2008年06月26日
「石、いろいろ」
私は外で友達と遊ぶことよりも、家で一人で本を読んだりお人形で遊ぶことが好きな子供でした。それでもたまに友達と遊ぶ時は、特に田舎でもない地方都市育ちでしたが、池でざりがに捕りをしたり、草笛を吹いたりするのがごく普通の遊びでした。30年40年前の日本にはまだまだ自然が残っていて、子供には子供の遊びがあったのだと思います。
ところで、あの当時女の子の遊びのひとつに「石蹴り」というのがありました。地面に四角や丸を幾つも書き、その枠からはみ出さないように石を蹴って片足で進んで行くものです。
思い返せば、使う石はそこら辺にごろごろ転がっていて、蹴りやすい石を探して集めてはいろいろ試して遊んでいました。
年取って、今私はまた「石探し」を楽しんでいます。これは焼き物をするようになって、芳村俊一先生の本に出会って、自分達で自然材料から釉作りをするようになってから始まりました。最初は釉薬用の石探しはもっぱら夫の仕事でした。それが、私が偶然見つけた紅色の石がボロボロ簡単に崩れたので「これはひょっとしたら上絵の具になるかもしれない」と思い、早速持ち帰って乳鉢で擂り、素焼きの器に字を書き焼いてみました。すると1000度以上の熱でも変わらず紅色の字が浮き上がっていました。
「これは面白い!!」
単純な私はそれから石探しの魅力に取り憑かれました。鉱物学的なことは全く分からず勉強もしません。ただ、「色が変わっている」「形が面白い」「綺麗」「見たこと無い」・・・。そんな単純な基準で何処に行っても石を探し続け、粉にしては(これは大変な力作業なので夫の仕事ですが)釉薬として試しています。
息を飲むような発色があったり、予想もしないくすんだ暗い色になったり、私達の窯の温度では全く変化がでなかったりと、窯開けはいつでも期待と興奮で一杯です。
「自分の思い通りの色が出せない様では陶芸家としては失格。」
と諭された事もありますが、私は市販の化学釉で思い通りの色が出せる陶芸家を目指すより、自然の中から夢中になって材料を探し、何度も試し、その都度微妙に違って出てくる自然の色を感動し楽しむ焼き物師に近づきたいと願っています。
日本で子供の頃は当たり前にあった土道も石ころも、数年前日本に帰った時は全てアスファルトに変わってしまい、容易に見つける事は出来ませんでした。
ここパタゴニアも観光開発の為大きく変わろうとしています。ですから今の内に一つでも多くの石に出会いたいと思っているのです。

2008年06月23日
「色、いろいろ」
私が焼き物を始めたのは、ここパタゴニアに来てからです。
日本に住んでいる頃は全く焼き物には興味がありませんでした。その私がパタゴニアに暮らし始めた年に、村の生活向上センターの焼き物教室に参加したのは全くの偶然でした。
あの時「生活向上センター」と言う存在を知り、引っ込み思案の私には珍しく、地元の人と知り合う為に行ってみたいなあと思った事が始まりでした。(ケチな私には参加が殆どただ同然だったのも大きな魅力でしたが)
その時にやっていたのが「焼き物教室」と「自動車整備」の二つの教室で、メカには滅法弱い私は選ぶ事も無く「焼き物」の方を選んだのです。先生が隣人だった事も参加の大きなきっかけのひとつでした。
3ヶ月後の教室終了時に、生徒の作品展示即売会をしました。その時、私の作った今は亡き愛犬「ちょり」をモデルにした素焼きの灰皿をとても気に入って買っていってくれた人がいました。自分の作った物を気に入ってもらえた感動と感激。そしてたった5ペソでしたが、それはアルゼンチンに来て初めて自分で稼いだお金だったのです。
現金な私はそれだけで「焼き物を続けたい」と思ったのです。そして、その私の気持ちを汲んで、農場に見よう見まねで薪窯を作ってくれた夫が粘土に触れた事で「焼き物」の虜になってしまったのです。
