2012年03月30日
脣の色が黒んでいたり、顔色が変わっていたりする以外に、どこかちがっているところがある。僕はその前で、ほとんど無感動に礼をした。「これは先生じゃない」そんな気が、強くした。(これは始めから、そうであった。現に今でも僕は誇張なしに先生が生きているような気がしてしかたがない)僕は、柩の前に一、二分立っていた。それから、松根さんの合図通り、あとの人に代わって、書斎の外へ出た。
ところが、外へ出ると、急にまた先生の顔が見たくなった。なんだかよく見て来るのを忘れたような心もちがする。そうして、それが取り返しのつかない、ばかな事だったような心もちがする。僕はよっぽど、もう一度行こうかと思った。が、なんだかそれが恥しかった。それに感情を誇張しているような気も、少しはした。「もうしかたがない」――そう、思ってとうとうやめにした。そうしたら、いやに悲しくなった。
2012年03月30日
書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。
柩のそばには、松根さんが立っている。そうして右の手を平にして、それを臼でも挽く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図だろう。
柩は寝棺である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋ででもつくった、面型のような感じである。輪廓は、生前と少しもちがわない。が、どこかようすがちがう。
2012年03月27日
「嘘をつけ。」
彼は一生懸命に、乱暴な返事を抛りつけた。が、その嘘でない事は、誰よりもよく彼自身が承知していそうな気もちがしていた。
「あら、嘘なんぞつくものですか。ほんとうに助けてやる心算でしたわ。」
彼女がこう彼をたしなめると、面白そうに彼の当惑を見守っていた二人の女たちも、一度に小鳥のごとくしゃべり出した。
「ほんとうですわ。」
「どうして嘘だと御思い?」
「あなたばかり鳩が可愛いのじゃございません。」
彼はしばらく返答も忘れて、まるで巣を壊された蜜蜂のごとく、三方から彼の耳を襲って来る女たちの声に驚嘆していた。が、やがて勇気を振い起すと、胸に組んでいた腕を解いて、今にも彼等を片っ端から薙倒しそうな擬勢を示しながら、雷のように怒鳴りつけた。
「うるさい。嘘でなければ、早く向うへ行け。行かないと、――」
2012年03月27日
「さあ、もう映しかたはわかったろう?」
父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻を啣えたまま、退屈そうに後ろに佇んでいる。玩具屋の外の往来も不相変人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調べをすませた手品師のように、妙な蒼白い頬のあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
保吉はその晩父と一しょに蝋を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空の三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇の花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの後に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願するように話しかけた。
2012年03月23日
わたしは不幸にも「人間らしさ」に礼拝する勇気は持っていない。いや、屡「人間らしさ」に軽蔑を感ずることは事実である。しかし又常に「人間らしさ」に愛を感ずることも事実である。愛を?――或は愛よりも憐憫かも知れない。が、兎に角「人間らしさ」にも動かされぬようになったとすれば、人生は到底住するに堪えない精神病院に変りそうである。Swift の畢に発狂したのも当然の結果と云う外はない。
スウィフトは発狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似ている。頭から先に参るのだ」と呟いたことがあるそうである。この逸話は思い出す度にいつも戦慄を伝えずには置かない。わたしはスウィフトほど頭の好い一代の鬼才に生まれなかったことをひそかに幸福に思っている。
