きなこのポプラ並木も例外ではありません。きっとここ2,3年の内に全て切り倒されることでしょう。伐られても、またひこばえから成長を始めるでしょうが、真夏の雪を降らせてくれるまでにはきっと何年もかかることでしょう。 自然に人が手を加えないで欲しい、木は伐られず成長を続けて欲しい、森が大きく深くなって欲しい、そんな願いとは裏腹に木が伐られ、家が増え、車道が出来ていきます。 状況を変えられないけれど、それを諦めるのでは無く、自分に出来る事、種を播く事を続けていくしかないと思っています。 今年のポプラの降らせてくれた「真夏の雪」は、格別心に染みました。


2008年01月07日
「大嫌いな景色」
写真が小さくて良く分からないかも知れませんが、看板に「CUIDEMOS LA MONTANA」(山を守りましょう)と書かれています。その他には(自然を大切に)(私達の森を保護しよう)など多数あり、エルボルソン近郊の山や滝でよく見かける看板です。 私はこの看板を見る度、空々しくて嫌になるのです。「自然を守ろう、大切にしよう」と言っていながら、その看板は必ずと言って良いほど“生きている木”に直接釘で打ち付けられているからです。 一度登山グループの幹部で自他共に認める植物愛好家の方に 「どうして生きている木に釘を打ち付けるのか?」 と聞いた事があります。すると最初彼はその質問の意味が分からないようでした。そして、「木に釘を打っても、木には何の影響もない。もし有るとしたら、その木を材木にする時、幹に埋まった釘でチェーンソーの刃を傷つける事だ。」ときっぱり言い切ったのです。 いったいどうして釘を打たれた木の心がわかるのでしょう?全く木に影響は無いと言いきれる根拠は何なのでしょうか? アルゼンチンに暮らし始めて、私は自然の中に八百万の神様を敬った日本人として育った事を初めて意識しました。木には木の神様が宿っており、生きている木ばかりでなく、柱にさえ釘を打ち付けなかった日本人の心を改めて「凄い」と思ったのです。 人間はこの地球を支配し管理している訳ではなく、反対に決してそんな事をしてはいけないと思うのです。 花は人の為に咲くのではないのです。鳥は人の為にさえずるのではないのです。 人間が自然を守るのでは無く、自然に守られ育まれているのです。私はそう思うのです。 それは数字や方程式、化学記号、そんな物では表せないもっと深い物だと思うのです。 でも、ここではそういう考えを「全く」理解して貰えない事が万々あります。 「人間は万物の霊長。だから人間がこの地球を守っていかなければいけない。」という考えが基本にあっての「自然を守ろう」「森を育てよう」なのです。 私は生きている木に釘を打ち付け「自然保護」を叫ぶより、人が何もしないでいる方がずっと良い事だといつも思ってしまうのです。