2009年06月29日
「パタゴニアの変人暮らし」
15年前にここに引っ越してきた時は、マジン地区の人口は約1500人でした。我が家の周りも住民不在の農場が結構あり、のどかで静かな環境でした。電話のある家庭は無く、テレビも冷蔵庫も誰も持っていませんでした。子供達は林を抜け、小川を超えて7kmの道を歩いて学校に通っていました。薪が主燃料で、ガスコンロのある家も殆どありませんでした。私達は冷蔵庫を持っていて、時々近所の人が「野ウサギを沢山捕ったから、少し冷凍庫で保存して置いて。」などと持ってきました。物々交換も盛んで、交換する物が無い時は、柵直しや薪割り等の労働で交換していました。
私はそんな暮らしがとても気に入っていました。
15年の歳月は、恐ろしいほど環境を変えました。人口は約5倍に増え、今も増え続けています。当然多くの林が姿を消し、住宅や道に変わりました。殆どの家に電話が付き、コンピュターのある家も増えました。テレビは当たり前で、衛星放送も付いています。歩いて学校に通う子はおらず、親が車で送り迎えしています。冷蔵庫ばかりか大型冷凍庫を持ち、電子レンジ、オーブンも珍しくはありません。人が増えた分、雑音、騒音と呼びたくなるものも増えました。当然人との付き合いも変わりました。
私には今のマジンの変化を嬉しいとは思えませし、時々息が詰まりそうにもなります。私は私の好きだった静かな暮らしがなくなりつつあると悲しく思っていました。でも最近、それは間違いだったと気付きました。
嫌な事に目を向けてばかりいないで、良い事を探して感謝していくべきだったのです。周りがどんなに変わろうとも、その変化に私が付いていく必要は全く無かったのです。便利と豊かさとは違うのです。ですから、自分達で出来る事は機械に頼らずやろうと決めました。今はチェーンソーは使わず、ノコギリと斧で木を伐り薪の準備しています。洗濯機もテレビも電子オーブンも欲しいとは思いません。電話は有った方が便利ですが、我が家には電波が届かないので仕方ないと思っています。サイトの更新もメールの連絡も、週一回車で30分かけて町に行きWiFiでしています。(これに関しては連絡下さった方に直ぐにお返事が出来ないことがあるので、申し訳なく思っています。)水は農業用水路から電気ポンプで汲み上げ、タンクに貯めています。けれども冬になると水が凍るので、水タンクが割れないように空にしてしまい、蛇口から水が出ない日も多くなります。バケツで汲んできた水で掃除をし、薪ストーブの上に置いた大鍋のお湯で洗い物をしています。
電気やガソリンを使いお金をかければ、町の人と同じ様な便利な生活が出来ます。お金が無いから出来ない事もありますが、例え有っても私には興味がありません。それはここで、自分達の手で工夫していく楽しみを見つける事が出来たからです。こんな私達を「変人」と言う人も多いですが、実は「変人」であることは面白いと思っているのです。
自分で出来ないことは有り難く文明の利器の恩恵を受けているので「甘えた変人」ですが、出来るだけ自分達の手で暮らしを造りだして、楽しみを作り出して、周りに流されない暮らしを続けていこうと思っています。
こんな変人暮らしを覗てみたいと思って下さる方もいますが、ほとんどの方は辿り着けないので“必ず事前に連絡”下さい。我が家は町から土道を17km。私にとっては人口過密な騒がしい村に思えますが、我が家に来る人は「なんて辺鄙な田舎。」「自然に囲まれた雄大な暮らし」と驚き、そうそう容易く辿り着ける場所ではありません。勿論自動販売機やコンビニも無ければ、郵便配達も来ない様な場所です。「日本人は住んでいる」と知っていても、何処にいるのか分からない人が殆どです。エルボルソンまで行けば、人に聞きながら何とか辿り着けるだろうと思っていたら大間違いです。それだけはしないよう、くれぐれも宜しくお願いします。

2009年06月16日
「天通が伝えてくれた事」
4月17日、我が家の仲間になった犬の「天通」。
すけすけに透けていたあばらにも肉が付き、訪れる人が「どうしたんだ、この犬は!」と驚く事がなくなりました。歩く時にもふらつかず、元気に走り回るようにもなりました。
猫扉の下の猫用昼寝棚が気に入ってしまって猫達が自由に家に出入りできなくなったので、別の場所にその棚を移動して天通専用寝床とし、彼女も一国の主となりました。