2012年03月22日
大学時代、家庭教師のアルバイトをしていました。
唯一の特技の英語力を活かして、中学生の英語の担当をしていました。
生徒も頑張って勉強をしてくれ、若い私を先生と呼んで慕ってくれていました。
それが嬉しくて、教職を目指そうかと考えたほどです。
そして、それよりもっと嬉しかったのが生徒のお母さんの気遣いです。
私が一人暮らしをしているのを知って、時々夕飯を作って下さったのです。
手料理を食べる機会は数少なかったので本当に嬉しかったです。
帰り際に、風邪に気を付けて等の言葉もかけて下さいました。
受験が終わってもう会う機会はなくなりましたが、あの時の心遣いは今でも胸に残っています。
良い家庭に教えに行けて良かったと思います。
2012年03月19日
友人が、近々引っ越しをします。
その友人は今までずっと、親元に住んでいて、一度も一人暮らしをしたことが無かったんですよね。
でも、30歳間際になってきて、親との関係も煩わしくなってきたし、そろそろ、自立しないと・・・ということらしいです。
確かに、いつまでも親元にいると、御縁もなかなかやってきませんしね(笑)
今まで、一人で暮らしたことがない彼女にとっては、仕事から帰ってから一人になると、とても寂しいんじゃないかって心配しています。
テレビを買うお金を節約しようなんて言っていましたが、
「やっぱり寂しいのは無理!!」
そう言って、テレビも購入を決めたらしいです。
彼女が引っ越しをしたら、お祝いに大きなぬいぐるみでもプレゼントしてあげようかな。
2012年03月16日
「そうでしょうか。」
老紳士は黙って頷きながら、燐寸をすってパイプに火をつけた。西洋人じみた顔が、下から赤い火に照らされると、濃い煙が疎な鬚をかすめて、埃及の匂をぷんとさせる。本間さんはそれを見ると何故か急にこの老紳士が、小面憎く感じ出した。酔っているのは勿論、承知している。が、いい加減な駄法螺を聞かせられて、それで黙って恐れ入っては、制服の金釦に対しても、面目が立たない。
「しかし私には、それほど特に警戒する必要があるとは思われませんが――あなたはどう云う理由で、そうお考えなのですか。」
「理由? 理由はないが、事実がある。僕はただ西南戦争の史料を一々綿密に調べて見た。そうしてその中から、多くの誤伝を発見した。それだけです。が、それだけでも、十分そう云われはしないですか。」
2012年03月13日
お芳はこう云うお鈴の前に文太郎と一しょに涙を流し、平あやまりにあやまる外はなかった。その又仲裁役を勤めるものは必ず看護婦の甲野だった。甲野は顔を赤めたお鈴を一生懸命に押し戻しながら、いつももう一人の人間の、――じっとこの騒ぎを聞いている玄鶴の心もちを想像し、内心には冷笑を浮かべていた。が、勿論そんな素ぶりは決して顔色にも見せたことはなかった。
けれども一家を不安にしたものは必しも子供の喧嘩ばかりではなかった。お芳は又いつの間にか何ごともあきらめ切ったらしいお鳥の嫉妬を煽っていた。尤もお鳥はお芳自身には一度も怨みなどを言ったことはなかった。(これは又五六年前、お芳がまだ女中部屋に寝起きしていた頃も同じだった。)が、全然関係のない重吉に何かと当り勝ちだった。
2012年03月13日
お芳が泊ってから一週間ほどの後、武夫は又文太郎と喧嘩をした。喧嘩は唯豚の尻っ尾は柿の蔕に似ているとか似ていないとか云うことから始まっていた。武夫は彼の勉強部屋の隅に、――玄関の隣の四畳半の隅にか細い文太郎を押しつけた上、さんざん打ったり蹴ったりした。そこへ丁度来合せたお芳は泣き声も出ない文太郎を抱き上げ、こう武夫をたしなめにかかった。
「坊ちゃん、弱いものいじめをなすってはいけません。」
それは内気な彼女には珍らしい棘のある言葉だった。武夫はお芳の権幕に驚き、今度は彼自身泣きながら、お鈴のいる茶の間へ逃げこもった。するとお鈴もかっとしたと見え、手ミシンの仕事をやりかけたまま、お芳親子のいる所へ無理八理に武夫を引きずって行った。
「お前が一体我儘なんです。さあ、お芳さんにおあやまりなさい、ちゃんと手をついておあやまりなさい。」