2008年09月24日
「初めまして」
実はずっと書けずにいた事がありました。
昨年の11月に、大切な仲間だった犬の「地和ちいほう」「人和れんほう」を、私の不注意から失ってしまったのです。
写真を見ることも、彼らの名前を口に出すことも辛くて出来ませんでした。
私に出来るせめてもの罪滅ぼしは、もう二度と自分から犬を欲しがらない事、山や観光地に置き去りにされ、生きる術を持たない捨て犬を連れ帰り、面倒を見てあげる事位だと思っていました。
地和、人和がいる頃は、そう言った犬達を目にしても為す術がありませんでした。
彼らを失ってから、一度山でガリガリに痩せた成犬を見かけました。連れて帰ろうと車を止め、後部座席を片づけている間に、その子は藪の中に逃げ込んでしまいました。
また別の時は、国道沿いをフラフラとさまよっている中型犬を見つけました。用事を済ませて数十分後に戻った時には、車に跳ねられたのか、その子は道路脇で冷たくなっていました。
私に残ったのは苦い後悔だけでした。
不思議なもので、捨て犬を引き取れる状況の時には縁が無いのです。でも、それはそれで仕方ない、いつでも引き取れる様に、子犬をもらうことはしないで置こうと決めていました。
ところが、日本語教室で犬の話になり、私が「捨て犬を引き取りたい」と話したら、生徒の一人が「家で子犬が8匹生まれた。もらって。」と言ってきたのです。
最初は断ったのですが、もらい手が無いと殺さなきゃあいけない、と泣きつかれました。
迷いました。
8匹の兄弟全部を引き取る事は出来ませんし、その中から数匹を選ぶことも出来ません。
迷って迷って、それでも捨て犬を引き取れる余裕を残して置くため、一匹だけ、彼女が選んで連れてくるという条件で引き取る事に決めました。
こうして我が家に、2ヶ月にもならない小さな小さな雌の子犬がやって来たのです。
「伏姫」と名付けました。これは里見八犬伝の伏姫から頂きました。辞書では「伏」は服従させるという意味が強い様ですが、私は人と犬がお互い支え合って生きていると理解しています。
私が受け取った小さな命。そして私の心を豊かにしてくれる掛け替えのない命。
これはまた、地和、人和から引き継いだ命でもあるのです。
「初めまして。これから宜しくお願いします。」
もう二度と後悔しないように、大切に育てて行きたいと思っています。



2008年09月15日
「春よ来い」
私は四季の中で「春」が一番苦手な季節です。子供の頃は新学期のクラス替えが苦痛でした。引っ込み思案で根暗な私は、新しい友人を作る事がなかなか出来ず、新しい担任にも慣れるのに時間がかかりました。ですから春になると、あの時の不安な切ない気持ちが未だに蘇って来るのです。
パタゴニアに暮らし始めてからは、ひっそりと静まり返る厳しい冬が特に好きになりました。ですから春風を感じるようになると、「ああ、もう大好きな冬が終わってしまい春になる。そしてまた干魃で山火事の多発する夏、観光客で溢れかえり騒々しい夏がやって来るのか・・・。」と憂鬱になるのです。
でも、今年は春を待ち望んでいます。早く暖かくなって、草や木の新芽が出る春になって欲しいと願っています。それはマジン村で放牧されている羊や牛、馬たちを目にするからです。
冬に彼らの食べる物がなくなるのは分かり切ったことなのに、穀物や乾草を貰える事が殆ど無く、みんなガリガリに痩せているのです。特に今年はインフレで物価が上がり、彼らにお腹いっぱい食べさせてあげるだけの飼料を買うゆとりが無い事や、土地の切り売りで放牧地が足りないことなどが拍車をかけているようです。
以前の様に広い土地があるなら兎も角、お金の為に土地を切り売りして住宅地に変え、それでも家畜の数は減らさない、餌を買い与えないのだから、当然土地も家畜もやせ衰えて行くのは目に見えています。