相変わらず車が大好きで、車が動くと何時までも何処までもついてきて来てしまうので、いつも一緒に出掛けています。
10ヶ月齢の伏姫は、遊んで貰えるお姉ちゃんが出来たので大喜びです。以前は伏姫に簡単に転がされてしまっていたけど、今では一緒に走り回り、時々はしつこい伏姫を叱ったりしています。
食事の合図の口笛も覚え、呼ぶと一番に飛んで来ます。早食いはまだ治りませんが、飲み込む様に食べていたのが、少しは噛んで食べられる様になりました。
がに股で上下運動無しで蜘蛛の様に走り、その走る姿が可笑しくて私達を笑わせてくれます。
農場にも慣れ、以前は私達の後にぴったり付いて歩いていたのが、今はパクや伏姫とじゃれ合い寄り道を楽しみながら散歩をする様になりました。
本当にあっと言う間の一ヶ月半でした。最初は元気になれるだろうか?ここに馴染んでくれるだろうか?他の仲間達と上手くやっていけるだろうか?と心配もしましたが、今では天通のいる風景は当たり前の、のうじょう真人の風景となりました。
言葉を話さなくても、彼らはいつも多くの事を私に伝えてくれます。突然やって来た天通を家族として受け入れてくれたパク、伏姫、羅空。時には喧嘩もするけれど、仲良く並んで昼寝をしている姿は私を暖かい気持ちで包んでくれます。
天通を見ていると、信頼の本当の意味、恨まない心、そして何よりも素直に前を向いて生きるという事の大切さに気付かされます。
私も天通の様に、過去を引きずらず、誰も恨まず、前を向いて明るく進んでいかなくてはと思うのです。



2009年06月01日
「私の般若心経」
アルゼンチンに暮らして、特に日本語教室を始めてから、自分の信仰に付いて真剣に考える様になりました。それは日本の習慣、文化を語る時、私には切り離して考える事が出来ないからです。
実家には神棚とお仏壇がありました。でもそれに手を合わせる家族は居ませんでした。お墓参りの記憶も殆どありません。ずっと無宗教、無信仰で、いつも目の前の事に追われ、自分の事だけを考えて暮らしていた気がします。
今でも「私の信仰は仏教です。」と答えるには抵抗があります。それでも毎朝、建具屋の義父が作ってくれた仏壇に手を合わせ、般若心経をお唱えします。亡き義母は信仰の厚い人でした。その影響で般若心経を唱える様になりました。でもそれもほんの4年程前からです。最初はただ文字を追うだけで、次に意味を考え、今はやっと、私なりに解釈して思いを込めながら唱える事が出来るようになりました。
自然の理に適った思いは、強く願うと叶うと言われますし、私もそう思います。だから楽しいこと、嬉しいことを考えなくてはいけないのですが、叶わなかった時の失望感を思うと、ついつい最悪の予想をしてその失望感から逃げようとしてしまうのです。
「ああ、だめだ。もっと良いことを考えなきゃあ・・・」と思い直しても、気が付くとまた最悪の事を考えているのです。そうでなければ、「あの人が居なくなれば問題解決できるのに。」という様に、人の不幸を願ってしまっているのです。
これでは事態が好転する事はありえません。それならいっそ頭を空っぽにしていた方が良いと思っても、こちらの方が更に難しいのです。そんな私が考え実践しているのが、般若心経をお唱えする事です。声を出してお唱えしている時は余計な事は考えません。そうかと言って頭を空っぽにしている訳ではないらしく、ふっと良いアイデアが浮かぶ事があったりします。
文を書いたり、本を読んだり、日本語教室の予習をしたり、予定を立てたりする時などには無理ですが、日常の暮らしの中で、私は良く声に出して般若心経をお唱えしています。特に嫌な事があった時は思い出さない様、引きずらない様に、落ち着くまで何かの作業をしながらお唱えします。
「こだわってはいけない。幸せはいつも自分の心が作るのだから。自然の中で自然に許され生かされているというだけで幸せなのだから、いつも全てに感謝しよう。」
私が般若心経をお唱えしながら思い続けている事です。
今はまだ、声に出して般若心経をお唱えしなければ、自分の弱くて恨みがましい心にうち勝つ事が出来ませんが、いつか般若心経をお唱えしなくても、自然に全てが楽しく感じる様になりたいと思うのです。