2009年03月30日
「砂漠緑化」
パタゴニアはアンデス山脈沿いの一部の土地を覗いて、殆ど砂漠化しています。これは砂砂漠ではなく、礫砂漠です。以前は草が生い茂り、川も干上がってはいませんでした。これは地元の老人達が「子供の頃は、ここには湖があった。」「草が生い茂って背よりも高かった。」と言っているのでそれ程遠い昔の話ではないのです。
100年にも満たない年月で、灌木がちょろちょろ生えるだけの礫砂漠に変わってしまったのです。そして、この3年でその砂漠化、乾燥化は急速度で進んでいます。多くの川が干上がり、野生動物は勿論、放牧の牛や馬、羊が餓死し、殆ど雨が降らなくなっています。
よそ者の私でさえ、その砂漠化には恐くて体が震えます。ですからこの土地に生まれ育った人達は、きっともっともっと深刻で切実な問題だと思っていました。
自然農法の故福岡正信氏の弟子で、ヨーロッパでの緑化第一人者、ギリシャのパノス氏が3月アルゼンチンに実践指導に来て下さいました。ギリシャでの実績もあるので、この砂漠緑化運動は大きな反響を呼び、多くの人が粘土団子で種を播いてくれると思っていました。
ところが、思わぬ問題がありました。それは砂漠を緑化する為、出来るだけ多くの種類の種を粘土団子に混ぜて播こうとしたのですが、「自然の形態を崩す。」と反対する人が多かったのです。つまり、自生の植物だけの種を播き、よそ者の種は絶対にダメだと言うのです。生命力の強い松は一番にやり玉にあがりました。
でも、これだけ砂漠になり雨が降らなくなっているのだから、少しでも早く禿地を緑で多い輻射熱を遮り地温を下げ、葉っぱからの水蒸気で湿気を大地に保たなければいけないと思うのです。その為には種類の少ない成長の遅いパタゴニア自生の植物の種だけではとても間に合わないのです。もし正義を振りかざし、反対を唱えるのなら、先ず自分が行動しなければいけないのではないでしょうか?
でも、そう言って反対を唱える人の殆どが、自生の種を集めることも、粘土団子を作ることもしないのです。そして彼らの土地には外来種の珍しい木や果樹、野菜や草花が整然と植えられているのです。
パタゴニアの砂漠は肉食の為の家畜の放牧、鉱山開発、森林伐採と人間が引き起こした事です。そして砂漠化によって雨が降らず、川が干上がり、草が育たず家畜が餓死するという悪循環が始まっています。もう完全に自然の生態系は崩れているのに、何を今更「自生種だけを播け」と叫ぶのでしょう?
けれどもパノス氏に言わせると、粘土団子で緑化をしようとすると、世界中でこの事が問題になるのだそうです。だから、ダメだと言われたら外来種は混ぜずに粘土団子を作るそうです。争う事よりも、一粒でも多くの粘土団子、種を播くことが大切だからです。
パタゴニアの緑化なんて、気の遠くなるような夢物語の様な気がしてしまいます。でも、パタゴニアの礫砂漠の中の広大な自分の土地を緑にしようと木を植え、種を播いている人も居ます。礫砂漠の中に突然現れるそうした緑のオアシスを見て、パノス氏が「パタゴニアは緑化出来る。」と確信したそうです。
今の私に出来る事はたった一つです。それは一粒でも多くの植物の種を集めることです。その種達がいつか粘土団子にくるまれ砂漠に播かれ、芽を出し、乾いた大地を覆い尽くす日を信じて。

2009年03月02日
「共に生きると言うこと」
9月にのうじょう真人の仲間になった犬の「伏姫」も、すっかり大きくなりました。大食いのくせに何故か痩せてひょろひょろとしていますが(お腹に虫がいる訳ではないのです)大きな耳がぴんと立ち、女の子なんですが、なかなかりりしい顔になりました。
眠る事と食べる事が大好きで、親分の「パク」がワンワン吠えていても全く興味を示さず、段ボールのベッドに入って高いびきで寝ています。
臆病で、来客があったり、私達が見慣れない帽子を被って外に出たりしただけで「いつもと違う!」と悲鳴の様な声で吠えながら、一目散に彼女の隠れ家である水タンクの裏側に逃げ込みふるえています。
本当はいるだけで恐わがられる様な番犬になって欲しかったのですが、伏姫の持って生まれた性格なのですから仕方ありません。
私は毎朝、この伏姫とパク、最長老のらくうと一緒に農場内を散歩します。今年の夏は干魃と高温で日中はとても外に出る気がしませんが、早朝は湿気が無いので清々しく犬達も走り回りながら喜んで付いてきます。私の大好きな時間です。
我が家では草刈りはしませんし、果樹の剪定や林の木の枝を払ったりしません。自然を私達に合わせ利用するのではなく、私達が自然に合わせ共に暮らさせて頂くという気持ちを持つようにしています。でも、犬達と散歩していると、自分は自然の一部だと言うことをまだまだ分かっていないと反省します。
林の小道に小枝が張り出している場所があります。小さなパクとらくうはそこをトンネルの様にくぐっていきます。伏姫も小さい頃はそこを難なく通り抜けていました。体が大きくなっても、わざわざ腰をかがめてその枝をくぐっていました。そして最近は、その枝をぴょんと飛び越えるようになったのです。
ところが私はその枝を腰をかがめてくぐる事も、飛び越える事もせず、枝を押しのけて進んでいました。つまり自分の都合に合わせて毎朝その枝を押しのけていたのです。そしてそうしていることに、伏姫が初めてそこを飛び越えるまで気付かずにいたのです。
犬達は学校には行きません。本も読みません。偉い学者さんや先生の講演も聞きません。それでも生きる上で一番大切な自然と共に生きる術を、心優しい思いやりの心を身につけています。
人間が万物の霊長なんて思いません。私の大嫌いな言葉です。でも、私は飛び越えられるその枝を、平気で押しのけ進んでいたのです。それは思い上がり以外の何ものでもありません。
自然は、犬や猫達は、何時でも私に多くの大切な事を教えてくれます。