僕の厭味の最後の根據は實に愛せむとする意志と愛するを得ざる本質との矛盾にある。愛の缺乏と動物性の跳梁と――この二つこそ僕の厭味と下品との奧深き根なのである。僕はこの二つの事を外にして僕の下品と厭味とを承認する事を肯んじない。さうしてこの二つの事は共に僕の「聰明」を以つては如何んともするを得ざる人格の病ひである。
 若し君が僕の下品と厭味との根を此處まで追及して理解して呉れたならば、恐らくは此處に君自身と共通な或ものを認めたらうと思ふ。固より君の中には僕のやうに矛盾した混雜した動物性の跳梁がないには違ひない。君の眼と心とは僕のやうに苦味に充ちてゐないにも亦違ひない。併し靈性と動物性との矛盾が混在する限り、愛せむとする意志と愛するを得ざる本質とが相剋する限り、凡ての人はそれぞれの性格に應じて樣々に姿を變へた下品と厭味とを持つてゐると思ふ。
又僕には人生と自己との缺陷と矛盾とを見る相應に鋭い眼と此缺陷と矛盾とを憤激若しくは苦笑を以つて否定せむとする相應に溌剌たる倫理感とがある。從つて僕の言動には他人を刺傷する圭角が多いに違ひない。併し僕は直ちに此事を僕の厭味として承服する事を肯んじない。此事を以つて直ちに僕の厭味とする者は刺戟を受けたる瞬間の痛さにその刺戟を與ふる者を怨恨する事をのみ知つて、一應は不快なる印象の中から振返つて眞理を探し出すほどのノーブルなる品性を缺いた、執拗野卑なる賤民である。併し僕には確かに僕の圭角を包んで之を淨化する愛と温情とが足りないに違ひない。此大事なものが足りないために、僕の針には毒を含み、僕の笑ひと憎しみとにはノーブルな品性を持つた人をも猶不快にするやうな厭味が籠つてゐるに違ひない。
自ら善と美と高とに就いて惡と醜と卑とを離れむとする意味に於いても亦人間並にノーブルな意志を持つてゐると信じてゐる。此等の點に於いても下品だと云ふ非難があるならば、僕はその非難を承服する事が出來ない。併し僕には亦高きに翔らむとする心を裏切る可なり旺盛なるジンリヒ・エローテイツシユの興味がある。さうして僕の心が高きに行かうとすればするほど此二つのものゝ矛盾が――從つて又ジンリヒ・エローテイツシユの興味そのものが益々目立つて來るのはやむを得ない。僕の下品の最後の根據は、僕の人格内に於ける動物性の跳梁と、自由に「高貴」に此跳梁を肯定する事を得ざる僕の理想との矛盾に在る。此の矛盾は僕の生活に無理と、生々しさと、高いもの其ものゝ中に潛む卑しさとを拵へて居るのである。
 三太郎は友人の雜誌記者に原稿を送る約束をした。彼の書かうと思ふ事は既に頭の中で形をとつてゐた。併し、愈々筆を執る段になつて、持病のやうに週期的に彼を襲つて來る Ennui が彼の内から、三月の末の重苦しい、頭を押しつけるやうな曇天が彼の外から彼を惱ました。彼の書かうと思ふ事は締切の後一週間になつても、彼が此思想を産むに際して經驗したやうな内面的節奏を帶びて再生して呉れなかつた。それで彼は苦しまぎれに、古い日記を取り出して之を讀み返した。さうして、その中から、他人に見せても大して差支のなささうな處を原稿紙の上に寫して、之をその友人に送ることにしようと決心した。此處に抄出する部分は去年の春の日記の最も抽象的な一部分である。その當時彼は或る大都會の南の郊外の、海に近い森の中に住んでゐたのである。
若し俺が「いい人」ならば、それは俺の本質が「いい人」なのではなくて、俺の意志が「いい人」なのである。
 俺の周圍にゐて俺の愛を要求してゐる人は極めて少數である。併し俺は俺の愛が此等の一群にさへ行き渡り兼ねてゐる事を感じてゐる。俺は最早これ以上に此群れを大きくする事に堪へられさうにもない。俺は愛する者の群れを本當に心の底から愛する事が出來るやうに、――さうして人類に對する更に大なる愛の努力を怠らないやうに、彼等から離れて住む事を考へなければならなかつた。彼等と離れてから、彼等に對する俺の愛は、曾て彼等と雜居してゐた時よりも、次第に美しく磨かれ始めた。昨夜も亦俺は、松原の梢を見渡す砂丘の上に、月を仰いで一人立ちながら、しめやかな心を以つて、愛する群の上に遙かに愛の思を送つた。