今では作陶が私、窯作りと焼きが夫、材料探しは二人で、と全くの二人三脚で「のうじょう真人陶芸」をしています。
アルゼンチンでは焼き物は作ることのみに重点が置かれています。粘土や釉薬は市販品で当たり前ですし、焼くのは機械管理の電気窯が一番良いと豪語する人も少なくありません。
でも私達は自然の中の「美」を、薪窯で焼いて引き出すことが最高の焼き物だと考えています。ですから粘土も釉薬の原料も自分達の手と足で自然の中から探します。農場の粘土と砂で窯も手作りします。薪も農場の松を斧とノコギリで倒して割って用意します。勿論将来の為に無数の木の種も播きます。日本では当たり前のことなのですが夫は徹夜で窯焚きをします。温度計は使いません。
「それは大変だねえ。」と多くの人が呆れた様に言いますが、その大変さにはそれ以上の楽しさや感動が含まれているのです。
私の作陶は下手です。笑ってしまうほど下手くそです。でも言い訳みたいですが、上手に作ることより心を込めて作ることを心がけています。
先月、チリのチャイテン火山が噴火し、その灰がアルゼンチンにも降りました。有毒だ!と騒ぐ人を尻目に私達はその灰を集め釉薬にしてみました。窯は農場の粘土で作ったので、灰が溶ける以前の1080℃で窯が溶け始めてしまいます。ですから灰に融解剤BORAXを混ぜました。
この作品を取り出した時、私はとても綺麗だと思いました。化学釉よりずっとずっと綺麗な色だと思いました。自然原料の配合、作品の厚み、焼成時間と温度、気温、風、松薪の状態、私達の体調、粘土と原料の相性etc・・・。あらゆる事が重なって、混ざり合って出てくる私達の想像を超えた自然の色。
私は自然の恵や力を感じられる暮らし、そんな焼き物を出来る今の暮らしにとても感謝しています。


2008年06月12日
「ありがとうね」
パタゴニアの冬がやってきました。
夏には観光客で賑わった町も、今はひっそりしています。冬の観光資源のないエルボルソンでは、冬はブラジルやヨーロッパに出稼ぎに行く人が多くいます。寒くて寂しい冬は嫌だという人が殆どです。でも私は冬が大好きです。寒くても、不便でも、冬を寂しいとは思いません。
冬が寒いのは当たり前です。冬には冬の楽しみや美しさが沢山あります。
私は霜柱の道を歩くのが大好きです。氷の張った水たまりの模様の美しさに見とれます。ストーブの中で弾けて燃える薪の音は心地よいです。
そして今、毎朝とても楽しみにしている事があります。それは窯場の横のリンゴの木の近くに静かに立つことです。
「ジジジ・・・ジジジ・・・」「チュチュチュン」
小鳥達が可愛い声でさえずりながら、木に残ったリンゴを食べに来てくれるのです。
実はこのリンゴ、甘くて美味しいので全部収穫したかったのです。でも自然農法で自由に大きくなった木は背が高く、上の方の実は採ることができませんでした。長い棒でつついて採ろうかと思っていたのですが、毎朝やって来る小鳥達の可愛い声を聞いていると、こんなに美味しい自然の恵を独り占めするのは恥ずかしい事だと気が付いたのです。また食料の少ない冬に、このリンゴは小鳥達にとってはご馳走に違いないのです。
それにこの木は私が播いたのではなく、もともとは小鳥達が播いた種から発芽して大きく育った木なのです。
小鳥達が播いて育てたリンゴをよそ者の私が収穫しても、彼らは快く許してくれています。それどころか、毎朝可愛い声を聞かせてくれ、可愛い姿を見せてくれ、私を楽しい幸せな気持ちにしてくれています。そしてその見返りを全く要求したりしません。
私は彼らや自然から与えてもらうだけなのです。
「ありがとうね。」
小鳥達の姿を見ながら、そんな当たり前な言葉しか思いつかない私です。