歯治療に300ドル??

今日、初めて歯医者に行ってきました。
出産後1ヶ月くらい経った時から親知らずと治療途中だった歯が痛みだし、
仕方なく予約していたのです。

もともと大の歯医者嫌いの私、予約3日前くらいから緊張してたのですが
今日は治療はせず、レントゲンをとってどこが悪いかチェックしてクリーニングしておしまいだと言うので、大分気が楽になり早速診察台のされるがままに。
次はクリーニング。歯医者怖いですと助手に伝えたら、全然痛くないから大丈夫よ!とのこと。

大分痛かったんですけれど。。。。

その後、塗る麻酔をしてもらい施術時間約30分がんばりました。
唾などを吸い取る時口を閉じろと言われ、閉じて自分で水分を管の近くまでもっていくということか〜とちょっとしてから納得。日本だとあけっぱなしで墨から墨まで吸い取ってくれるのが普通ですよね〜。

クリーニング後、先生からここをこうしてああしてって話を聞き、はい、今日はおしまいね。と。
治療が目的なのに結局何も進んでないのですが、怖いので聞きもせず終了(笑)、次の予約などの話を受付の人と始め、歯の根っこの治療には1時間半、治療費は。。。。。。。940ドル!!!???


説明によると保険でカバーされるのが600ドルくらいで

自己負担は315ドル!!!

アメリカでは歯の治療費は高いと聞いていましたが、ここまで高いとは。。。。。歯の治療の為に働かなければならなくなりそうです(T-T)

道から右へ折れて

道から右へ折れて、川とも呼びにくいくらいな秋篠川(あきしのがわ)の、小さい危うい橋の手前で俥(くるま)を下りた。樹立ちの間の細道の砂の踏み心地が、何とはなくさわやかな気分を誘い出す。道の右手には破れかかった築泥(ついじ)があった。なかをのぞくと、何かの堂跡でもあるらしく、ただ八重(やえ)むぐらが繁っている。
 もはや夕暮れを思わせる日の光が樹立ちのトンネルの向こうから斜めに射し込んで来る。その明るい所に唐招提寺があった。
 唐招提寺へは横の門からはいった。初めてあの金堂を見るT君のためにはぜひ正面の南門へ回るべきであったが、みんなはもう幾分か疲れていたので、わざわざ遠回りをする勇気も出ず、ずるずると金堂の横へ出たのであった。しかし堂のうしろ側の太い柱の列やその上にゆったりとかかっている屋根の線が眼に飛び込んで来ると、やはりハッとせずにはいられないものがあった。大海を思わせるような大きい軒端(のきば)の線のうねり方、――特にそれを斜め横から見上げた時の力強い感じ、――そこにはこの堂をはじめて見るのでないわたくしにとっても全然新しい美が感ぜられたのである。

法華寺で思わず長座をしたので

 法華寺で思わず長座をしたので、われわれはまたあわてて車を西に駛(は)せた。法華寺村を離れると道は昔の宮城のなかにはいる。奈良と郡山の間の佐保川の流域(昔の都)を幾分下に見渡せる小高い畑地である。遠く南の方には三輪山、多武(とう)の峯(みね)、吉野連山から金剛山へと続き、薄い霞(かすみ)のなかに畝傍山(うねびやま)・香久山(かぐやま)も浮いて見える。東には三笠山の連山と春日の森、西には小高い丘陵が重なった上に生駒山(いこまやま)。それがみな優しい姿なりに堂々として聳(そび)えている。堂々としてはいても甘い哀愁をさそうようにしおらしい。ここになら住んでみようという気も起こるはずである。
 道は宮城の西辺へ折れ、古の右京一坊大路を南に向かって行く。尼辻(あまがつじ)、横領(よこりょう)などという古めかしい名の村を過ぎると、もうそこに唐招提寺の森がある。

尼君は手箱をあけて

 尼君は手箱をあけて、小さい犬ころのおもちゃを取り出し、それを紙にのせて皆の方に押しやった。犬ころは紙の上であと足をはね上げたような格好をして立っていた。指先でつまんだあとが土に残ってそれがそのまま胸になり足になりしている愉快なものだった。
「これをなあお子供衆のお腰に下げておおきやすと奇体(きたい)に虫除けになりますそうでなあ方々からくれくれ言やはりますので皆あげてしまいましてなあもうこれだけより残っとりませんけれど――どうぞお持ちやして」
 これは尼君がつれづれの手細工であった。尼君はこのおまもりの来歴やら造り方やらを話し続けた。その右手の床の間にはガラスの箱に入ったお人形が飾ってあった。
 尼君の頬のみずみずしさはまるで赤ん坊のようであった。しかし顔の感じにはどこか興福寺十大弟子の目(もくけんれん)に似たところがあった。

弘仁期の僧尼の気風

  弘仁期の僧尼の気風を知るには『日本霊異記』に越すものはない。その物語るところは多く天平の異聞であるが、文芸としては弘仁の特性を現わしている。そのなかから天平を透見するのはかなり困難である。しかし岡本寺(おかもとでら)の尼が観音を愛慕する情や、行基に追随した鯛女(たいめ)(富の尼寺上座の尼の娘)が蝦(えび)を助けるためにその童貞を犠牲にしようとした慈悲心などには、天平の尼の一面が現われているかも知れない。弘仁期の気分には素朴ながらにも強いデカダンの香気がある。天平のそれはもっと朗らかに、もっと純粋である。

 尼君の血色はまれに見るほど美しかった。お付きの尼僧の話では、朝は四時に起きて、本堂へ出て看経(かんきん)する。「若いお子さんたちは身仕度をして本堂へ歩いて来るまでがまるで夢中で」ある。冬などはすっかりお勤めが済んだころにやっと表が明るくなる。その代わり夜は早い。――あの血色はその賜(たまもの)であろう。