2008年10月08日
「私の四季」

そう言った人がいました。
私は驚いて、「夏の乾燥は確かに乾季といえるけど、それでも、ここに四季はある。」
と反論したら、「こんなの四季じゃあない。」と断言されました。
日本の四季は繊細で、その四季の移り変わりを楽しみ愛でる暮らしをしてきた人にとっては、パタゴニアの季節の移り変わりは四季に思えないようでした。
「ここの四季を感じないなんて、全然自然を見ていないんだね。信じられない。」
思わずきつい言葉を言ってしまった私に
「言っちゃあわるいけど、自分は君よりずっと、ここの土地の自然を見ているよ。何処にどんな鉱物があるか、地形はどうか、どこがどんな植生か・・・。」
確かに私は、焼き物の材料探しやトレッキングなど、自分の足で歩いて自然を見てきたつもりでしたが、酷い方向音痴と観察力の欠如で、自分の行った場所の鳥瞰図が全く思い描けません。それは結局、パタゴニアの自然を本当に知っていることにはならないのだと気づきました。
まして、自然の花を描けと言われても、花びらの数はどうだったかなあ?葉っぱの形、付き方はどうだったんだろう?と自信を持って描ける花が無いのです。
私はいったい何を見ていたんだろう?
ここで何を感じて来たんだろう?と考えてしまいました。
自然と共に暮らすことは、表面だけの自然を見ることじゃあないのだと反省しました。
ここパタゴニアは恐ろしい勢いで乾燥化が進んでいます。
皆の様にだた「恐い。これから先が心配だ。」と口に出すことは簡単です。でも、本当にしなければいけない事は、自然の姿をもっともっと良く見て感じて、自然の声を聞き、物事の本質を見抜く事なのではないかと思い直しました。
それでも、そう思う反面、例え自然の表面しか見ていないとしても、パタゴニアには美しい四季があって、今この季節は猫柳の膨らみを可愛いと思い、水仙の蕾に春一番を感じ、日に日に大きく摘みやすくなって行くたんぽぽの葉を味わい、サクランボの白い花、プラムの薄ピンクの花、姫リンゴの赤い花を美しいと感じる感性を大切にしていきたい気持ちもあります。