 今夜俺は十日餘りの月を仰ぎながら砂丘の上に立つた。遠くに波の音がして、蛙の聲が降るやうに聽えて來る。俺は淋しさに涙ぐんだ。俺はもう俺のドン・ホアンを告白してしまつたのだ。俺は俺の親愛する友達に對するにも時としてドン・ホアンの衝動を感ぜずにゐられない事を告白してしまつたのだ。俺はもうあらゆる異性の友達を失つても之を恨むだけの資格がない。さうして決して恨むことをすまい。それより仕方がない。それがいゝのだ。孤獨なる寂しさの中に神を求めるのが俺のこれからの仕事だ。俺はその神のまだ遠い事を思つた。俺は俺の當然失はなければならぬあらゆる異性の友達の事を思つた。さうして俺は靜かな、朗かな、併し淋しい心持に涙ぐんだ。
俺には猶心身の快適と清爽とにひかされるエピキユリヤンの心がある。殊に俺には異性との間に於ける恍惚と歡樂と嘆息と變化との間に現實的の充實を求めるドン・ホアンの心が漲つてゐる。俺がドン・ホアンの滿足を知らぬ事は前にも云つた。併しそれは俺がドン・ホアンの衝動を感じないと云ふ意味では決してない。俺のドン・ホアンの衝動は行爲に發露せぬ前に殺戮されるのみで、俺の心密かなる記憶はドン・ホアンの屍骸に滿されてゐる。從前俺はこの性質を釋放して、公然たるドン・ホアンとして闊歩するを得ざる俺の卑怯を嘲つた。併し今俺はドン・ホアンに生涯を捧げて了ふ事が出來ないのは俺の一層根本的な性格と要求とに基く事を知るが故に、自分のドン・ホアンを討たむとする内面的鬪爭を卑怯とは思はない。併し此等の雜念が猛烈に自分の中に活きてゐる事を感じながら、自ら「神を求める者」を以つて任ずるのは餘りに口幅つたい仕業である。
 俺は此「完全の鏡」の前に立つて、自分の醜さ、小さゝ、卑しさ、穢さの覆ひ隱す可きものなきを切に感ずる。曾て山中に行惱んでエホバの前に慴伏した時と同じ樣に全然何の自己辯護もなく、此人の前に平伏しなければならない事を切に感ずる。ステンダールは五十歳の秋に、「俺より偉大な者が此年にならずにとうに死んでゐる。俺は俺の生涯を空過しなかつたか」と思ひ沈んだ。俺は「俺より偉大な者が此年にならずにその眞生活に躍入した。俺は此年になるまで一體何をしてゐたのだらう」と思ふの情に堪へない。
 一、フランシスの經驗した世間の歡樂は、華かな、豐かな、青春の情熱に溢れたものであつた。併し世間の眼から見て、決して卑しく穢れたものではなかつた。傳記々者の證する處に從へば、フランシスの遊宴と醉歌との生活には、少しも淫蕩の痕跡がなかつたらしい。
青春が逝くと云ふ感じが身慄ひのやうに彼を通つて過ぎた。彼に永遠の平和を與へる筈のものも、彼にとつて盡きざる寶と見えたものも、日の光も、青い空も、緑な野も、今は凡て價値のない、灰となり行くものになつた。フランシスは長く眺めてゐた。さうして杖に身を凭せながら徐かにアツシジに歸つて行つた。「併しコンヴァージヨンの第一歩にある凡ての人のやうに、青年は自分自身のそれと共に直ちに他人の過ちを考へた。彼は自分の中に行はれた變化を感ずるにつれて、これまで幾度も一緒に此風景を嘆稱し合つた友人の上を思つた。さうして廓門に歸りながら、彼は一種の優越感を以つて、『彼等は何と云ふ馬鹿だらう、彼等の愛するのは滅す可きものだ』とその心に思つた。」
「彼女には何の道徳的反省も起らなかつた。これが北方の宗教の一つの中に教育された女ならば直にその道徳的反省に驅られたであらう――北方の宗教は「私は毒を用ゐた、それで私は毒によつて罰せられるのだ」と云ふ自己檢察を許してゐるから。伊太利では、悲劇的狂熱の瞬間に際して此のやうな反省をする事は、丁度、巴里で、類似した事情の下に駄洒落を云ふのと同じやうに、如何にも馬鹿々々しく、その處を得ないものに見えるのである。」
 ステンダールは此無反省な、野生のまゝな、素朴な熱情の故に、伊太利の女達を愛した。さうしてドン・ホアンの倫理的立脚地も此侯爵夫人と等しきイゴイズムになければならない。ドン・ホアンの美は彼が我慾を追ふ態度の狂熱と奔放と憂鬱とにある。
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