近所の羊達は、空腹の為に切り倒したポプラの皮を食べています。以前は牛を飼っていましたが、大型の牛では冬を乗り切るのが難しくなったのでしょうか、羊に代わりました。そして少しずつ山羊が増え始めています。羊よりも山羊は乾燥に強く、粗食に耐えられるのです。でもその変わり、何でも食べ尽くすので自然はあっと言う間に破壊されます。
自然農法の我が家にも、冬や真夏の乾燥期には牛や馬が草を求めて入ってきます。柵を壊されたり、果樹の苗木を食べられたり、畑を踏みにじられて被害があります。持ち主に文句をいっても逆恨みされるだけなので、柵を補強して根気よく追い出すしか方法はありません。入って来た動物を傷つけたり、撃ったりする人もいますが、動物に罪は無いのです。
道路脇を牛や馬や羊が食べ物を求め歩く姿は、一見するとのどかな農村風景です。町から来た人はそういう風景を喜んで見ています。
でも、私には心が痛む風景です。
皮を食べられ裸になったポプラを見ながら、どうかこの皮が食べ尽くされる前に、春よ来い!早く来い!と春を待ち望んでいるのです。

2008年09月03日
「心に思う風景」
私達は農場の各所に名前を付けています。「水田」は唯一水路が土地の上にあり、夏の乾燥期にも水路の水を土地に自然に流せる場所(本物の水田ではありません)。
「果樹園」はもともとは禿地でしたが、いつか大果樹園になるようにと、毎年せっせと果樹の種をばら播きしている場所。
他にも「蕎麦」「隠し田」「1.5」「アヒル池」等。そのどれも名前と一致しませんが、それぞれそれなりの由来はあります。
日本の自家菜園のイメージとはかけ離れていますが、畑もあります。そこでは耕すことも肥料を入れる事もしません。ただ、種まき前に枯れ草は刈り取ります。種まきは全て私の担当です。
今年は数年ぶりの雨の多い暖かい春先になりました。私は早速「北の畑」の半分に麦をばら播きました。麦は思った以上に水分を必要とするので、今年は春の雨をとても有り難いと思っています。
次は「裏の畑」に空豆を植え付け、その上からやはり麦をばら播きました。そして鳥に食べられない様に、たっぷりと枯れ草をかぶせよく踏みつけておきました。
後は一ヶ月くらいかけて農場中に散らばる自称「畑」に空豆、エンドウ豆、レンズ豆、人参、大根などを播きつける予定です。
いつかここに来られた長野の農家の方が、夏にも霜がおり、一日の気温差が30℃を越えることもある、干魃気味のここの気候を「富士山頂より厳しいかもしれないね。」とおっしゃり、「成る程・・・ある意味当たっているかも・・・」と妙に納得したことがありました。
それでも私は近所の人達のように自家野菜を収穫する為に、大地を深く耕し肥料をたっぷり入れ、ビニールトンネルやハウスを作ろうとは思いません。
天気をみながらの種まきは10月の初旬まで続きます。
種まき直後の枯れ草だけの茶色の景色を眺めながら、私は自分勝手に青々と茂る麦やたわわに実を着ける豆達の姿を思い浮かべます。実際は干魃や冷害で翌年の種を残すのがやっとという年の方が多いのですが・・・。
それでも毎年毎年この時期のこの空想は、私をとても楽しい豊かな気持ちにさせてくれます。
一年では目に見える大きな変化は無くても、気がつくと周りの木々、果樹が成長し、いつの間にか大きな大きな変化の中に暮らしている自分に気付きます。
見上げるような大木が生い茂る自然林、リンゴやモモやサクランボやカリンやプラムがびっしりと実る果樹の森、空豆や麦や大根が野草の様に茂り、野鳥がさえずり、野ウサギが駆け回り、空気が甘い農場。いつも心に思うのはこんな風景です。
それが例え自分の生きている時代に見ることが出来なくても、その過程に私も参加させてもらっているのだと実感し、幸せになれるのです。