2008年07月21日
「靴下の継ぎ当て」
子供の頃、学校で靴を脱ぐのが嫌でした。運動靴から上履きに履き替える時も、誰にも見られないようにいつも気を配っていました。夏のプールのある時は本当に苦労しました。何故かと言うと、私の殆どの靴下には「継ぎ当て」がしてあって恥ずかしかったからなのです。
35年前でも、当時もう「継ぎ当ての靴下」をはいている子は誰もいませんでした。
お金持ちではありませんでしたが、決して貧しかった訳でもありません。クラスの中でもお小遣いの額は多い方でしたし、幾つかの習い事もしていました。それでも何故か母は、靴下の継ぎ当てをして、ボロボロになるまで新しい物を買ってくれませんでした。また「継ぎ当ては嫌だ」とは母の癇癪が恐くてとても言えませんでした。
中学の頃からは流石に「継ぎ当ての靴下」は姿を消し、私自身もいつしか「継ぎ当て靴下」の事を忘れていきました。
それがパタゴニアで暮らす様になってから、「継ぎ当て」の靴下も服もズボンも当たり前の事になっていたのです。これは第一に私達の暮らしが貧しい事もありますが、破れかけた服を見ると「まだまだ使えるのに勿体ない」という気持ちがわき上がってきて、針と糸を自然に用意してしまうのです。また田舎暮らしでは見てくれよりも、機能が重視されます。気に入った着やすい服は文字通り「ぼろぼろ」になるまで使いたくなるのです。
着て着込んで、継ぎ当てをして、ボロボロになってしまったら雑巾や足拭き、犬猫達の布団に再利用して、最後は「ありがとう」と灰にします。その時間の長さは物にもよりますが、最近燃やしたのは18年前のトレーナーでした。
炊事家事の苦手な不器用な私は、継ぎ当ては決して大好きで楽しい仕事ではありません。でも我が家にはミシンはありませんので、せっせと針を動かしながらこの服やズボンの歴史に思いを巡らす事が出来ます。そして靴下の継ぎ当てが如何に大変で難しい事かも分かりました。
継ぎ当ては恥ずかしいと思っていた子供の私ですが、思い返すと、今の私の継ぎ当てよりも何十倍も丁寧に綺麗にしてありました。恥ずかしいと思う気持ちよりも、有り難いと思う気持ちを育んでいくべきだったと反省しています。そしてそう言う気持ちに気付かせてくれたパタゴニアの田舎暮らし貧乏暮らしに感謝しています。

2008年07月17日
「自分で受け止める事」
エルボルソンの町中にはゴミ収集車が来ます。でも私達の住むマジン地区には来ません。引っ越してきた当初は、町に行った時公園のゴミ箱に捨てていました。でも小さなゴミ箱に我が家の一週間分のゴミを押し込む行為が何となく恥ずかしく、親しくなった隣人にゴミをどうしているのか聞いてみました。
生ゴミは鶏のエサや畑の堆肥に利用し、燃やせる物は薪ストーブに放り込み、それ以外は町のゴミ捨て場に直接持って行くとの答えでした。
早速私達も町から15km北の国道沿いにあるゴミ捨て場に行ってみました。ところが行ってみてとても驚きました。なぜなら大きな穴の中に、なんでもかんでも放り込んで野焼きしているだけだったからです。15年前の事ですが、周りには既に悪臭が漂い大穴もほぼ一杯になっていました。
その風景を見てから、私達は大いに反省したのです。ゴミをゴミ箱に捨てる行為は、ポイ捨てが多いここではとても尊い行為なのですが、最終的にはポイ捨てと変わらないのではないか?と。だから自分達の出したゴミは農場内で処理しようと決めたのです。
再利用できる物はみっともないと思われても、徹底的に再利用します。薪ストーブの灰は焼き物の釉薬に利用するので自然の木(薪)だけを燃やし、それ以外の燃やせる物は外にある露天風呂の焚き口で燃やします。プラッスチックや金属、電球は穴を掘ってその中に。ワインなどの瓶は焼き物の釉や飾りで利用する事もありますが、殆どは軒下に保存する薪が地面の水分を吸わないように下敷きにしています。自然農法なので堆肥は作らず、生ゴミは畑に直接返しています。
外でゴミを燃やす時は、あらかじめ小枝で火の勢いをつけ高温になってから燃やすのですが、やはり嫌な臭いがして有害だと言うことを実感します。日本から来た人がこの風景を見て「環境汚染」と非難しました。では、それでは、いったいどんな解決法があるのでしょうか?
町のゴミ箱に捨てれば後は何も見ずにすみます。でもそれは結局、自宅で燃やす以上の環境汚染をしていることになると思うのです。人口増加、観光化で町でもゴミは大問題となっています。でもまだゴミの分別収集さえ実現していません。
私達に出来ること。それは自然に還れないゴミは出さないこと。でも今の生活では100%実行することは不可能です。ですから、有害であると分かっていても、自分の出したゴミは自分で受け止める事にしています。



写真はゴミのリサイクル活動で地元の学生たちがゴミから作った装飾品、オモチャです。リサイクル活動は大事なことかもしれませんが、有機農法と同じで今の流れを止めることは出来ないでしょう。否、かえって益々今の流れに拍車をかけると思われます。